岡元勇人

日本のサッカー選手

岡元 勇人(おかもと はやと、1974年10月16日 - )は、島根県出身の元サッカー選手。

岡元 勇人
名前
愛称 タロー
カタカナ オカモト ハヤト
ラテン文字 OKAMOTO Hayato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-10-16) 1974年10月16日(49歳)
出身地 島根県出雲市[1]
身長 176cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF
利き足
ユース
島根県立出雲工業高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2000 東京ガス / FC東京 157 (45)
2001-2002 横河電機 24 (07)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

島根県立出雲工業高等学校では3年生時に国体全国選手権に出場[2]

1993年に同校を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてジャパンフットボールリーグに所属する同社サッカー部(現FC東京)に加入した。主に左サイドの攻撃的ミッドフィールダーフォワードとして出場を重ね、縦への突破力を活かして[3] 前線をかき回し貪欲にゴールを狙うプレースタイルから[2]「突貫小僧」の異名もあった[4]大熊清監督からは、膠着した試合展開を打破できる[3]切り札として考えられていたため[5] 先発から外されることもあったが、1997年末の天皇杯では準々決勝のベルマーレ平塚戦で延長戦にボレーシュートで劇的な決勝点を挙げて[3] ベスト4進出の立役者となり、翌1998年のリーグ戦ではシーズン終盤に入り得点を重ねてチームの初優勝に貢献するなど、大舞台に強さを発揮した[2]

1999年、東京ガスはFC東京としてJリーグに加盟し、新たに発足したJリーグ ディビジョン2(J2)に参加。J2開幕戦のサガン鳥栖戦で、岡元は前半4分に加賀見健介のクロスから先制点を挙げ、これがJ2の第1号ゴールとして記録された[6]。夏場に負傷離脱して以降、復帰後も中々主力として定着することができず、J1へと昇格した2000年には僅か1試合の出場にとどまり、この年限りで退団した。

2001年日本フットボールリーグ横河電機(現:東京武蔵野シティFC)に移籍[7]。中盤の要の一人としてチームを牽引したが[1]2002年5月に退団[8]。選手生活を退いた。

愛称の“タロー”は芸術家の岡本太郎に由来している。

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 東京ガス 18 旧JFL1部 15 2 - - 15 2
1994 旧JFL 26 7 - 3 0 29 7
1995 21 7 - 1 0 22 7
1996 23 6 - 1 0 24 6
1997 20 6 - 6 4 26 10
1998 23 14 - 2 1 25 15
1999 FC東京 J2 28 3 7 0 4 2 39 5
2000 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2001 横河電機 15 JFL 24 7 - 0 0 24 7
2002 21 0 0 - - 0 0
通算 日本 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
日本 J2 28 3 7 0 4 2 39 5
日本 JFL 24 7 - 0 0 24 7
日本 旧JFL1部 128 42 - 13 5 141 47
総通算 181 52 7 0 17 7 205 59

脚注 編集

  1. ^ a b 第15節 7月14日 対横河FC 山陰中央新報
  2. ^ a b c players info 岡元勇人”. 2000年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月10日閲覧。 FC東京
  3. ^ a b c 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、107-108頁。ISBN 978-4093860680 
  4. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、13頁。ISBN 978-4093860680 
  5. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、31頁。ISBN 978-4093860680 
  6. ^ J2初ゴールはF東京の岡元がマーク J's GOAL
  7. ^ 岡元勇人選手 横河電機サッカー部へ”. 2001年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月3日閲覧。 FC東京 (2001年3月22日)
  8. ^ 岡元勇人選手 退団のお知らせ”. 2006年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月10日閲覧。 横河武蔵野FC (2002年5月23日)

関連項目 編集

外部リンク 編集