自由党 (大韓民国)

大韓民国の政党

自由党(じゆうとう)は、第一共和国時代の韓国に存在した政党である。李承晩大統領与党として、1952年に行われる大統領選挙を戦うために1951年12月に結成された。

大韓民国の旗 韓国の政党
自由党(チャユダン)
자유당
党首 李承晩
創立 1951年12月17日
解散 1960年5月29日[注 1]
前身政党 大韓国民会
大韓青年団
大韓独立促成全国労働総同盟
農民組合総連盟
大韓婦人会
後継政党 院内自由党
民主党
本部所在地 大韓民国ソウル特別市鍾路区
政治的思想 一民主義
保守主義[1]
反共主義[1]
権威主義
軍国主義
経済的自由主義
政治的立場 右翼
国会議席
114 / 203
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大韓民国の選挙
自由党
各種表記
ハングル 자유당
漢字 自由黨
発音 チャユダン
英語 The Liberal Party
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概要 編集

朝鮮戦争直前に行なわれた1950年5月第2代総選挙で反李承晩の姿勢を明確にした中間派と南北協商派が国会の多数議席を占めたことで、現行の国会議員による間接選挙での再選が危うくなった李承晩は、自身を支持する政党を結成した上で、選挙制度を間接選挙から国民の直接選挙制に改正する必要性に迫られた。そして、李承晩は1951年8月15日の光復節祝辞を通じて政党を組織するという立場を明らかにして、8月25日に新党組職に関する談話文を発表した。8月31日に、駐大使であった李範が帰国して、李承晩は李範奭に自由党創党を任せた。この事を受けて李範は、自身の盤石な支持組織である朝鮮民族青年団の基盤を利用して、最も組職が大きい 5つの社会団体(大韓国民会、大韓青年団、大韓独立促成全国労働総同盟、農民組合総連盟、大韓婦人会)を自由党傘下機関団体[注 2]として編入させた。

こうして1951年12月17日、李範を中心にした自由党(院外自由党)が誕生した。しかし、憲法改正を巡って院外勢力と院内勢力が対立、同年12月23日に少壮派議員達が中心になったもう一つの自由党(院内自由党)が誕生した。1952年に行われた地方議会議員選挙に立候補・当選した自由党員の多くは院外自由党であった。憲法改正を巡る問題で李承晩と袂を分かつことになった院内自由党の勢力は、「合同派」(院外自由党への合流を希望)と「残留派」に分裂、合同派は院外自由党に吸収され、1952年7月4日の抜粋改憲案可決後、「自由党」に再編された。

そして残留派は野党民主国民党と共に1955年に「民主党」を結成し、党内で新派勢力を形成した。第二共和国において国務総理を務めた張勉は新派のリーダ的存在であった。彼は李承晩政権初期に駐米大使や国務総理を務めるなど政府の一員として活動していたが、釜山政治波動をきっかけに李承晩大統領と袂を分かって後に民主党に入党した。

農村部を支持基盤[注 3]とし、行政機構と一体化した「政府党」として絶大な権力を誇っていたが、1960年3月に行われた大統領選挙における行政ぐるみの不正選挙(3・15不正選挙)への抗議に端を発した四月革命による李承晩の退陣と国外亡命に伴い、事実上解党した。

党勢推移 編集

候補者 当落
大統領選挙
1952年8月5日 第2代大統領選挙 李承晩 当選
1956年5月15日 第3代大統領選挙 李承晩 当選
1960年3月15日 第4代大統領選挙 李承晩 当選[注 4]
年月日 議席 得票率
総選挙
1954年5月20日 第3代総選挙 114 36.8%
1958年5月2日 第4代総選挙 126 42.1%
1960年7月29日 第5代総選挙 2 2.7%

脚注 編集

  1. ^ 1960年5月29日四月革命によって退陣に追い込まれていた李承晩アメリカ亡命し、院外自由党は形骸化した。
  2. ^ これらの団体は、独立以降活力を喪失しており、李承晩の新党勧誘に敏感に反応し、李承晩の意志-即ち大統領直接選挙制改憲を経ての李承晩大統領再選-を積極的に主張することとなった。木村幹『韓国における「権威主義的」体制の確立-李承晩政権の崩壊まで-』ミネルヴァ書房 130頁
  3. ^ 事実、李承晩政権下の1952年と1956年(詳細)に行なわれた地方選挙において自由党は、都市部では野党に苦戦した一方で農村部、特に面・邑(いずれも当時の韓国における地方自治体の名称)レベルの選挙で圧倒的優位に立っていた。反対に野党である民主党はソウル市では47議席中40議席を獲得したのに対し、面レベルでは1.5%の議席しか得られなかった。参照:木村幹「第7章 韓国における民主化と「政府党」-「与村野都」から「地域感情」へ-」(東アジア地域研究会 片山裕+西村成雄編『講座 東アジア近現代史4』青木書店、211頁以下)232頁
  4. ^ 選挙後、不正選挙だとして当選は無効になった。

関連項目 編集

  1. ^ a b 《현대 한국정치 이론: 역사 현실 1945 ~ 2011》 240p ~ 265p