柳沢 時睦(やなぎさわ ときちか、元禄9年6月12日1696年7月10日) - 寛延3年4月24日1750年5月29日))は、甲斐甲府新田藩主、のち越後三日市藩の初代藩主。将軍綱吉のいわゆる「側用人」で甲斐甲府藩主である柳沢吉保の五男。母は吉保側室正親町町子(あるいは田中氏)。兄弟に経隆ほかがいる。官位従五位下式部少輔通称は左門。

誕生の年、将軍徳川綱吉の柳沢邸御成の時に御目見し、元禄14年(1701年)に松平姓を名乗ることを許される。宝永6年(1709年)、経隆とともに吉保から甲斐山梨郡八代郡内に1万石を分地されて帝鑑間詰の甲府新田藩主となった。享保9年(1724年)、柳沢氏の大和郡山転封に伴い、時睦も越後三日市に移封される。まもなく藩主を弟の保経に譲って隠居した。寛延3年(1750年)に死去した。

系譜 編集

父母

養子