松山吉之

日本のサッカー選手

松山 吉之(まつやま よしゆき、1966年7月31日 - )は、京都府出身で元日本代表プロサッカー選手サッカー指導者、解説者。現役時代のポジションフォワードミッドフィールダー。実弟の松山博明も元サッカー選手、サッカー指導者。

松山 吉之
名前
カタカナ マツヤマ ヨシユキ
ラテン文字 MATSUYAMA Yoshiyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1966-07-31) 1966年7月31日(57歳)
出身地 京都府京都市
身長 177cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1982-1984
1985-1988
京都府立山城高等学校
早稲田大学ア式蹴球部
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1991
1991-1996
1997
古河電工
松下電器/ガンバ大阪
京都パープルサンガ
42 (06)
120 (15)
19 (00)
代表歴
1987-1989[1] 日本の旗 日本 10 (4)
監督歴
2012-2014 レイジェンド滋賀FC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

選手時代 編集

学生時代や古河電工ガンバ大阪在籍時にはFW、攻撃的MF、サイドハーフでその攻撃能力を発揮。日本代表にも早稲田大学在籍時に選出されると1987年から1989年まで名を連ね、国際Aマッチ通算10試合に出場し4得点を挙げている[1]京都パープルサンガ在籍時にはボランチを務めるなどプレーの幅を広げるも、1997年シーズンを以って引退した。

G大阪(当時は松下電器)には、家庭の事情で実家に帰ってきていることを知った高校、大学時代の大先輩の釜本邦茂監督(当時)に「暇なときにボールを蹴りに来い!」と誘われ入団した。ジークフリート・ヘルト監督時代には3-5-2のウイングバックとして起用され、それまでやったことのなかったスローインにも挑戦した。さらに、京都ではボランチを務めるなどチーム事情に応じた適応能力も見せていた。

現役引退後 編集

指導者としては京都でコーチとしてスタートし、名古屋グランパスエイトのコーチを経て、2004年からG大阪に在籍[2]2005年Jリーグ初優勝を支えた。また、若手選手の育成手腕にも実績があり、監督とのパイプを務める兄貴分としても信頼も厚かった。2006年を最後にG大阪を退団。2007年から2011年まで滋賀学園高校サッカー部のコーチを務めた[2]2012年関西サッカーリーグ2部のレイジェンド滋賀FCの監督に就任[2]。2014年をもって退任し、レイジェンド滋賀FCのゼネラルマネージャーに就任した[3]。また、2017年よりDAZNでのサッカー解説者も務めている。

名古屋のコーチ時代には、ファン感謝デーのキックスピードコンテストに若手選手とともに登場し、優勝してしまった逸話もある。また、古巣で燻っている選手をほうっておけず自らの推薦で獲得することもある。平岡直起(G大阪→名古屋)はその例である。

G大阪退団後の2007年から実家の料亭「松山閣 松山」(京都市右京区)を父親から継ぎ、現在は5代目若旦那。2007年1月26日放送のMBSちちんぷいぷい』のコーナーで紹介された。

所属クラブ 編集

ユース経歴
シニア経歴

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1989-90 古河 6 JSL1部 21 2 2 2
1990-91 21 4 0 0
1991-92 松下 33 19 5 -
1992 G大阪 - J - 7 2 1 2 8 4
1993 22 3 0 0 2 1 24 4
1994 29 1 2 0 2 1 33 2
1995 26 4 - 4 0 30 4
1996 24 2 12 3 4 0 40 5
1997 京都 30 19 0 5 2 2 0 26 2
通算 日本 J 120 10 26 7 15 4 161 21
日本 JSL1部 61 11 2 2
総通算 181 21 28 9

その他の公式戦

代表歴 編集

  • Aマッチデビュー:1987年4月12日対シンガポール戦(国立)ソウル五輪予選
  • Aマッチ初得点:1987年4月12日対シンガポール戦(国立)ソウル五輪予選
  • Cマッチデビュー:1987年1月8日対上海戦(上海)木村和司との交代出場
  • Cマッチ初得点:1987年1月10日対湖南省戦(上海)

出場大会など 編集

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 10試合 4得点(1987-1989)[1]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1987 9 4 13 1 22 5
1988 0 0 0 0 0 0
1989 1 0 8 0 9 0
通算 10 4 21 1 31 5

得点数 編集

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1987年4月12日 日本東京   シンガポール 1-0 勝利 ソウル五輪予選
2 1987年5月27日 日本、広島市   セネガル 2-2 引分 キリンカップ
3 1987年6月26日 インドネシアジャカルタ   インドネシア 2-1 勝利 ソウル五輪予選
4 1987年9月15日 日本、東京   ネパール 5-0 勝利 ソウル五輪予選

指導歴 編集

タイトル 編集

  • 関西サッカーリーグ Manager of the Year(2013年)[4]

出典 編集

  1. ^ a b c “松山 吉之”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ma/yoshiyuki_matsuyama.html 
  2. ^ a b c 松山吉之新監督就任のお知らせ”. レイジェンド滋賀FC (2012年1月8日). 2013年9月21日閲覧。
  3. ^ 松山吉之監督退任ならびにGM就任のお知らせ”. レイジェンド滋賀FC (2015年1月16日). 2015年2月5日閲覧。
  4. ^ 第40回(2005年)~49回(2014年)”. 関西サッカーリーグ. 2018年12月14日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集