舟形町

日本の山形県最上郡の町

舟形町(ふながたまち)は、山形県の北部にある人口約5千人の

ふながたまち ウィキデータを編集
舟形町
舟形町旗 舟形町章
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
最上郡
市町村コード 06363-1
法人番号 7000020063631 ウィキデータを編集
面積 119.03km2
総人口 4,597[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 38.6人/km2
隣接自治体 新庄市尾花沢市村山市最上郡最上町大蔵村北村山郡大石田町
町の木 エンジュ
町の花 コブシ
他のシンボル 町の鳥:キジバト
町の魚:アユ
町の色:水色
舟形町役場
町長 森富広
所在地 999-4601
山形県最上郡舟形町舟形263番地
北緯38度41分29秒 東経140度19分12秒 / 北緯38.69142度 東経140.32006度 / 38.69142; 140.32006座標: 北緯38度41分29秒 東経140度19分12秒 / 北緯38.69142度 東経140.32006度 / 38.69142; 140.32006
舟形町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

舟形町位置図

― 市 / ― 町・村

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地理 編集

最上川に東の最上町から流れる小国川が合流する地点にできた町。

歴史 編集

 
猿羽根峠の新庄藩境石

舟形町が初めて歴史に登場するのは、8世紀に行われた大野東人の東征である。東人が通った道に「避翼(さるはね)」の地名があり、この頃に多賀城から現在の秋田県内陸南部を通って秋田城へ向かうルートとして登場した。

延喜式兵部省「諸国駅伝馬条」には、庄内地方を経由して日本海沿岸を秋田城へ向かう官道に、「避翼駅 駅馬十二疋、伝馬一疋・船六隻」の記述が出てくる。この駅亭は水駅と思われ、現在の富田地内の最上川沿いにあったと推定されている。なお、「さるはね」は「猿跳」とも表記され、その地名は猿羽根峠に残っている。

江戸時代には、参勤交代路としても使われた羽州街道宿場町として発達した。ここから猿羽根峠を越えて村山地方へ向かい、東は最上街道で仙台藩へ、西は舟形街道を通って庄内藩出羽三山へと通じる交通の交差点であった。新庄藩の藩境であったことから、口留番所が置かれ、人や物資の監視を厳しく行った。

富田は、最上川水運の港のひとつとして繁栄し、新庄藩と天領の境界にも位置していたため、その対岸の堀内には新庄藩の舟番所が設置されていた。

明治時代になると、舟形町・最上町尾花沢市を中心とした地域に、当時岐阜県宮城県と並んで「日本三大亜炭田」と呼ばれた「最上炭田」が発見され、町内でも多くの炭鉱で亜炭の採掘が行われ、舟形駅長沢駅から亜炭が運び出された。

行政 編集

  • 町長:
    • 星川皦太郎: 旧舟形村村長 (1954年12月 - 1958年12月)
    • 澤内甚助 副町長: 旧堀内村村長
    • 奥山与市郎 (1958年12月 - 1962年11月)
    • 星川五郎兵衛 (1962年11月 - 1964年2月)
    • 奥山与市郎 (1964年2月 - 1968年2月)
    • 澤内甚一郎 (1968年2月 - 1976年2月)
    • 沼澤長吉 (1976年2月 - 1980年2月)
    • 澤内甚一郎 (1980年2月 - 1988年2月)
    • 沼澤長吉 (1988年2月 - 1992年2月)
    • 鈴木勝治 (1992年2月 - 2004年2月)
    • 伊藤和昭2004年2月 - 2008年2月)
    • 奥山知雄(2008年2月 - 2016年2月)
    • 森富広(2016年2月 -)
出典:[1]

経済 編集

郵便局 編集

  • 舟形郵便局(集配局)
  • 長沢郵便局
  • 堀内郵便局
  • 長者原簡易郵便局

姉妹都市・友好都市 編集

地域 編集

人口 編集

 
舟形町と全国の年齢別人口分布(2005年) 舟形町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 舟形町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

舟形町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

教育 編集

健康福祉
学校
社会教育

交通 編集

 
JR東日本奥羽本線舟形駅

空港 編集

鉄道路線 編集

道路 編集

高速道路
  • E13 東北中央自動車道
一般国道
都道府県道

路線バス 編集

観光ほか 編集

出身有名人 編集

脚注 編集

  1. ^ 歴代町長 - 舟形町

外部リンク 編集