松尾尊兊

日本の歴史学者
松尾尊兌から転送)

松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年昭和4年)11月1日[1] - 2014年平成26年)12月14日)は、日本歴史学者。日本近現代史専攻。大正デモクラシー研究をライフワークとした。京都大学名誉教授。

松尾 尊兊
人物情報
生誕 (1929-11-01) 1929年11月1日
日本の旗 日本 鳥取県鳥取市
死没 2014年12月14日(2014-12-14)(85歳)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 歴史学(日本近現代史)
研究機関 京都大学人文科学研究所
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来歴 編集

1929年、鳥取県鳥取市生まれ[2]。旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制松江高等学校(現・島根大学)文科甲類を経て[2]1953年(昭和28年)9月に京都帝国大学文学部を卒業した[2][注釈 1]。京大では国史学の北山茂夫に師事した[2]

1954年4月、京都大学人文科学研究所助手となり[2]1970年(昭和28年)5月より京都大学人文科学研究所助教授[2]1971年(昭和46年)1月に京都大学文学部史学科助教授(現代史学講座担当)[2]1981年(昭和56年)4月に京都大学文学部史学科教授(現代史学講座担当)に就いた。この間、1967年にハーバード燕京研究所フェローとして滞米している[2]

1993年(平成5年)3月、京都大学を定年退官、同年4月京都大学名誉教授京都橘女子大学教授。郷土の同窓(旧制鳥取第一中学校)の政治家古井喜実の著作・評伝の編纂も行っている。晩年は回想を交えた戦後デモクラシー研究著作を公刊した。

2014年平成26年)12月14日悪性リンパ腫で死去[3]。享年85。死の直前まで、吉野作造をテーマとする岩波新書の執筆を進めていた

研究内容・業績 編集

大正期の地方民衆運動史や吉野作造石橋湛山の植民地論など、戦後民主主義を擁護する形での、大正デモクラシー史の実証的研究に先駆的業績を残した。

松尾旧蔵による1950年代前半の学生運動レッドパージ反対運動・破壊活動防止法反対運動・京大天皇事件など)のビラを中心とした資料678点は、京都大学大学文書館に寄贈され、『戦後学生運動関係資料Ⅰ』として整理・公開されている[4]

著書 編集

論文 編集

単著 編集

  • 大正デモクラシーの研究』(青木書店、1966年)
  • 『国民の歴史(21)民本主義の潮流』(文英堂,1970年)[1]
  • 『大正デモクラシー』(岩波書店、1974年/同時代ライブラリー、1994年/岩波現代文庫、2001年)
  • 『本倉』(みすず書房、1983年)
  • 普通選挙制度成立史の研究』(岩波書店、1989年)
  • 『大正デモクラシーの群像』(岩波書店[同時代ライブラリー]、1990年)
  • 『集英社版日本の歴史(21) 国際国家への出発』(集英社、1993年)
  • 『大正時代の先行者たち』(岩波書店[同時代ライブラリー]、1993年)
  • 民本主義帝国主義』(みすず書房、1998年)
  • 中野重治訪問記』(岩波書店、1999年)
  • 『戦後日本への出発』(岩波書店、2002年)
  • 『昨日の風景――師と友と』(岩波書店、2004年)
  • 滝川事件』(岩波書店[岩波現代文庫]、2005年)
  • 『わが近代日本人物誌』(岩波書店、2010年)
  • 『近代日本と石橋湛山』(東洋経済新報社、2013年)
  • 大正デモクラシー期の政治と社会』(みすず書房、2014年)

編著 編集

共編著 編集

訳書 編集

  • H・スミス『新人会の研究――日本学生運動の源流』(東京大学出版会、1978年)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 入学と卒業いずれも旧制では最後の京都大学の学生であった。

出典 編集

  1. ^ 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.535
  2. ^ a b c d e f g h 福家 崇洋「松尾尊兊と大正デモクラシー研究」『人文学報』第117巻、京都大学人文科学研究所、2021年5月、27-68頁、doi:10.14989/264280 
  3. ^ 「松尾・京大名誉教授が死去 大正の政治思想研究」『朝日新聞』2014年12月18日付(2014年12月18日閲覧)、永井和「デモクラシーの本質 追求 松尾尊兊さんを悼む」『朝日新聞』2014年12月23日付(大阪本社発行13版)。
  4. ^ 松尾尊兊「一枚のビラでも大切に」『京都大学大学文書館だより』16(2009年4月30日) (PDF) 。なお京大天皇事件当時、京大生であった松尾は事件に関する報道論調を批判した「意見」を雑誌『世界』に投稿し、直後に発行された同誌の1952年4月号に匿名(「京都市 一学生」)で掲載されたが、この論説はのちに著書『昨日の風景――師と友と』(2004年刊)に収録されている。

関連項目 編集