河内 淳一(かわうち じゅんいち(芸名:河内 淳貴(かわうち じゅんき))、1958年4月24日 - )は、日本ギタリスト作曲家編曲家歌手音楽プロデューサー

河内 淳一
別名 河内 淳貴
生誕 (1958-04-24) 1958年4月24日(66歳)
出身地 日本の旗 日本東京都台東区浅草
ジャンル ロックAOR
職業
担当楽器 ギター
活動期間 1973年 -
共同作業者 KUWATA BANDFIANCHI

東京都台東区浅草出身。愛称は“JUN-BOH”。

人物・エピソード 編集

小学校3年生の時に初めてギターを手にする。

その後熱中する本人に両親からの「この子は長続きさせられないだろう」の一言で火が付き猛烈に勉強しテクニックを向上させていく。

1970年代から80年代のロックを愛し、特にウエストコースト系を好む。フェイバリットアーティストは元シカゴビル・チャンプリン

演奏できるジャンルはメインのAOR・ハードロックから歌謡曲・インストゥルメンタルなどである。

ポルシェの大ファンで、自身もオーナー経験がある。

趣味はスキューバウェイクボードお酒パソコン

履いている靴は季節を問わずほとんどカウボーイブーツである。

芸名は1994年から使い始めたが2003年からは本名に戻した。

活動の概要 編集

スタジオ・ミュージシャンとして始動〜1985年まで(第1期) 編集

この期間に参加した歌手・アーティスト

KUWATA BANDでの活躍(第2期) 編集

ソロアーティストとしても活動開始(第3期) 編集

拠点を関西に移してTHE TRIPLE Xの結成とボランティア活動(第4期) 編集

  • 大人が楽しめるハードロックを演りたい、という構想を持っていた桑名正博と結成したバンドである。在籍時には3枚のアルバムをリリースし、ライブも全国展開で精力的に行った。
  • 桑名指揮のチャリティ活動にも携わり、連名で日本車いすバスケットボール連盟歌「Wan't You Have a Seat-座ってみないか?」の制作やドイツ国際平和村支援CDを西城秀樹松本孝弘河村隆一らも交えて制作、「ハートエイド」名義で発表もした。
  • 合間をぬってソロライブも行う。1999年には数回にわたりROMA CAFEで披露し、自身のオリジナル曲や広く知られる洋楽に加え安室奈美恵の「Don't wanna cry」や「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌も演奏した。また香西かおりを特別ゲストとして招き「Desperado」をセッションした。
  • 2002年のカウンダウンライブにてバンド活動の停止を宣言する。なお、2009年の8月から再開したがギターは他のギタリストにメンバーチェンジされている。

再度東京から〜現在(第5期) 編集

  • 2003年以降
    • 新譜制作等を一旦休止し、自身のライブのほか、他アーティストのサポートや新人バンドのプロデュース等も展開する。
    • 新井田耕造ユニットに参加、この流れで阿部まさしの楽曲「YO・A・KE〜龍馬飛翔〜」のギターも担当する。
    • 2006年3月には、新川博のバンド「FIANCHI」に参加(プロデュース業が多忙の為に半年間のみ在籍)、同名のアルバムをリリースしている。
    • 2019年4月には、千葉県松戸市のライブハウスの店長兼エンジニアに就任[1]

他アーティストへの参加 編集

その他多数

その他の参加 編集

  • キン肉マン・「ファラオの呪い(ミスターカーメンのテーマ)」にボーカルとして参加。
  • 太陽の使者 鉄人28号のサントラ、および主題歌などを担当するギミックのボーカルとして参加。
  • 岡本綾子:Rhythm Imagination Sound『Swing'S』にギターとして参加。
  • マクロス7』・『マクロス ダイナマイト7』に登場する架空のロックバンドFire Bomberの楽曲を多数手掛ける。『発表!全マクロス大投票』の歌部門で3位(作品別、総合とも)を獲得した「突撃ラブハート」などを生み出し評価されている。これらの楽曲は松原正樹のスタジオで、打ち込みで全ての楽器を河内一人で演奏している。

脚注 編集

出典 編集

外部リンク 編集