江都公主(こうとこうしゅ、? - 1403年3月30日永楽元年3月8日[1]))は、の懿文太子朱標の嫡出長女。建文帝の嫡姉(異母姉)。

江都公主
続柄 建文帝

称号 江都郡主(追贈:江都公主)
身位 公主→郡主
死去 永楽元年3月8日1403年3月30日
父親 懿文太子朱標
母親 太子妃常氏
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経歴 編集

太子妃常氏の娘として生まれた。初め、江都郡主の位を授けられ、洪武27年(1394年)に耿璇(長興侯耿炳文の長男)と結婚した。建文元年(1399年)、公主の位を授けられた。

耿璇は建文帝に忠誠心を示し、燕王朱棣(後の永楽帝)を粛清するよう説得した。これが永楽帝の怒りに触れて、その即位後すぐの永楽元年(1403年)、一族もろとも処刑された。江都公主は郡主に降格され、間もなく急死した。

南明において弘光元年(1645年)、公主に追復された。

伝記資料 編集

  • 『東宮妃常氏墓志』
  • 『常氏家譜』
  • 『明成祖実録』

脚注 編集

  1. ^ 『明成祖実録』卷18