蒼海郡(そうかいぐん)は、紀元前128年武帝朝鮮北部から満洲南部にかけて設置した植民地である[1]。『漢書』武帝紀では蒼海郡、『漢書』食貨志では滄海郡と表記される。蒼海郡の設置は漢の朝鮮進出を促進し、紀元前108年に漢は衛氏朝鮮を滅し、漢四郡を設置した[2]。蒼海郡は漢四郡の1つである玄菟郡と深い関連がある。

蒼海郡
各種表記
ハングル 창해군
漢字 蒼海郡
発音 チャンヘグン
日本語読み: そうかいぐん
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概要 編集

衛氏朝鮮に服属していた薉()のである南閭らが、衛氏朝鮮の衛右渠に叛いて、28万人を率いて漢に投降したことがきっかけで、蒼海郡が設置されたが、2年後の紀元前126年公孫弘の建議により廃止された[3]

蒼海郡の正確な場所は分かっていないが、現在の咸鏡南道江原道など日本海に面した地域と推定されている[4]武田幸男は、蒼海郡の郡治咸南咸興永興に比定している[5]

脚注 編集

  1. ^ 世界大百科事典蒼海郡』 - コトバンク
  2. ^ 창해군ブリタニカ百科事典https://enc.daum.net/encyclopedia/view/b20c1874a 
  3. ^ “창해군(滄海郡)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0055554 2022年7月4日閲覧。 
  4. ^ 高久健二楽浪郡と三韓の交易システムの形成』専修大学社会知性開発研究センター〈専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報〉、2012年3月8日、7頁https://doi.org/10.34360/00008640 
  5. ^ 伊藤英人『「高句麗地名」中の倭語と韓語』専修大学学会〈専修人文論集 105〉、2019年11月30日、372頁。