張 舜龍(チャン・スンヨン、ちょう しゅんりゅう、1255年 - 1297年)は、高麗の宮廷に仕えたウイグル系ムスリム文官で、荘穆王后の師傅である[1]忠烈王に降嫁したクビライの娘のクトゥルク=ケルミシュ(荘穆王后)の「家の子郎党(ゲルン・コウン)」として高麗宮廷に入り[2]、郎将から将軍、宣武将軍・鎮辺管軍総管、大将軍、副同知密直司事、同知密直司事と昇進し、僉議参理在任中に43歳で死去した[3]

張舜龍
各種表記
ハングル 장순룡
漢字 張 舜龍
発音 チャン・スンヨン
日本語読み: ちょう しゅんりゅう
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朝鮮氏族徳水張氏の始祖である。

登場作品 編集

脚注 編集

  1. ^ 伊藤英人『朝鮮半島における言語接触 : 中国圧への対処としての対抗中国化』東京外国語大学語学研究所〈語学研究所論集 (18)〉、2013年、72頁。 
  2. ^ 『高麗史』巻123列伝36,「張舜龍、本回回人、初名三哥、父卿事元世祖、為必闍赤。舜龍、以斉国公主怯憐口来授……」
  3. ^ 矢島洋一高麗とムスリム』〈近代中国における回民コミュニティの経済的・文化的活動〉2013年6月12日https://web.archive.org/web/20170910220722/http://kaimin-commu-21-24.blogspot.com/2013/06/blog-post_7206.html 

参考文献 編集