袴田巌

日本の元プロボクサー (1936-)

袴田 巖(はかまた いわお[1]1936年昭和11年)3月10日 - )は、袴田事件死刑確定者となったことで知られる日本の元プロボクサー世界ボクシング評議会名誉チャンピオン

袴田 巖
基本情報
階級 フェザー級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1936-03-10) 1936年3月10日(88歳)
出身地 静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市中央区
プロボクシング戦績
総試合数 29
勝ち 16
KO勝ち 1
敗け 11
引き分け 2
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人物 編集

静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市中央区)生まれ[2]。中学卒業後にボクシングを始め、アマチュアでの戦績は15戦8勝7敗、うちノックアウト7。1957年 静岡国体に成年バンタム級出場。

プロボクサーをめざし、1959年に上京して不二拳闘クラブに入門し、岡本不二に師事する。1959年11月にプロデビューし、全戦績は29戦16勝(1KO)10敗3分[3]で最高位は全日本フェザー級6位[3]1961年5月、身体の不調のためプロボクサーを引退する。年間19戦(1960年)は日本最多記録[3]

再起を期しつつ、静岡県清水市(現静岡市清水区)横砂の有限会社王こがね味噌橋本藤作商店(1972年に「株式会社富士見物産」と改称)に就職[4]

1966年6月30日に同社専務宅で後に袴田事件と呼ばれる強盗放火殺人事件が発生、8月18日容疑者として静岡県警察逮捕された。当初は無実を主張したが、警察の取調べが進んだ際、自白をして調書を取られた。1通を除いた44通の自白調書は、裁判所で証拠採用されなかった。公判では一貫して無実を主張したが、1980年12月12日最高裁判所死刑確定した。弁護団による2度の再審請求などを経て、2014年3月27日静岡地方裁判所が再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定、東京拘置所から47年7カ月ぶりに釈放された。

釈放後は東京都内の病院に2ヶ月間入院して長年の拘置所生活による拘禁症状などの治療を受け、48年ぶりとなる2014年5月27日に故郷の浜松市に帰還[5][6]。地元の病院でさらに治療を受けた後、7月1日に退院して姉宅で生活を始めた[7]

一方、静岡地方検察庁は同年3月31日、再審開始決定について東京高等裁判所即時抗告2018年6月11日、東京高裁は再審開始を認めない決定を出した[8]。東京高裁は拘置の執行停止は取り消さなかったため釈放は維持された。弁護側が特別抗告し、最高裁判所は2020年、高裁の決定を取り消して差し戻した。2023年3月に東京高裁は静岡地裁の決定を支持する決定を出し、東京高等検察庁は特別抗告を断念。死刑確定事件では戦後5例目となる再審の開始が決まった。

再審で無罪判決が出るまで、袴田は法的には死刑囚のままである。

1992年8月15日には、袴田巌さんを救う会編『主よ、いつまでですか : 無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』が新教出版社から出版された[9]

2003年3月10日、衆院議員だった保坂展人や弁護団と面会。弁護団とは12年振りの面会だった。国を相手に勝訴し5億円の賠償金を手に入れたと思い込む、袴田巌を吸収した全能の神を自称する、姉を姉の偽者として疑う等の拘禁症状がみられた[10]

2010年5月29日、事件と裁判を描いた映画『BOX 袴田事件 命とは』が公開。

釈放直後の2014年4月6日、大田区総合体育館にて、世界ボクシング評議会(WBC)認定名誉王者のチャンピオンベルトが贈られた[11][12]。5月19日に後楽園ホールで行われた「ボクシングの日」ファン感謝イベントに本人が来場し贈呈式が催された[13]

2016年2月、映画『袴田巌 ―夢の間の世の中―』が公開[14]

2018年7月、映画『48 years - 沈黙の独裁者』が熱海国際映画祭で特別賞を受賞、同年12月、浜松で公開。

姓の読み 編集

一般的には袴田が「はかまだ」と呼ばれることが多いが、家族や弁護団は「はかまた」を正式な読み方としている。名字の「○田」の田は「だ」と読むことが圧倒的に多いため、1981年の再審請求以降に「袴田事件」として知られるようになった際、「はかまだ」読みが広がったとみられる[1]

ギネス世界記録 編集

2013年4月9日迄に「世界で最も長く収監されている死刑囚」として、ギネス世界記録に認定されていることが判明した。ギネスの公式サイトに因ると、1審の静岡地方裁判所で死刑判決を受けた1968年9月から2010年1月迄の42年間収監されていることが、ギネス世界記録認定の対象となった。

出演 編集

映画 編集

全てドキュメンタリー

テレビ 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b 高橋雅人「再審請求・袴田さんの読み方 浜松では濁らないのが一般」『中日新聞』、2022年6月22日。2023年3月20日閲覧。
  2. ^ 袴田巖さんプロフィール 袴田巖さんの再審を求める会
  3. ^ a b c 史上二人目。WBCが袴田巌氏に「名誉チャンピオンベルト」授与 Sportiva
  4. ^ 袴田巌さんのプロフィール 無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会
  5. ^ 日本テレビ. “袴田巌さん、ふるさと静岡の病院に転院へ”. 日テレNEWS. 2023年3月21日閲覧。
  6. ^ 「袴田事件」再審なるか◆揺れる司法のポイントは【時事ドットコム取材班】:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2023年3月21日閲覧。
  7. ^ 袴田さんが退院 姉宅で生活始める - 日本経済新聞”. www.nikkei.com. 2023年3月21日閲覧。
  8. ^ 高裁「DNA型鑑定、信用できぬ」 袴田さん釈放は維持”. 朝日新聞 (2018年6月11日). 2018年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月12日閲覧。
  9. ^ 主よ、いつまでですか|新教出版社
  10. ^ 12年ぶり!! 弁護団と保坂衆議院議員と袴田さんとの面会が実現しました。”. 平成30-08-07閲覧。
  11. ^ 袴田巌さんに名誉チャンピオンベルトを贈呈 朝日新聞社公式YouTubeチャンネル 2014年5月19日公開
  12. ^ “袴田巌さんにWBCベルト授与”. 中日新聞社. CHUNICHIWEB. (2014年4月7日). http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140407/CK2014040702000079.html 2014年4月7日閲覧。 
  13. ^ 袴田さん、聖地・後楽園に帰る WBC名誉チャンピオンベルト贈呈 スポーツ報知 2014年5月20日
  14. ^ ドキュメンタリー映画 袴田巌 夢の間の世の中
  15. ^ ふたりの死刑囚”. キネマ旬報映画データベース. キネマ旬報社. 2018年11月10日閲覧。
  16. ^ 袴田巌 夢の間の世の中”. キネマ旬報映画データベース. キネマ旬報社. 2018年11月10日閲覧。
  17. ^ 獄友”. キネマ旬報映画データベース. キネマ旬報社. 2018年11月10日閲覧。
  18. ^ 第25回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『死刑囚と姉 -袴田事件50年-』(制作:テレビ静岡)”. フジテレビ. 2018年11月10日閲覧。
  19. ^ "獄友たちの日々". NHK. 2023年9月30日. 2023年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月8日閲覧
  20. ^ 我、生還す -神となった死刑囚・袴田巖の52年-”. 日本テレビ. 2018年11月10日閲覧。
  21. ^ 袴田事件57年 ~再審の壁~”. TBS. 2023年8月6日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集