紀元前371年(きげんぜん371ねん)は、ローマ暦の年である。

世紀 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀
十年紀 前390年代 前380年代
前370年代
前360年代 前350年代
前374年 前373年 前372年
紀元前371年
前370年 前369年 前368年

当時は、「執政武官執政官もいない5年目の年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元383年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前372年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法 編集

できごと 編集

ギリシア 編集

  • 新たな和平会談がスパルタで開催された。その席で、スパルタ王アゲシラオス2世は(アテナイの支援を受けて)、テーバイボイオーティア全域を代表して署名することを認めなかった。ボイオーティア連合を代表する5人の行政長官ボエオターチ (boeotarch) のひとりであったテーバイの将軍で政治家のエパメイノンダスは、テーバイの立場を譲らず、結局、和平協定からテーバイは排除された。
  • 和平会談の場におけるテーバイの振る舞いは、スパルタとテーバイの間で戦いを引き起こすことになった。スパルタは、テーバイの西部境界に軍を展開し、外交的勝利を確保するため、軍事的攻撃を潰そうと手ぐすねを引いていた。しかし、レウクトラの戦いでテーバイの将軍たち、エパメイノンダスペロピダスは、もうひとりのスパルタ王 クレオンブロトス1世が率いたスパルタ軍に対して決定的な勝利を得、クレオンブロトス1世は戦闘中に戦死した。この戦闘でエパメイノンダスは、最初に、敵方の最も弱いところではなく、最も強いところに、圧倒的な戦力を集中して攻めかかる、という革新的な戦術を用いて勝利を得た。この戦いの結果によって、ボイオーティア連邦は救われた。
  • テーバイがより攻撃的になることを恐れていたアテナイは、テーバイの勝利を歓迎しなかった。スパルタに対する勝利の後、テーバイはペルシア帝国との同盟関係を復活させた。
  • スパルタがテーバイに予想外の敗北を喫したことで、アルカディアは再び独立した。アルカディア人たちはマンティネイア (Mantineia) を再建し、アルカディア同盟 (Arcadian League) を結んで、新たな連邦都市としてメガロポリス (Megalopolis) を建設した。
  • アゲシポリス2世が、父クレオンブロトス1世の後を継いでスパルタ王となった。

中国 編集

  • を攻撃し、魯陽を奪った。

天文学 編集

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

関連項目 編集