李 永(り えい、生年不詳 - 開成3年10月16日[1]838年11月6日))は、皇族。第14代皇帝文宗の長男。荘恪太子。生母は王徳妃。

生涯 編集

大和4年(830年)に魯王に封じられ、大和6年(832年)に皇太子に立てられた。韋貫之が侍読として教育係となったが、李永は遊び好きで政務を怠り、家臣らを絶望させたという。しばらくして生母の王徳妃の寵愛が衰え、楊賢妃が帝の寵愛を受けたために、文宗は李永を廃嫡し、少陽院に幽閉した。そして、開成3年10月庚子(838年11月6日)に前太子の李永は早世した。

脚注 編集

  1. ^ 『新唐書』巻8, 文宗紀 開成三年十月庚子条による。

参考文献 編集

  • 新唐書』(巻八十二 列伝第七)