御幸橋停留場

日本の広島市中区にある広島電鉄の路面電車停留場

御幸橋停留場(みゆきばしていりゅうじょう、御幸橋電停)は、広島市中区千田町三丁目にある広島電鉄宇品線路面電車停留場である。駅番号はU8

御幸橋停留場
停留場全景、左側ホームが紙屋町方面
みゆきばし
Miyuki-bashi
U7 広電本社前 (0.2 km)
(0.5 km) 皆実町六丁目 U9
地図
所在地 広島市中区千田町三丁目
北緯34度22分32.74秒 東経132度27分33.73秒 / 北緯34.3757611度 東経132.4593694度 / 34.3757611; 132.4593694 (御幸橋停留場)座標: 北緯34度22分32.74秒 東経132度27分33.73秒 / 北緯34.3757611度 東経132.4593694度 / 34.3757611; 132.4593694 (御幸橋停留場)
駅番号 U8
所属事業者 広島電鉄
所属路線 宇品線
キロ程 2.3 km(紙屋町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
1,379[1]人/日
-2019年-
開業年月日 1912年大正元年)11月23日
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歴史 編集

御幸橋の西詰に位置する御幸橋停留場は1912年大正元年)、宇品線の開業と同時に紙屋町方面から来た路線の終点として開設された。当停留場から先、宇品地区へ向かう区間も次いで建設が企図されたが[2]、そのためにはまず御幸橋が架かる京橋川を越えなければならなかった[3]。当時の御幸橋には軌道を敷設する余裕がなく、また新しく軌道専用橋を架けるにも川幅の広い京橋川を渡るためには長大な橋が必要であったため、ひとまず京橋川への架橋は後回しにしてまず御幸橋の東詰から宇品までの区間で路線が敷設された[2][3]。この区間は1915年(大正4年)に開通し、当停留場と御幸橋東詰にある停留場(皆実町六丁目停留場を参照)の間は御幸橋を介する徒歩連絡で結ばれた[3][4]

架橋を後回しにしてまで宇品までの路線建設を急いだのは、同年に紙屋町および宇品周辺で開催が予定されていた広島県物産共進会[5]までに開通を間に合わせたいという事情があったためで、実際に宇品[6]までの区間が開通したのも共進会の開会3日前のことであった[2][3]。懸案であった京橋川への架橋は4年後の1919年(大正8年)に達成され、ここに至ってはじめて広島駅前から宇品までが電車で直接結ばれた[3]。これは軌道専用橋によるものであったが、1931年(昭和6年)には架け替えにより道路と軌道の併用橋になった2代目の御幸橋に取って代わられた[3]

太平洋戦争下の1944年(昭和19年)になると御幸橋停留場は営業を休止する[7]。そして1945年(昭和20年)8月6日原爆投下により宇品線をはじめとして市内電車は全線が不通となった[7]。それでも宇品線は電鉄前から向宇品までの区間が同月18日には復旧、当停留場もこのとき営業を再開した[7]。なお御幸橋については被爆後も2代目の橋が使用されていたが、老朽化や橋上の交通量の増加の影響もあって1990年平成2年)に新しい橋へ架け替えられている[3]

年表 編集

構造 編集

宇品線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームである[4][9]。路線の起点から見て左側に広島港方面へ向かう下りホームが、右側に紙屋町・本線方面へ向かう上りホームがある[4]

ホーム長は3両・5両連接車に対応している。上りホームはホーム全長にわたって屋根が設けられているが、下りホームは1両単車の乗車口付近にしか屋根が設けられていない。

運行系統 編集

当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、1号線、3号線、それに0号線が乗り入れる。

下りホーム    広島港ゆき
  宇品二丁目ゆき
上りホーム   広電本社前ゆき
  広島駅ゆき
  広電西広島ゆき

周辺 編集

停留場は京橋川に架かる御幸橋の西詰にあり、付近はおおむね住宅街である。西側には中区の文化施設が集積している。停留場のある御幸橋西詰交差点は広島市道霞庚午線広島県道243号広島港線広島市道御幸橋三篠線が交差する交通量の多い場所である。

隣の停留場 編集

広島電鉄
宇品線
広電本社前停留場 (U7) - 御幸橋停留場 (U8) - 皆実町六丁目停留場 (U9)

脚注 編集

  1. ^ 広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年、48-49頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 『広電が走る街 今昔』80-85頁
  4. ^ a b c 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、11・80頁頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  5. ^ 電車開業の前後 広島電気軌道時代(明治42年~大正6年)”. 広島電鉄 電車開業100周年記念サイト. 広島電鉄. 2016年9月16日閲覧。
  6. ^ 当時の終点であった宇品停留場は現在の広島港(宇品)停留場の位置とは異なり、広島市営桟橋付近に存在した。海岸通停留場も参照。
  7. ^ a b c d e f g 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  8. ^ 『広島電鉄開業80創業50年史』1992年11月、本編78ページ。
  9. ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103・109頁頁。ISBN 978-4-7942-1711-0 

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集