手塚 理美(てづか さとみ、1961年6月7日[1] - )は、日本女優である。ヴィレッジエンターテイメント[3] を経て吉本興業所属[4]東京都大田区出身[5]

てづか さとみ
手塚 理美
本名 手塚 理美
別名義 手塚 さとみ
生年月日 (1961-06-07) 1961年6月7日(62歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都大田区
身長 161 cm[1]
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1974年 -
活動内容 1975年ユニチカ2代目マスコットガール
1982年:『ハイカラさん
1983年:『ふぞろいの林檎たち
1987年:『男女7人秋物語
1993年:『チャンス』、『もう涙は見せない
配偶者 真田広之1990年 - 1997年
事務所 吉本興業2016年4月[2] - )
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経歴

小学生の頃よりジュニアモデルとして活動を始める[5]大田区立梅田小学校、大森第四中学校を卒業[6]

中学入学前に出演した不二家チョコレートCMユニチカのスタッフの目に留まったことから、中学1年生の時に同社の2代目ユニチカマスコットガール[7][8] に選ばれ、本格的に芸能界デビューした。当時は手塚さとみ名義。

東京都立赤坂高等学校卒業後、映画『正午なり』(1978年)への出演[5] や雑誌のグラビアモデル等、様々な分野で活躍し人気を博す。アイドル歌手としてシングル2枚、アルバム1枚をリリースしている。

1981年昭和56年)、ヌード写真集『少女だった』(沢渡朔撮影)を発表し、アイドル活動から女優業へシフトする[5]。翌年にはNHK朝の連続テレビ小説ハイカラさん』ではヒロインを務め、 芸名を本名の手塚理美に変更する[5]。以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや『ア・ホーマンス』、『茶の味』などの映画で活躍[5]

1990年平成2年)、俳優の真田広之と結婚[5]。2人の男児をもうけたが、真田の不倫報道を機に1997年(平成9年)に離婚[5][9]。その後シングルマザーとして暮らしている[10]

息子2人が独立した2016年頃から再び女優業を積極的に行っている[11]。2018年の56歳になる直前から髪の毛を染めるのを止めて、長かった髪の毛をばっさりとショートにしてナチュラルなグレイヘアを通している。

2021年、映画『メイド・イン・ヘヴン』で映画初主演[12]

受賞歴

出演

テレビドラマ

映画

舞台

バラエティー・教養番組

  • 写真熱気球(テレビ東京)

他多数

ラジオ番組

CM

出版

写真集

  • 少女だった(1981年5月20日、小学館)撮影:沢渡朔 - 手塚さとみ名義
    • 雑誌『写楽』1980年9月号で発表されたカット群がベース。ヌードは手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主にニューカレドニア。まだ少女の面影を残していた頃の手塚の瑞々しく自然な姿が映し出されている。
  • 四色の花火(1982年11月10日[20]、小学館)撮影:篠山紀信 - 手塚理美名義
    • 『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は京都福井軽井沢秋田。それまでの手塚が持っていた清楚なイメージに加え、内面の激しさが引き出されている。セクシュアルなヌードのカットも数多く、被写体・手塚に対する篠山のアプローチは沢渡と好対照を為している。
  • 妖精たちのレジェンド-ユニチカマスコットガール写真集-(1996年10月10日、あすか書房)

カレンダー

書籍

  • 同窓会で二番目にキレイになるには・・・ ちょこっとウィッグ付き(2015年4月16日、小学館)50代代表としてモデル出演
  • 大丈夫、あなたの肌は必ず変わる。 (2016年1月21日、宝島社)米澤房昭との対談

ディスコグラフィー

シングル

アルバム

  • 15才の肖像(1976年)キングレコード SKA-157 ※2014年にCD化[21]

脚注

  1. ^ a b 手塚理美 プロフィール”. 吉本興業. 2017年12月29日閲覧。
  2. ^ a b 手塚理美、染谷俊之ら“イケメンホスト”にご満悦「堪能したい」”. ORICON NEWS. オリコン (2017年1月11日). 2017年12月29日閲覧。
  3. ^ 手塚理美”. ヴィレッジエンターテイメント. 2017年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月29日閲覧。
  4. ^ “手塚理美、息子2人巣立ち“再出発””. DAILY SPORTS ONLINE. (2016年6月18日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/06/18/0009197553.shtml 2017年12月29日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h 手塚理美”. KINENOTE. 2017年12月29日閲覧。
  6. ^ わがまち池上第100号(平成27年12月10日発行)”. 大田区ホームページ. 大田区 (2015年12月10日). 2017年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月29日閲覧。
  7. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 俺たちが愛した美少女選抜BEST30 第1弾・70年代編
  8. ^ 初代は風吹ジュン、3代目は紺野美沙子
  9. ^ “手塚理美、不倫で別れた真田広之との復縁希望明かす”. nikkansports.com. (2016年7月7日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1674618.html 2017年12月29日閲覧。 
  10. ^ 手塚理美がシングルマザーの苦労告白「1年無視された」”. ライブドアニュース (2016年12月11日). 2017年12月29日閲覧。
  11. ^ a b 手塚理美(インタビュー)「手塚理美、芸能活動50周年を機に「こだわりなくす」」『ORICON NEWS』、2018年2月1日https://www.oricon.co.jp/confidence/special/50676/2019年1月8日閲覧 
  12. ^ a b “24年ぶり共演で夫婦役、手塚理美「不思議な感じ」国広富之「大人の雰囲気で臨めた」”. Sponichi Annex. (2021年11月4日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/11/04/kiji/20211103s00041000596000c.html 2021年12月31日閲覧。 
  13. ^ 手塚理美、"毒親"役に不安も「すごく引かれちゃったらどうしようかと」”. マイナビニュース (2017年10月31日). 2017年12月29日閲覧。
  14. ^ 第3話|ストーリー”. 刑事7人. テレビ朝日 (2018年). 2019年1月8日閲覧。
  15. ^ "仲間由紀恵、高木雄也と『ごくせん』以来の共演「すごく味のある役者さんに」". ORICON NEWS. oricon ME. 10 March 2022. 2022年3月10日閲覧
  16. ^ “手塚理美・杉本哲太・嶋田久作・橋本じゅん『しょうもない僕らの恋愛論』出演”. マイナビニュース (マイナビ). (2022年12月22日). https://news.mynavi.jp/article/20221222-2543607/ 2022年12月22日閲覧。 
  17. ^ 映画「桃とキジ」 追加場面写真&甲本雅裕、手塚理美、千鳥・大悟さんからコメント到着”. CINEMATOPICS (2017年8月22日). 2017年12月29日閲覧。
  18. ^ 手塚理美と国広富之が共演、ラブコメディ「メイド・イン・ヘヴン」公開”. 映画ナタリー. ナターシャ (2021年8月31日). 2021年12月31日閲覧。
  19. ^ “桜庭ななみ主演作が2023年公開、震災から10年後の宮城で命と向き合う人々描く”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2021年8月30日). https://natalie.mu/eiga/news/442927 2021年8月30日閲覧。 
  20. ^ 奥付による。実際の発売日は1982年10月22日。A4判96Pオールカラー。当時の定価は1700円
  21. ^ 田中美佐子『夢売りのピエロ』、手塚さとみ『15才の肖像』が初CD化”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2014年2月17日). 2017年12月29日閲覧。

外部リンク