牛島省三

日本の内務・警察・朝鮮総督府官僚、実業家

牛島 省三(うしじま しょうぞう、せいぞう[1]1883年明治16年)3月[2] - 1940年昭和15年)10月14日[3])は、日本内務警察朝鮮総督府官僚実業家。官選茨城県知事

牛島省三

経歴 編集

鹿児島県出身[2]薩摩藩士牛島実満の二男。父は明治維新後、東京に住し、陸軍中尉として近衛連隊に勤務していたが、弟の満が生まれる半年前に死去。5歳の時に母に連れられて鹿児島に転居[要出典]。弟は沖縄軍司令官として有名な陸軍大将の牛島満である[4]。省三は、第七高等学校造士館を卒業。1910年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県試補となる[2][5]

以後、兵庫県警視、同県美嚢郡長、鳥取県理事官山口県警察部長、熊本県警察部長、兵庫県警察部長、石川県書記官・内務部長、長野県書記官・内務部長、大阪府書記官・内務部長、警視庁警務部長などを歴任[2]

1929年7月、茨城県知事に就任。政府の財政緊縮方針に沿った予算編成を行う。県立学校の経費削減を行うと共に社会教育・補習教育の充実を図り、また、トラホーム予防にも取り組んだ[2]1931年6月、朝鮮総督府学務局長に転任。同年9月、同内務局長に異動し1936年5月まで在任[6]。同年に退官した[5]

その後、京春鉄道 (株) 社長、朝鮮重工業 (株) 社長を務めた[2]

伝記 編集

  • 牛島省三君追想録編集員編『牛島省三君追想録』牛島省三君追想録編集員、1941年。

脚注 編集

  1. ^ 『牛島省三君追想録』135頁。
  2. ^ a b c d e f 『新編日本の歴代知事』249頁。
  3. ^ 読売新聞』1940年10月15日朝刊、7面の訃報より。
  4. ^ 『牛島省三君追想録』
  5. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』200頁。
  6. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』131-132頁。

参考文献 編集

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『沖縄戦に自衂せる牛島満君之面影』遠矢良知、1954年。非売品