松村邦洋

日本のお笑いタレント、ものまねタレント (1967-)

松村 邦洋(まつむら くにひろ、1967年昭和42年)8月11日[1] - )は、日本のお笑いタレントものまねタレントYouTuber山口県田布施町出身。山口ふるさと大使[4]、たぶせふるさと応援大使[5]太田プロダクション所属。

松村まつむら 邦洋くにひろ
高木豊のYouTube動画に出演する松村
2019年7月)
本名 松村 邦洋
ニックネーム まっちゃん
バウバウ
生年月日 (1967-08-11) 1967年8月11日(56歳)[1]
出身地 日本の旗 日本山口県熊毛郡田布施町[2]
血液型 A型[1]
身長 164 cm
言語 日本語
方言 首都圏方言山口弁
最終学歴 九州産業大学中退
芸風 ものまね
事務所 太田プロダクション
活動時期 1988年 -
同期 爆笑問題
さまぁ〜ず
月亭方正
デンジャラス
三又又三
島田珠代
山田花子
Take2
江頭2:50など
現在の代表番組 高田文夫のラジオビバリー昼ズ
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
過去の代表番組 進め!電波少年
スーパージョッキー
配偶者 無し(離婚歴1回)
弟子 みつまJAPAN'
公式サイト 松村邦洋
受賞歴

1992年 第9回 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ優勝

1992年 第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞
1994年 第32回ゴールデン・アロー賞芸能賞
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松村邦洋
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年 -
ジャンル エンターテインメント
登録者数 12.1万人[3]
総再生回数 1648万回[3]
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年7月30日時点。
テンプレートを表示

日本史上の人物やタレント、アスリート、政治家など幅広くモノマネをしている[2]。愛称はまっちゃんバウバウ

略歴 編集

山口県熊毛郡田布施町出身[2]河本育之は中学時代の同級生。「河本とは同じ野球部でバッテリーを組んでいた」とよく言われるが松村は中学時代は野球部でなかったため[6]、このエピソードは誤りである。

山口県立田布施農業高等学校卒業[2]。1980年代前半に大流行した「ツッパリブーム」に影響され、中学校時代からヤンキーだった半面、いじめられるようなタイプでもあった[7]。なお、ヤンキーではあったが、悪いことはせず、友人とお菓子を食べながら雑談に花を咲かせていた。高校時代から、山口や広島県のローカルテレビ・ラジオ番組に出演。中国放送サテライトNo.1』でアルバイトADをしていたことがあり、得意のものまねを披露し人気者となり、番組レギュラーにもなった。また、高校2年時に8科目が赤点となり1年留年し、修学旅行に2回行ったという[8]。卒業後の進路としてお笑い芸人の道を本気で目指していたと言い、学校の視聴覚室で教師にビデオを回してもらい、得意のものまねを収録したテープを吉本興業に送付したことがあるが、高校3年の12月に起きたフライデー襲撃事件の影響でビートたけしのものまねを一時自粛せざるをえなくなったことなどもあり、九州産業大学に進学した。

大学在学中に『発表!日本ものまね大賞』(1988年6月14日放送)に出演。ビートたけしをはじめ石橋貴明古舘伊知郎らのものまねを披露し、チャンピオンとなった。その後、テレビ西日本でケーブル捌きのアルバイトをしていた当時、番組に出演した松村のネタを見ていた片岡鶴太郎が『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』の中継で同局を訪れ、鶴太郎に「君いいよ、面白いよ」と見出されたことがきっかけで、1988年に大学を中退し上京した。

鶴太郎の在籍する太田プロに所属し、芸能界デビュー。当時同じく太田プロに所属していた爆笑問題太田光代(当時は松永光代)、春一番らと下積みを重ねながら、『ものまね王座決定戦』の常連として、ビートたけしや掛布雅之のものまねで茶の間を沸かせるようになる。

林家ブー」や「バウバウ」のネタで高田文夫に気に入られ、1992年4月から『たまにはキンゴロー』などでの共演を経て、1993年秋からは『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の金曜レギュラーを務めている。

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(1992年1月、第8回)の「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」にて披露した、高田文夫のものまね「バウバウ」でブレイクする。この回での活躍により番組の常連となり、ダチョウ倶楽部出川哲朗らとともに「リアクション芸人」の代表挌となる。同年7月からは松本明子とともに『進め!電波少年』で司会を務め「アポ無し取材」で人気を博した。

1992年には、第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を、1994年にも第32回の同賞で芸能賞を受賞した。

1993年から1999年にかけて『松村邦洋のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。一時はパーソナリティを降板したものの、3か月後に復帰。通算で約6年に渡る長寿番組となった。

1990年代には俳優としても活躍(『STATION』では吉田栄作に次ぐ準主役、『ハンサムマン』では長野博とのW主演)。1995年には『君を忘れない』で、当時若手として伸び盛りだった木村拓哉反町隆史らとともに名を連ねている。

an・an』の「抱かれたくない男性タレント」の上位に出川哲朗とともにランキングしていたことでも有名。

1997年に『電波少年』を降板させられた(進め!電波少年#松村降板騒動)ものの、以降もテレビ・ラジオのレギュラー出演を続けている。

2000年4月に関西の人気番組である『探偵!ナイトスクープ』のレギュラー(探偵)に抜擢された。探偵抜擢の1年後には自身がモノマネ対象にしている西田敏行が2代目局長に就任し、共演することになった。

2013年7月に『アメトーーク!』で「本当はスゴイ!!松村邦洋」が放送される。また同年下半期は堺雅人がブレイクしたことから、堺の物真似をしている松村の仕事も増加した[9]。一方で9月27日放送分を以って13年間出演し続けた『探偵!ナイトスクープ』を卒業した[10]

2020年8月20日、YouTubeチャンネル「松村邦洋のタメにならないチャンネル」を開設[11]

人物 編集

  • 3人兄弟の長男。生家は農家だが元々は江戸時代から商取引をしていて一方で戦前までは質屋をしていた[12]
  • 上京した頃の体重は75kg程だったが、一時期は141kgまで太っていた。後述するダイエットにより、大きく減量している。
  • 以前、ダイヤルQ2に夢中になって100万円の料金を請求されたことと、この時にダイヤルQ2でもモノマネをしていて、当時面識のなかった田中裕二と繋がったと『爆笑問題カーボーイ』で田中が語った。
  • 『進め!電波少年』の企画で公募された一般視聴者と1日だけ夫婦になった[注 1]。これにより夫婦関係の実態が全く無いものの婚姻・離婚の事実だけ残るため、いわゆるバツイチである[13]。婚姻の取消し請求ではなく正式な離婚届なので戸籍上バツ1となっている。又、後に伊丹空港でこの女性と奇跡の再会を果たしたことがあることも打ち明けている。
  • 野球選手の似顔絵を描くことで知られ、2008年に母校の九州産業大学で展覧会を開き[14]、2015年東京美術倶楽部チャリティー企画にアクリル絵3作品を出品した[15]
  • タバコ嫌いであり、酒が全く飲めない下戸である。
  • かつてカップ麺のメーカーからCMに出演した縁で商品を貰っていたが、人の好さから貰う毎に無理に完食して糖尿病を発症したことがある。
  • ファンレターを貰ったら、律儀に返事を書くという。当時はグラビア萩原舞は姉弟で松村のファンで、ファンレターを送ったら丁寧な返事が来たと、『スーパージョッキー』出演時に語っている。

ダイエット 編集

  • ダイエットを決意したきっかけは主に2つあり、あるテレビ特番で人間ドックを受けた際、「このままでは長生きできない」と宣告されたことと、石塚英彦伊集院光内山信二・松村らで作られる「デブの健康組合」で「みんな一緒にやせればバレない。一緒に5キロずつやせよう!」と決せられたが、松村だけ逆に10キロ増え「まっちゃん、そのまま行くと死ぬよ」と身を案じて言われたことだった[16]
  • 中でも成果を上げたものはCanCamダイエット」なるもので、これは、『CanCam』を読みながら夜道をウォーキングするというものである。歩いている途中で辛くなった時にCanCam(特に蛯原友里押切もえ山田優が写っているページ)を見ると、モデルが「まっちゃん、がんばって」などと励ましてくれる感じがして、よりダイエットが捗ったという。その成果あって、2006年の時点で30キロ超減って110キロ台になっていた[16]
  • 後述の東京マラソンでの心肺停止事件をきっかけに自身の健康管理のため、2016年末にライザップを始め、減量に取り組んだ。2017年9月13日に行われたライザップ新CM発表会見では、約8か月で体重110.6キロから80キロと30キロの減量に成功した姿を見せた[17]

マラソン 編集

  • ダイエットを通じてマラソンに興味を持つようになり、和田アキ子から「走ってこい!」と言われた2007年7月1日の「ゴールドコーストマラソン」に参加し、フルマラソンに挑んだ。このマラソンは7時間10分以内にゴールしないと完走と認められないが、松村は諦めずに9時間9分6秒かけて走りぬいた。時間オーバーのため記録には残らないが、主催者側の心遣いで、松村にもメダルが贈られた。森脇健児とトレーニング方法について綿密にメールで連絡し合っていたという。
  • 続いて、『TokYo,Boy』の企画でもマラソンに挑戦することになり、2008年2月17日の「東京マラソン2008」に出場。しかし、35km地点で時間切れとなり完走には至らなかった。同年7月6日の「ゴールドコーストマラソン2008」にも出場し、6時間51分40秒で完走。初めて制限時間内にゴールした。
  • 2009年3月22日、『TokYo, Boy』の企画として再び「東京マラソン2009」に出場。しかし、スタート地点から約15kmの港区高輪2丁目付近で急性心筋梗塞による心室細動で倒れ、一時心肺停止状態となる。丁度付近で取材していた右松健太が救急車を即座に呼んだ他[18]、伴走していた国士舘大学の救護班がAEDを使用したり、医師団の処置により意識を回復、入院して順調に回復した[19]。その後、入院から12日で退院。「復帰の際には蛯原友里安倍晋三から祝福のコメントが寄せられ、入院中に安否を心配する関係者や芸人仲間などから合計486通ものメールが携帯に届いていた」と述べている。また、松村の退院の模様は通常の報道番組でも取り上げられた。
  • 2011年10月1日放送の「オールスター感謝祭'11秋 芸能界No.1決定戦SP」では、心肺停止以来控えていた「赤坂5丁目ミニマラソン」に久々に参加した。
  • 健康関連のイベントに呼ばれて心肺停止状態の経験談を語ることがある[20]

趣味・嗜好 編集

歴史・大河ドラマ・高校野球・プロ野球に詳しいことで知られている[2]

野球 編集

  • 熱狂的な阪神タイガースファンである父親に影響され、自身も大変な野球好きである[21]
  • 子どもの頃は広島東洋カープが強い時代で、周りはカープファンが多かったが[22]、「自身があまのじゃくな性格から阪神ファンになった。もし大阪に生まれていたら阪神ファンにはなっていなかったと思う」と話している[22]。自身も野球をするようになり、高校時代(軟式野球部)にキャッチャーを務めるが1試合で27盗塁を許した経験を持つ弱肩で「デブ = キャッチャーという固定観念で決められた」などと述べている[8][23]
  • デイリースポーツ』の特命応援団長に任命されており、同紙で連載を持つほか、過去に『週刊ベースボール』ではカラーグラビア見開きで自ら選手の絵も描いていた。
  • 阪神にドラフトで入団する選手に対し、会場や[24]選手の実家に「阪神入団おめでとう 松村」と書かれた大きな花を贈る。球団側から頼まれている訳ではなく、自分の意志により自腹で贈っている。選手も、その花が届く事で「阪神に入団したんだ」と実感するという[25]。ちなみに松村としては俊足タイプの選手に興味を持っており、「野村克也さんもこういう阪神であることを喜ぶだろう」と述べている[26]
  • 阪神以外のプロ球団、また高校野球大学野球に関する知識も相当なもので、阪神以外の球団の試合や春季キャンプにも駆けつけることが多くあり、ファイターズ鎌ケ谷スタジアム由宇球場にも足を運んでいる。かつては、中山秀征率いる草野球チームに初代キャッチャーとして所属していた。また、竜兵会の草野球にも参加しており、出川軍との試合にも竜兵会の一員で出場している。
  • 正月に実家へ帰省する際、知り合いの現役やOBの野球選手を自腹で呼び、近所の子供を集めて無償で野球教室を開いている[25]
  • プロ野球再編問題で球界が揺れていた頃、プロ野球ファンの集会に参加し、12球団、2リーグ制の維持を訴えた。登壇した松村は「プロ野球は皆のもの。渡邉恒雄のものではありません」と名指しで批判発言し、その模様はテレビでも放送された。
  • 世界ウルルン滞在記』では、北米独立リーグフロンティアリーグロンドン・ウェアウルブズ英語版の試合に、松村が代打として出場する模様が放映され、公式記録[27] として残されている。
  • 世代が全く違う飯野雅と交友があり、掛布や川藤、高木らと「桜坂ちゃんねる」に出演、野球に関する対談している。

好角家 編集

  • 野球界のみならず、相撲界にも人脈を持つ。
  • 中野区の自宅アパートの近所に二子山部屋(後の貴乃花部屋)があったことが縁で、貴乃花親方と交流を持つようになった。朝稽古を見学した後、ちゃんこを御馳走になることもあった。貴闘力忠茂とは特に親しく、断髪式でも鋏を入れた。
  • 振分親方のものまねも得意としている。2019年2月、貴ノ岩の断髪式に出席し、「ただ断髪するよりも、呼ばれたからにはお客さんを喜ばせたいと思って」と土俵上で鋏を入れるときも[28]、その後のパーティーでも貴乃花のものまねをして会場を和ませた[29]

テレビっ子 編集

日本史 編集

  • 戦国大名毛利元就中国地方を征服して“中国の覇者”になったが、毛利元就以前の中国地方は戦国大名・大内氏尼子氏が“二大勢力”だった。松村の先祖は“大内氏の家臣”である。
  • その影響で松村は、1997年NHK大河ドラマ・『毛利元就』(主演・中村橋之助)の大ファンとなり、毎週ビデオに録画して見ていて、NHK大河ドラマがきっかけで“大の日本史好き”になり、DJ日本史など歴史関連番組や企画に多数出演。全国の歴史に関するイベントにもパネラーとして参加している[30][31]。自宅の本棚には多数の“歴史の本”がずらりと揃えられている。

描画 編集

  • 高田文夫の勧めで阪神の歴代選手を題材にした絵画製作にも力を注いでいる。
  • デイリースポーツや週刊ベースボールではコラムとともに紹介され、2000年には1冊の本にまとめた画集『愛しの虎 松村邦洋の阪神タイガース応援日記』(太田出版)、2004年にはカレンダー『松村邦洋・阪神タイガース画集 2004年度カレンダー』を発表している。

ものまね 編集

  • ものまねに関しては「似てる・似てないは関係なく、その人を好きになることが大事」と語っている[32][33]堺雅人など全く逆の声質の有名人のモノマネが出来る。有名人であるモノマネであっても、弔辞(上岡龍太郎から横山ノックへ、古舘伊知郎から放送作家・腰山一生へ、など)を切り取り、結果としてマニアックな内容になってしまうこともある。最初にやったモノマネはドラマ『3年B組金八先生』の加藤優で、これは自信作と言っていたが、当の本人がどこかに行ってしまったと語る。のちに、直江喜一本人から、『金八先生ファイナル』に15年ぶりの出演にあたり、「加藤ってどうやるの?」と相談され、松村が本家に演技指導したほか、金八ファイナル終了後は金八ファンの為に直江と動画サイトで共演している。現在、直江は松村と同じ中野区に住んでおり、コロナでダウンした時は、夫婦で見舞いに来てくれたという。
  • 出川哲朗は無名時代からやり続けている十八番ネタであるが、出川が有名になった途端、多数の芸人が出川のモノマネを始めてしまったと語る。
  • ものまねの対象とする有名人には、お中元とお歳暮をよく贈っている。津川雅彦西田敏行に違いを指摘されていたが、お中元を贈った所、本家が松村に合わせるという本末転倒なことになった。津川を「シャレのわかる人」と評している。モノマネ中にしきりに顔を振るのだが本人は実際あまり顔を振らないので、『松村ちゃん、僕はそんなに顔を動かさないよ』と注意したらしいが、松村がお中元とお歳暮を贈ったところ、津川が松村の気持ちに応えるように顔を上下に動かしながら「これで良いのかな?」と松村に語り、本家がモノマネ芸人に合わせるという、くだけた優しい一面を見せたという他、津川に色々と面倒見て貰ったと言う[34]。また、津川から「西田は似てるけど、僕は似てない」と言われ、反対に西田も「津川は似てるけど、僕ははあんな笑い方しない」と言われてネタにしている。[35]
  • 中尾彬のモノマネをやるにあたり、事前に中尾にお中元を贈ってからモノマネを始めたところ、中尾は妻の池波志乃に「松村のモノマネが一番似てるねぇ」と言っている。野村克也が「松村が出ているなら番組に出る」と出演依頼を快諾したこともあった。また、ビートたけしは「どんどんやってくれ」と言っていた他、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』のロケの時に、リアクションが上手く取れなかった松村にリアクションの取り方をマンツーマン指導したことがあり、「バイク事故を起こした時の顔」のものまねをした時には、「表情が左右逆だ」と指摘をしたこともあった[36]他、北野武とビートたけしを演じ分けもでき、今と昔の違いも出来るので、渡部陽一は「武のモノマネは松村の右に出る者は居ない」と言うほどレベルが高い。
  • そのほか、小泉純一郎貴乃花光司小泉孝太郎花田優一から絶賛する程似ていると評されている。
  • 本人が芸能界きっての歴史好き、大河ドラマ好きであることもあり、糸井重里が提案し、イベント『ほぼ日刊イトイ新聞ニッポン放送 presents 「ほぼ織田信長のオールナイトニッポン 〜本能寺の変スペシャル〜」』を開催した[37]。松村がビートたけしの声真似のまま、織田信長になりきって本能寺の変の直前に、本能寺をキーステーションにオールナイトニッポンを放送するというもので、その後松村の持ちネタとなっている。
  • 自身のモノマネの歴史をプロジェクトXの要領で披露する『松村ものまねプロジェクトX』というネタもある。
  • アウトレイジ ビヨンド及びアウトレイジ 最終章のDVD&Blu-ray発売のCMでは、出演者全員の声をアテレコし、緊迫したシーンに松村がそっくりのモノマネで宣伝していくという松村にしか出来ないCMで話題を呼んだ。本人と間違われないためにワイプで松村が出演している。
  • 「ものまね紅白」等で共演しているコージー冨田は、松村の普段の話し方をものまねレパートリーに加えている。

ものまねレパートリー 編集

注釈なきものは事務所の公式プロフィール[1] に掲載されているもの。オビスポ森光子などといった一部のレパートリーはビバリー昼ズなど、披露する場が限られている[38]。アスリート、役者、議員が中心。浅香の前でモノマネを披露した際には、本人からメガネをもらっている。木村拓哉はトークとかは似ているが容姿が全然違うため、キムタクファンから「ふざけるな」とクレームが来ると言う。本人と共演した時は本人を「松村」と呼び「ニセモノ」扱いする事もある。

レパートリーは約150(「お願い!ランキング」2012年2月11日「最新のランキング」より)。

出演 編集

テレビ番組 編集

レギュラーおよびゲスト出演の多い番組 編集

過去に出演・終了した番組 編集

ラジオ番組 編集

現在出演中の番組 編集

過去に出演した番組 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

Vシネマ 編集

  • テクニカル・ヴァージン(1990年)
  • パチンコ・バトル・ロワイアル
  • パチンコ・バトル・ロワイアルII
  • 湘南純愛組! - 理容師 役
  • 借りなきゃバウバウ〜天下の御迷惑人・松村邦洋(1993年)

インターネット配信番組 編集

Webドラマ 編集

テレビアニメ 編集

  • ヤッターマン 第26話「歴代三悪オールスター勢揃いだコロン!」(2008年12月1日、読売テレビ) - 本人、コーコーキュージ 役(2役)

CM 編集

MV 編集

ビデオ教材 編集

  • 「自てん車安全大作戦!歌おう!ぼくらの交通安全」(警察庁交通局監修)

作品 編集

著書
  • マツムラ―天然松村邦洋解禁!!(太田出版、1993年)
  • ためにならない本(読売新聞社、1995年)
  • デブの真実(角川書店、1996年)
  • 愛しの虎 松村邦洋の阪神タイガース応援日記(太田出版、2004年)
  • 武将のボヤキ 松村邦洋のお笑い裏日本史(武田ランダムハウスジャパン、2010年)
  • 東京右側「笑芸」さんぽ(高田文夫との共著、講談社、2017年、ISBN 978-4-06-220698-3
  • 松村邦洋の高校野球ベストバウト(洋泉社、2018年)
  • 松村邦洋「鎌倉殿の13人」を語る(プレジデント社、2021年)
  • 松村邦洋 今度は「どうする家康」を語る(プレジデント社、2022年)
  • 松村邦洋 まさかの「光る君へ」を語る(プレジデント社、2023年)
文庫解説
画集
個展
  • 松村邦洋似顔絵展(2007年12月12日 - 2008年2月3日、筆の里工房
  • 九州産業大学OB 松村邦洋似顔絵展 -可能性へのメッセージ-(2008年9月8日 - 2008年11月3日、九州産業大学美術館)
  • 高田文夫プロデュース 松村名人会(2011年7月29日 - 8月7日、GALLERY工)

CD 編集

シングル
  • ピロピロダンス(1993年)
  • 冬場のI LOVE YOU(1995年)明星食品「一平ちゃん」CM曲。「一平ちゃんとれいこちゃん」としてかとうれいことデュエット。
  • それでいいのだ!(1998年)「K・松村」名義。
  • 負ける気せんね 〜野村阪神応援ヴァージョン〜(1999年)森たけしとデュエット。
  • 嵐は西から(2003年)「Tigers Freaks Band」として。
アルバム

DVD 編集

  • 熱烈!!トラトーク(2011年)
  • 泣き虫先生の7年戦争 スクール☆ウォーズ(2019年)映像特典「スペシャル座談会」

ゲームソフト 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 実際に当日に婚姻届を出し、暫く時間を空けて離婚届を提出した。
  2. ^ エキストラ出演。廊下を走った所を北尚明(演:金田明夫)に「廊下を走らない」と注意される生徒役で出演

出典 編集

  1. ^ a b c d 松村邦洋 太田プロダクション
  2. ^ a b c d e 山口県/広報広聴課/インタビュー「山口ゆかりの人々」第6回松村邦洋さん(2013年2月14日掲載)
  3. ^ a b 松村邦洋のタメにならないチャンネル YouTubeランキング”. ユーチュラ. 2022年7月30日閲覧。
  4. ^ 山口ふるさと大使を紹介”. 山口県. 2023年6月5日閲覧。
  5. ^ 広報たぶせ 平成29年5月12日号” (PDF). 田布施町. 2023年6月5日閲覧。
  6. ^ スペシャルインタビュー「夢破れて、お笑いあり 〜ボクたちのフィールド・オブ・ドリームス〜」”. 太田プロダクション公式サイト. 2014年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月5日閲覧。
  7. ^ モノマネの第一歩は、相手を好きになって、その人に夢中になることです”. エレベータメンテナンス事業協同組合 (2003年1月1日). 2017年8月6日閲覧。
  8. ^ a b 松村邦洋の恋バナ暴露に宮本和知氏焦る!「そんなことどうでもいいじゃないですか」”. 芸能ニュースラウンジ (2012年11月9日). 2014年5月5日閲覧。
  9. ^ 堺雅人の温かい一言に松村邦洋が感激。「セリフが多くて御迷惑をお掛けしてませんか?」”. エンタがビタミン♪ (2013年12月17日). 2014年1月2日閲覧。
  10. ^ 小枝、松村らが「ナイトスクープ」卒業”. サンケイスポーツ. 2013年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月7日閲覧。
  11. ^ 松村邦洋 YouTubeチャンネル開設!!!”. 太田プロダクション (2020年8月20日). 2020年12月30日閲覧。
  12. ^ 「マツムラ」(自著)第1章・青雲篇 。
  13. ^ 松村邦洋、『電波少年』の企画でバツイチになっていた!エピソードがブッ飛びすぎwwwAOLニュース、2016年4月5日 18時0分。
  14. ^ 近藤耕平 意外な才能にビックリ! 松村邦洋の似顔絵展が開催 福岡ウォーカー 2008年8月29日 15時38分 配信
  15. ^ 松村邦洋が阪神藤浪らを描いた絵を出品 2015年7月8日11時45分 日刊スポーツ
  16. ^ a b 松村邦洋、脱デブタレ宣言…31キロ減に成功”. 夕刊フジ ZAKZAK (2006年6月12日). 2014年5月5日閲覧。
  17. ^ “松村邦洋、8ヶ月で30キロ減量に成功「草野球やりたい!」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2017年9月13日). https://www.oricon.co.jp/news/2097165/full/ 2017年9月13日閲覧。 
  18. ^ 当日の『真相報道 バンキシャ!』でもこの事項が伝えられた。
  19. ^ “松村邦洋、東京マラソンで一時心肺停止”. nikkannsports.com. (2009年3月23日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090323-474214.html 2010年5月6日閲覧。 
  20. ^ ふれあい健康フェスティバル”. 名古屋徳洲会総合病院 (2016年10月31日). 2016年11月11日閲覧。
  21. ^ 19歳差婚の井戸田潤「そこにほれた」デート中自身の“ピンチ”救った妻・蜂谷晏海の行動とは”. 日刊スポーツ (2022年9月12日). 2022年9月12日閲覧。
  22. ^ a b 「プロ野球情念の天敵対決 松村邦洋・タイガースを語りまくる!」「別冊宝島」1517号、2008年、宝島社、pp.109-111 ISBN 978-4-7966-6289-5
  23. ^ 松村邦洋さんが柳井市の国体イベントに出演![8月11日]”. 山口県公式サイト. 2014年5月5日閲覧。
  24. ^ 阪神ドラ2・門別 指名あいさつでプロ入り実感「甲子園でタテジマを着て活躍したい」”. デイリースポーツ online (2022年10月25日). 2022年10月25日閲覧。
  25. ^ a b 「アメトーーク!」 2013年7月11日(木)放送内容”. 価格.com (2013年7月11日). 2014年5月5日閲覧。
  26. ^ 松村邦洋、結婚発表の井戸田潤を祝福…かと思いきや11日が誕生日だった倉持明日香にまず花束”. 日刊スポーツ (2022年9月12日). 2022年9月12日閲覧。
  27. ^ Kunihiro Matsumura Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-refernce.com. 2014年9月13日閲覧。
  28. ^ 元貴ノ岩断髪式に松村邦洋が登場 元貴乃花親方のモノマネをしながらはさみ入れる(デイリースポーツ) - goo ニュース”. gooニュース (2019年2月3日). 2019年2月3日閲覧。
  29. ^ 元貴親方が来ない断髪式 モノマネで沸かす松村邦洋|BIGLOBEニュース”. BIGLOBEニュース(2019年2月2日). 2019年2月3日閲覧。
  30. ^ 松江城天守国宝指定記念シンポジウム『松江城再発見〜天守・城・城下町〜』【大阪会場】”. 島根県 (2015年12月8日). 2016年11月11日閲覧。
  31. ^ 福知山城天守閣再建30周年記念「丹波福知山明智光秀サミット」を開催します”. 福知山市 (2016年4月13日). 2016年11月11日閲覧。
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外部リンク 編集