美濃囲い

将棋の囲いの一つ
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美濃囲い(みのがこい)は、将棋囲いの一つで、主に振り飛車戦法で用いられ、先手でいえば玉将を2八の位置に、右の銀将を3八の位置に、左の金将を5八の位置に動かして作る囲いである(右金はそのままの位置)。通常の美濃囲いを本美濃(ほんみの)と呼ぶこともある。

美濃囲いは居飛車における矢倉囲いと並んで代表的な囲いである。


長所と短所 編集

△持ち駒 金
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構えが低く横からの攻めに強いため、居飛車に対して有効な囲いである。例えば、自陣の囲いと反対側から飛車を成り込まれたり、飛車を打ち込まれたりしてもすぐには寄らないため、美濃囲い側は敵陣を攻める時には飛車を切るような激しい戦いもできる。

しかし上部や端からの攻めに弱い上、玉のある位置に利いている駒がないため、一旦上部を破られると2八に駒を打たれて受けがなくなる弱点がある。なので3六に桂馬を捨てられると、相手の角筋を素通しにせざるを得なくなる。このため端歩をつかない形(俗に棺桶美濃と呼ばれる)に有名な頓死がある(右図は△3六桂と打たれた局面。この局面では手遅れであり、先手玉の逃げ場所は▲1八玉と▲3九玉の2ヶ所のみ、いずれも△2八金までの即詰みとなってしまう。また端歩を突いている形でも角のにらみを生かして△3六桂と打たれるとあっという間に寄ってしまいやすい)。また玉に紐がないことから、一旦王手がかかると為す術もなく即詰みもしくは一手一手の寄りとなってしまいやすい。

居飛車側が舟囲いの場合は堅さで大きく上回ることができるが、穴熊囲い居飛車穴熊)に比べると堅くない。

名称の由来 編集

美しい美濃国の城にちなんでこの名前が付けられた(または岐阜城にちなんで織田信長が命名した)とされるが、東公平の研究によれば、江戸時代の美濃国出身の棋士が創始したからであるという説が江戸時代には一般的であったという[1]。東によれば以下の二説が存在している。

  • 美濃の音通和尚が始めた囲いであるから、美濃囲いという。
  • 美濃出身の松本紹尊七段が始めた囲いであるから、美濃囲いという。

また、「三枚の金銀を「三布」に見たてた」という見解もある[2]

歴史 編集

振り飛車戦法は江戸の時代からアマチュア棋士に人気であったが、美濃囲いはなかなか現れず、1765年(明和2年)に、ようやく左香落ちの上手の形として棋譜が残る[3][注 1]。またこの時代には既に居飛車側の左美濃も見られている[4]。平手における通常の振り飛車美濃囲いはさらに半世紀経った1821年(文政4年)の棋譜に登場する[5]

この後将棋界は居飛車の大流行を見、振り飛車もあまり指されなかったが[6]、1950年頃以降、大野源一らの活躍により再評価がなされていき[7]、それと同時に美濃囲いも市民権を得ていった。当の大野は1954年の自戦記で、振り飛車は飛車を振る一手が損な上に角道を止めるため守勢に陥りやすいが、美濃囲いが他の囲いに比べて遥かに堅固であり左翼を突破されてもすぐには玉に響かないため、また捌きを重視する自身の棋風に相応しいため、この戦法を用いていると語っている[8]

美濃囲いの派生形・変形 編集

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玉側の端歩を突くかどうか任意であるが、対抗型では玉の逃げ道の確保や居飛車穴熊対策などに端歩を突くことが多く、突き越すこともある。それに対し、相振り飛車では端歩を突くと却って相手からの端攻めを誘発するため端歩は突かない。玉側の端歩を突かない形の美濃囲いは棺桶美濃と呼ばれる。

左金の代わりに左銀が参加する形は銀美濃(ぎんみの)と呼ばれる。通常の美濃囲いに比べ金銀相互の連絡は良いが、手数がかかる上、左銀の横腹が弱点となるなど欠点が多く、あまり使われる形ではない。

金銀が1つない美濃囲いは片美濃(かたみの)と呼ばれる。堅さには欠けるが、左金を用いて攻めを強力にすることができる。中飛車では5八(後手では5二)に飛車があるため、美濃囲いに囲おうとすると必然的にこの形になる[注 2]。また金美濃はこの形より上部に強いが、下段からの攻めには弱くなる[9]

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美濃囲いの4七の位置に左銀をおいたものは、金銀の連携の形からダイヤモンド美濃と呼ばれる。金銀4枚で囲うため非常に堅い。

美濃囲いから数手進めて左金を4七の位置へ進めた形を高美濃(たかみの)という。横の堅さを維持したまま上部からの攻めにも対応しているが、玉頭はまだ弱い。堅さを高めるとともに、攻めへの活用も視野に入れて3七の位置に桂馬を跳ねるのが普通だが、端がさらに弱くなる欠点もある。この形では3六歩と5六歩を突いていないと4七金が桂馬で狙われるため、特に3六歩は金上がりに先んじて突かれることが多い。

高美濃囲いからさらに手を進め、銀を2七の位置へ、右金を3八の位置へ進めると銀冠(ぎんかんむり)という囲いになる。上部からの攻めに手厚い囲いであるが、玉の堅さより玉の(上部の)広さに重点を置いた囲いであり、終盤の寄せ合いに強い。3七に桂馬を上げるとさらに上部に手厚く攻撃的な形になるが、下段が薄くなるため敢えて桂馬を跳ねないことも多い。大山康晴十五世名人は銀冠では決して桂馬を跳ねるべきではないと主張していた。また、銀を上がった瞬間の形が極端に弱いため、上がるタイミングを誤ると一気に崩される可能性もある。高美濃囲いを経由せずに、金が3八と4八にあるものも銀冠と呼ぶ。通常の銀冠よりも短手数で組め、下段からの攻めに強い。

銀冠から穴熊に潜った形を銀冠穴熊という。通常の銀冠よりも、玉が戦場から遠くなるという利点がある。また、4八金型から穴熊に潜り、2八金、3八金寄と締めた形もそう呼び、3八金.4七金型より堅い。

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2筋の歩を突き、居飛車と思わせてから飛車を振る(陽動振り飛車)場合、片美濃囲いや本美濃囲いに組んでも2筋の歩が突かれた状態が残る。この歩を玉のちょんまげに見立てて、加藤治郎は「ちょんまげ美濃」と命名した。銀冠などに発展させることにより、ちょんまげは消滅する。また、玉頭に歩が無い形は坊主美濃とよばれ、ひねり飛車などの戦型で現れる。歩が無いため、片美濃囲いよりもはるかに玉頭が弱く、玉が3九に居ることも多い。堅さを望む場合には2七に持ち歩を打ち、普通の片美濃囲いにすることもある。

また木村義雄香落ち戦で多用した囲いが木村美濃(きむらみの)である。平手戦でもツノ銀中飛車戦法や雁木戦との相性が良い。美濃囲いよりも矢倉囲いに近いと考える者もいる。『将棋世界』2022年10月号の記事「将棋世界1000号記念・将棋世界クロニクル」(執筆:小笠原輝、P.46)では、「カニ囲い」「箱入り娘」「流れ矢倉」などとともに、『将棋世界』1947年2月号、3月号での「駒組名称募集」の読書投票で囲いの名前が決まったと記述されている。

左美濃 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 同書によれば当時は銀は3段目に上がって使う物との意識が強く、なかなか銀が2段目に収まる美濃囲いにはならなかったのではないかと言う。
  2. ^ 6九の左金を5九に寄せる、飛車を5九に引いてから左金を5八→4七と動かして高美濃にするといった駒組みは可能である。

出典 編集

  1. ^ 東公平「甦る江戸将棋」(『近代将棋』2006年4月号96-100頁掲載)
  2. ^ 塚田泰明・横田稔『序盤戦!!囲いと攻めの形』(高橋書店、1998年)36頁
  3. ^ 湯川 (2005) p.176
  4. ^ 湯川 (2005) pp.178-181
  5. ^ 湯川 (2005) p.184
  6. ^ 湯川 (2005) p.192, p.198。
  7. ^ 湯川 (2005) pp.203-
  8. ^ 湯川 (2005) p.211 - 『将棋世界』 1954年9月号よりの孫引き。
  9. ^ 原田泰夫 (監修)、荒木一郎 (プロデュース)、森内俊之ら(編)、2004、『日本将棋用語事典』、東京堂出版 ISBN 4-490-10660-2 pp. 66

参考文献 編集

関連項目 編集