菅原貞敬

日本の元バレーボール選手、指導者

菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日-)は、秋田県能代市出身の元バレーボール選手、元バレーボール全日本選手、指導者。

菅原 貞敬
Sadatoshi Sugawara
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1939-02-18) 1939年2月18日(85歳)
出身地 秋田県能代市
ラテン文字 Sadatoshi Sugawara
獲得メダル
オリンピック
1964 東京 バレーボール
テンプレートを表示

全日本ジュニア男子監督、ケニア女子代表監督、日立佐和リヴァーレ監督、シニアアドバイザーなど国内外で監督を歴任。

来歴 編集

秋田県立能代高等学校を経て、1957年、東洋レーヨンに入社。東レ九鱗会の選手として活躍した。

1960年に全日本に初選出され、1964年東京五輪に出場し銅メダルを獲得した。

1968年に東レ九鱗会の監督に就任。1978年に全日本ジュニア男子監督に就任し、中垣内祐一大竹秀之ら1990年代の全日本を牽引してきたバレーボール選手を育てた。

1995年10月にケニア女子代表監督に就任、同年ワールドカップ(11月開幕)ではケニアチームの指揮を執った。

1996年、アトランタ五輪の出場を目指すケニアバレーボール協会の要請を受け、引き続き監督を務め、現地のケニアへ行き指導をした。アトランタ五輪の出場権を得ることはできなかったが、監督退任後もケニアのチームを支え続けケニアの選手を日本の実業団チームに送り込み実践を積ませた。

1997年NCI男子チームの監督に就任(2000年とやま国体終了後廃部)。

2000年5月にケニア女子代表監督に就任し、同年シドニー五輪ではアフリカ勢初となるオリンピック出場を果たした。

2001年、日立佐和リヴァーレ(現・日立Astemoリヴァーレ)の監督に就任(-2005年)。2006年世界選手権でもケニア女子代表の監督を務めた。

2008年10月開催の第1回アジアカップに、若手中心の日本代表チーム監督、2009年5月より日立佐和リヴァーレ総監督を経て顧問(シニアアドバイザー)を担当。2023年3月31日まで22年近くも日立Astemoに携わり続けた[1]

球歴 編集

  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴
  • ケニア女子代表監督としての国際大会出場歴
    • 1995年ワールドカップ
    • 2000年シドニー五輪
    • 2006年世界選手権

脚注 編集