私の青空 (歌)

アメリカのポピュラー・ソング

私の青空』(わたしのあおぞら、My Blue Heaven)は、作曲:ウォルター・ドナルドソン、作詞:ジョージ・A・ホワイティングジョージ・ホワイティングとは別人)のポピュラー・ソングである。

概要 編集

この歌は1927年にアメリカで出版され、1928年クルーナー(低い声で感傷的に歌う歌手)であるジーン・オースティン英語版の歌唱で大ヒットし、26週間に渡りチャートの13位以内にランクインし、500万枚を超える売上を記録した[1]

この歌はそれ以来スタンダード・ナンバーとなっている。ヒットしたのは1935年ジミー・ランスフォード英語版による録音と、1957年ファッツ・ドミノによる録音で、後者はビルボード誌のチャートで19位に達した。

1927年12月16日にNHK東京放送局 (JOAK) の番組内でJOAKジャズバンドによる演奏で流れ(器楽曲)、1930年2月21日に青木晴子の独唱によって歌入りで流れた[2]

日本語版 編集

1928年9月、堀内敬三が訳詞した「青空」は、二村定一天野喜久代の歌唱によりコロムビアから発売された。「アラビヤの唄」とカップリングで発売され、20万枚以上を売り上げる[3]ヒットとなった。ビクターから発売された二村定一ソロによるバージョンもある。SP盤には戦前の表記『あほ空』とレーベル印刷されている。このため21世紀の今日に至っても、ファンは親しみとユーモアをこめてわざわざ「AHOZORA」と発音する例が少なくない。

他には、榎本健一高田渡などが唄ったものが有名。榎本健一のモノマネで財津一郎が歌っていることでも有名。

堀内敬三の訳詞は家族の団欒、夕暮れに家路へと着くひとときを唄っている。歌詞の一節、「狭いながらも楽しい我が家」はマイホーム主義のはしりともいわれ[4]、暖かい家庭を表す言葉として、歌を離れても随所で使われている。

榎本健一は、1936年の映画『エノケンの千万長者』の挿入歌としてオリジナル訳詞の「きゅうくつな我が家」を歌った。このバージョンは2003年発売のCD『エノケンのキネマソング』に収録。

また、二村定一歌唱の作品が1970年ロバート・アルトマン監督のアメリカ映画M★A★S★H マッシュ」の挿入歌に使用された。

1961年山下敬二郎がLP『しゃれ男』(東芝音楽工業 JPO-1096)でカバー。

2000年関口和之feat.竹中直人がウクレレ(関口)と口笛(竹中)の演奏でカバーした。アルバム『口笛とウクレレ』に収録。

2008年公開の映画『うた魂♪』劇中には、主人公らが喫茶店で榎本健一の「エノケン芸道一世」に収録されているこの歌を聞き、合唱するという場面がある。伊武雅刀が「私の青空 MY BLUE HEAVEN~CHEEK TO CHEEK」としてカバー。2008年発売のアルバム『伊武のすべて』に収録。

2010年石川さゆりがカバーした。アルバム『感動の名曲をふたたび』に収録。

2016年大滝詠一がカバーした。1997年に通称“ナイアガラ・リハビリ・セッション”として録音されていた一番とリフレインをオリジナルの英語詞で二番を堀内敬三が訳詞した日本語詞で歌っている。アルバム『DEBUT AGAIN』の初回限定盤の初回限定ボーナスディスクに収録。CD化に際して『山下達郎のサンデーソングブック』(TOKYO FM)でオンエアーした音源とは異なるミックスが施されている。

主なカヴァー 編集

My Blue Hevaven

脚注 編集

  1. ^ CD liner notes: Chart-Toppers of the Twenties, 1998 ASV Ltd.
  2. ^ 南博(編)『日本モダニズムの研究 思想・生活・文化』ブレーン出版、1982年、243頁。ISBN 4-89242-108-1
  3. ^ 南博(編)『日本モダニズムの研究 思想・生活・文化』ブレーン出版、1982年、262頁。ISBN 4-89242-108-1
  4. ^ 南博(編)『日本モダニズムの研究 思想・生活・文化』ブレーン出版、1982年、262-263頁。ISBN 4-89242-108-1