角川春樹

日本の実業家、映画プロデューサー (1942-)

角川 春樹(かどかわ はるき、1942年昭和17年〉1月8日 - )は、日本の実業家、映画製作者、俳人。角川源義の長男。角川春樹事務所代表取締役社長。宗教法人明日香宮宮司[1]。「」主宰。 1975年に父を引き継ぎ、角川書店社長に就任する。翌年『犬神家の一族』から映画製作に参入し、『人間の証明』『野性の証明』などで角川商法と呼ばれたメディアミックスによる商法によってヒットさせる。監督として1982年『汚れた英雄』でデビューし、『天と地と』『REX 恐竜物語』などを製作する。1993年麻薬取締法違反などで逮捕され、角川書店社長の座を退き、角川春樹事務所を設立する。

かどかわ はるき
角川 春樹
本名 角川 春樹(かどかわ はるき)
生年月日 (1942-01-08) 1942年1月8日(82歳)
出生地 日本の旗 富山県
職業 実業家映画監督映画プロデューサー俳人
ジャンル 映画
活動内容 実写映画
アニメーション映画
OVA
配偶者 山田友美(ASUKA)(2011年 - 現在)
著名な家族 角川源義(父)
辺見じゅん(姉)
角川歴彦(弟)
角川慶子(娘)
事務所 角川春樹事務所
主な作品
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人物歴 編集

生い立ち 編集

富山県中新川郡水橋町(現・富山市)に生まれ、東京都杉並区に育つ。父は角川書店の創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校・杉並区立天沼中学校から國學院大學久我山高等学校に進む。高校在学中は剣道部に所属。早稲田大学第二文学部史学専修を受験し合格したが、國學院大學理事の地位にある父の懇願で國學院大學文学部に進学。大学在学中は拳闘部に所属してボクシングに熱中。

大学3年の時には、渋谷ハチ公前全学連相手200人に一人大立ち回りを演じ、新聞沙汰になったこともある。「俺の魂はスサノオノミコト」だと主張。毎日、祝詞とお経をあげ、「私は絶対だ。私は完全だ。私は神なのだ。」と唱えている。結婚歴は6回、離婚歴は5回である。

1964年に大学卒業後、取次の栗田書店に半年つとめた後、出版社・創文社に勤務[2]。また、夜は新宿三丁目でスナック・バー「キャッツ・アイ」を経営して、バーテンをつとめていた[3]創文社勤務時に、ナポレオン・ヒルの著書『巨富を築く13の条件』を読んで、出版業に目覚める[3]

角川書店時代 編集

1965年、角川春樹は父の経営する角川書店に入社する。1967年、俳優や声優が朗読する音声を収録したソノシート付きの『カラー版世界の詩集』を企画し刊行[4]1970年から映画『ある愛の詩』『いちご白書』の原作本を始めとして、洋画の原作やノベライゼーションを次々と刊行。フレデリック・フォーサイスを日本に紹介した。

角川書店の社長である父・源義の存命中は、信賞必罰を貫く父の方針のもと、息子・春樹の社内での立場はかなり浮き沈みがあった。しかし、父の反対を押し切って出版に踏み切った『ある愛の詩』が成功したことにより、春樹の社内での立場が高まり、父の次の後継者として周囲から期待を集めていった。

その後、角川春樹は当時は既に過去の作家となっていた横溝正史のブームを再び日本で巻き起こすために、1971年から横溝正史の作品を角川書店から刊行した。

1975年、角川春樹が角川書店の2代目社長に就任すると、角川書店は従来の出版業界の常識を覆す未知の分野に歩み始めた。

1976年、角川春樹は『犬神家の一族』の映画製作に乗り出すことを発表した。角川春樹は自ら制作総指揮として映画製作に参加し、監督は市川崑、音楽は大野雄二が担当した。また、角川春樹は映画の宣伝にも独特の方法で宣伝し、それは完成した映画作品の一部をテレビCMを中心に日本で大量に流すというものだった。それを見た一部の有識者たちは閉口した。また、この時の角川書店は教科書関連の書籍を主に扱う小さな出版社であり、そんな出版社がいきなり映画事業に参入するのは前代未聞・異例であった。この時の様子について、映画評論家の白井佳夫は「角川映画は予告編を本編が上回ったことがない」と断言、辛らつに批判した。しかし、角川春樹の仕掛けたその大量宣伝は大成功し、多くの観客たちが映画館に殺到して、そのおかげで、『犬神家の一族」も『人間の証明』も大ヒットを記録した。1970年代後半から1980年代にかけて、角川映画は莫大な収益をあげて、それに関連した角川書店の本も映画との相乗効果でたくさん売れた。また、この角川映画の大きな成功を見た日本の推理作家、SF作家たちは角川書店を頼って自身の作品を角川文庫から次々に刊行した。

この角川春樹の映画と書籍を同時に売り出す方法は「角川商法」、「メディアミックス」と呼ばれ、多くのマスコミは角川春樹を出版業界のカリスマ経営者として持ち上げた。

1975年、角川春樹は古代船「野性号」を建造して対馬海峡西水道を横断した。この航海の模様は書籍『わが心のヤマタイ国 古代船野生号の鎮魂歌』にまとめられている。作家、高橋三千綱豊田有恒が同行した。

1977年にはカヌー「野性号II」を作り、「南島民の日本列島への飛来」を再現するため、ルソン島から鹿児島までの航海を行った。この航海の模様は、ドキュメンタリー映画『野性号の航海 翔べ 怪鳥モアのように』(1978年)に残された。

1979年の『悪魔が来りて笛を吹く』『白昼の死角』、1981年の『魔界転生』は、角川映画ではなく純然たる東映映画(角川春樹事務所は企画協力)であったが[5]、これは、当時の岡田茂東映社長が角川春樹を優れたヒットメーカーと見込んで、プロデューサーとして迎え入れた作品である[5][6]。1981年の映画誌のインタビューで岡田は、「角川春樹氏は映画プロデューサーでなくイベント屋だ」と評している[7]

全盛期には、午前中は角川書店で出版業務を行い、午後は角川春樹事務所で映画や音楽の打ち合わせ、夜は自身の経営するクラブ『高倉』にてブレーンや広告代理店の関係者、角川映画に関わるプロデューサーや宣伝担当、などと商談を繰り返す日々を送っていたという[8]

このように角川春樹の手がけた角川映画は知名度が上がり日本映画界に広く定着していったが、製作から10年目を迎えた1980年代後半以降、角川映画の勢いは失速していった[9][10]。それには、民放のフジテレビが映画界に本格参入して、角川映画のお株を奪う大量スポットや局を挙げてのメディアミックス戦略を仕掛けたこと[11][12]、また、内部的には1985年薬師丸ひろ子が角川春樹事務所から独立、翌1986年には同事務所自体が芸能部門から撤退して、所属する原田知世原田貴和子渡辺典子も独立したことなど[13][14] の影響があった[9][10]

映画評論家の野村正昭は、角川春樹が監督業に進出したことで、監督という立場を理解し過ぎてしまい、プロデュースする作品の脚本や企画への拘りが薄れたと推察している[15]

また、角川映画はハリウッドに進出するも失敗し(例、「ルビー・カイロ」)、角川書店の負債は増えていった。それまでのように、映画事業に多額の投資をしてもヒット作が生まれにくくなり、本の売り上げにもつながらなくなっていた。角川書店の内部では、映画事業を巡って角川春樹が実弟の角川歴彦と経営方針で対立した。その後、瀬島龍三の仲裁の下、1992年に角川歴彦は角川書店を退社した。またこの時、角川メディアオフィスの社員71名も角川歴彦に続いて集団で角川書店を退社し、新たにメディアワークスを設立した。角川春樹の強烈な個性と独断専行な手法は角川社内の若手社員たちからも支持を失った。この時の状況を伊藤彰彦は、「これにより角川春樹の経営者としての孤独は深まった」と評している[16]

逮捕 編集

1993年8月29日、角川春樹はコカイン密輸事件で麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件で千葉県警察本部(千葉南警察署)により逮捕された[17]。その後、千葉刑務所に勾留された[18]。角川春樹は同年9月に角川書店の社長を辞任し、代わって弟の角川歴彦が同年10月に角川書店の3代目社長に就任した。

1994年、1億円の保釈金で保釈。2000年、最高裁で懲役4年の実刑確定。2001年東京拘置所に拘置。八王子医療刑務所で服役。2002年静岡刑務所に移監され、2004年に仮出所した。刑務所では、角川春樹はかなり周囲からイジメられていたという[19]

現・角川春樹事務所時代 編集

保釈中の1995年、角川春樹は出版社としての現・角川春樹事務所を設立する。かつて角川書店から刊行されていて、飛鳥新社に売却されていた、ティーンエイジャーの女性向けファッション雑誌「Popteen」(ポップティーン)を買い取り、刊行開始する。

「Popteen」の姉妹誌として増刊号として刊行されていた「BLENDA」(ブレンダ)を、2003年9月より月刊化。

1997年、角川春樹は1970年代の角川文庫を連想させるエンターテインメント文庫「ハルキ文庫」を刊行開始する。「ハルキ文庫」からは後に、かつて角川文庫から刊行され絶版となっていた国内SFなども多数、復刊した。SFに関しては2000年から「小松左京賞」を主催。小松左京の個人誌「小松左京マガジン」の販売も担当している。ハルキ文庫については、2000年からハルキ・ホラー文庫を刊行開始。

1998年からはハルキ・ノベルズの刊行開始。

1996年7月、荒俣宏責任編集のオカルト系雑誌「ボーダーランド」を創刊。その関係で、翌年からオカルト系の書籍を刊行する「ボーダーランド文庫」を創刊。雑誌「ボーダーランド」は1997年9月号で休刊。

「19世紀末パリの都市文化が産み落とした 高等遊民(隠居的生活者)」を意味する「ランティエ」から、1998年から「ランティエ叢書」を刊行開始。また2004年末には「50代以上の、大人の男の和を極める」雑誌、「ランティエ。」を創刊。2005年2月号からは雑誌名を「ランティエ」と変更して新創刊。

2005年、角川春樹は映画製作に復帰する。「男たちの大和/YAMATO」(2005年)、「蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜」(2006年)、「椿三十郎」(2007年)、「神様のパズル」(2008年)と、大作、話題作を続けざまに制作したが、復帰第一作である「男たちの大和」こそ大ヒットとなったものの、以降の作品は興行収入では苦戦を続け、2009年1997年の『時をかける少女』以来12年ぶりの監督作となる、「笑う警官」を発表し「動員が150万人を超えなかったら映画を辞める[20]」と東映側と約束した。

2019年、角川春樹は10年ぶりメガホンをとり髙田郁の時代小説『みをつくし料理帖』を自身最後の監督作として映画化、2020年10月16日に公開された[21]

映画評 編集

1977年の映画で優れているのは4本だけで、邦画は『八甲田山』『悪魔の手毬唄』、洋画は『ロッキー』『ダウンタウン物語』だけだという[22]。『ロッキー』が73点で最高だと述べている。前年の1976年は邦画の『犬神家の一族』が最高で「68点」とも述べている。また『人間の証明』は73点で、今年の邦画、洋画あわせてもベスト・スリーには入り、トップになるかもしれない、とした[23]。春樹は「ぼくはラッシュで、また泣けるわけですよ」とも言っている。

俳人として 編集

1979年、生前に父・源義が創刊・主宰し、源義没後は分裂騒動を機に[24]継母の角川照子が主宰を引き継いでいた俳誌「」の副主宰に就任。大学受験以降、離れていたものの、「あなたがやらないなら『河』は解散する」と言われ[24]、選者の立場になった責任[25]から急激に俳句への傾斜を深め、以後旺盛に俳句に関わる[26]。1981年に第一句集『カエサルの地』出版、翌年に第二句集『信長の首』を出版。中上健次は『信長の首』について、従来の俳句の「四畳半的な、せまい世界」をぶち壊したと評し、散文家としてショックを受けたと語る[27]高柳重信などを中心とした前衛俳人らの強い批判があった[25]が、晩年の山本健吉吉本隆明[28]からも激賞を受け、その登場は俳壇的事件として捉えられた[26]。1986年に俳句総合誌『俳句研究』を買収したことも話題となる[26]。第二句集『信長の首』は1982年芸術選奨文部大臣賞および第6回俳人協会新人賞を受賞。以降も多数の句集を出しており、1983年『流され王』で第35回読売文学賞、1990年『花咲爺』で第24回蛇笏賞、2005年『海鼠の日』で第5回山本健吉文学賞、同年『JAPAN』で第8回加藤郁乎賞、2007年『角川家の戦後』で第7回山本健吉文学賞を受賞している。

2006年「河」主宰に就任。俳句にはリズム感と映像の復元力、自己投影が必要とする[29]。代表句は「黒き蝶ゴッホの耳を殺(そ)ぎに来る」(『カエサルの地』)、「向日葵や信長の首斬り落とす」(『信長の首』)、「流されてたましひ鳥となり帰る」(『流され王』)、「存在と時間とジンと晩夏光」(『存在と時間』)など[27]。特に第三句集『流され王』以降で民俗的伝統への傾倒を示し、あらぶる神々への共感が句の特色となる[26]。「河」主宰就任時より、「盆栽俳句」にまみれた既成俳壇から訣別するとして「魂の一行詩」を標榜[30]。2011年には東日本大震災を受けた震災句集『白い戦場』を出版した。

年譜 編集

  • 1964年:國學院大學文学部卒業。角川書店の跡取りと悟られぬよう母の旧姓で取次の栗田創文社に入り、半年ずつ修業。かたわら新宿3丁目でスナック「キャッツアイ」を経営し、昼はサラリーマン、夜はバーテンという二重生活を送る。
  • 1965年:角川書店入社。
  • 1971年:編集局長就任。
  • 1975年:父・角川源義死去に伴い、角川書店の2代目社長に就任。
  • 1976年:映画製作を行なう旧・角川春樹事務所を設立。角川映画の製作開始。
  • 1984年:群馬県嬬恋村神社、明日香宮(宗教法人)宮司に就任[1]
  • 1992年:弟の角川歴彦を角川書店から追放。
  • 1993年:コカイン密輸で警察に逮捕。それに伴い角川書店の社長を辞任。
  • 1995年:角川書店の取締役を退任、角川春樹事務所を設立。
  • 2000年:角川春樹事務所社長を辞任し、特別顧問に就任。最高裁で懲役4年の実刑確定。
  • 2001年:東京拘置所に拘置。八王子医療刑務所で服役
  • 2002年:静岡刑務所に移監
  • 2004年:仮出所。
  • 2006年:尾道大学客員教授就任。
  • 2009年11月:角川春樹事務所会長兼社長に就任。

家族 編集

父は角川書店創業者・角川源義。母は源義の最初の妻・冨美子。姉の作家・辺見じゅん、元KADOKAWA会長の角川歴彦が同腹の姉弟。その他、父の後妻である俳人・角川照子を母に持つ異母妹・真理がいて、春樹は可愛がっていたが、18歳で自殺した。春樹自身、6人の女性との間に6度の結婚歴があり、5番目の妻は、現・ライター柘いつか、6番目の妻は歌手のASUKAである[31][32][33]。最初の3人の妻と6番目の妻との間にはそれぞれ子どもが1人ずついる。2人目の妻との間の長女は元アイドルの現ライターの角川慶子で娘がいる[34]3番目の妻の清子との間には泰章がいる[35]ので6番目の妻との間に生まれた息子は三男になる[36]

結婚離婚歴 編集

上記のように角川春樹は、6度の結婚と5度の離婚を繰り返している。最初の結婚は1965年、角川書店に入社した23歳の時で、相手は同棲していた國學院大學の同級生だった。翌年の24歳の頃までは、角川春樹は「付き合って男女の関係になったら必ず結婚しなければならない」という硬派な考えの持ち主だったが、詩人だった宗左近の知人で占い師の女性から「角川さんは頭が良すぎる。だから色々先を見過ぎてしまう。もっと遊ばなければ大きくなれない」言われ、その後の角川春樹は、本人曰く「軟派の修行」と称するほど、女性遍歴を重ねるようになった。1973年、2番目の妻となる女性が妊娠して最初の妻と離婚した。その2か月後に3番目の妻となる女性・清子が妊娠したため、2番目の妻と離婚した。1975年、角川春樹が33歳の時に父親の角川源義が死去し、「日常性を拒否し、非情の世界に身を沈めたい」として3番目の妻・清子と次男・泰章を残して別居、その後離婚し、4番目の妻と結婚した。1998年、58歳の時に4度目の離婚を経験し、1億円以上の慰謝料と邸宅を含めた一切の財産を4番目の元妻に譲渡した。2003年頃に5番目の妻・柘いつかと結婚するが、2011年頃に離婚し、同年の69歳の時に40歳年下の歌手・ASUKAと結婚、翌年の70歳の時には3男が誕生している[37]

エピソード 編集

  • 広島県尾道市を舞台にした映画をプロデュースした縁もあり、角川春樹は尾道を第二の故郷と話しており[38]、2006年に尾道市立大学の芸術文化学部日本文学科(文芸創作)の客員教授を務め[31][38]、このときの聴講生だったASUKAと2009年に結婚している[31][32]
  • 1975年ごろ、見城徹によると安井かずみと交際していた[39]
  • 読売ジャイアンツのファンである。
  • 愛煙家である。
  • 映画「天と地と」の撮影現場では、角川春樹は上杉謙信・役の榎木孝明に「お前の演技は学芸会レベルだ。俳優やめちまえ」「生きていてもしょうがねえだろ?人間やめろ!」と何度も激しく罵倒したという[40]。それで、榎木は何度も妄想の中で角川春樹を殺したという。その後、角川春樹は「天河伝説殺人事件 (映画)」の浅見光彦・役に榎木孝明を起用した[41]

伝説 編集

角川春樹にはいくつもの伝説があり、本人や周囲の人間によって語られている[42] [出典無効]

  • 3歳のころから何回も、夥しい数の赤い点滅や葉巻型のUFOの大編隊と宇宙人を見たと主張していて、自身が宇宙を飛び回る意識もあるという。
  • 自称、超能力者で未来予知能力を持つらしく、35歳で海を漂流してるときに神通力に気付いたといい、モンゴルに行ったときには数十年ぶりに雨(雪)を降らせている。
  • 訪れた先の旅館では天狗の封印を解いて、居合わせた仲居が天狗を見たと発言。
  • 尿道結石で入院中の手塚治虫の手を握って治し、それへの感謝として『火の鳥(太陽編)』を角川書店が発行の『野性時代』で連載させ角川で作品を文庫化させている。
  • 世界最強の人間を自負している。
  • 2.5kgの木刀を9時間かけて3万3100回振っている[43]
  • 薬物関連で話題になっているときに、交友のある長渕剛に美味いカレーを食わせているが、カレーの美味さの秘訣を聞かれたが答えていない。
  • たまに太陽が2つ出ているのを見ることがあり、関東大震災を止めたのも自分だと言う。
  • 海に沈んだ戦艦大和は潜った瞬間に自身が初めて発見したと話す。
  • 武田信玄天武天皇神武天皇ヤマトタケルなどの生まれ変わりを自認しており、チンギス・ハーンだけは他人に指摘されて気付き、その記憶だけは無いという。
  • 「弟には才能が無い」と語り、映画『蒼き狼』では弟を冒頭で殺している(『博士も知らないニッポンのウラ』第28回 角川春樹伝説、『わが闘争―不良青年は世界を目指す』)。

製作作品 編集

製作総指揮作品 編集

監督作品 編集

出演作品 編集

(その他、プロデュースした作品の多くにカメオ出演している)

その他のクレジット 編集

  • 戦国自衛隊(1979年) - 音楽監督
  • ねらわれた学園(1982年) - 企画
  • キャバレー(1986年) - 音楽
  • 天と地と(1990年) - 脚本
  • REX 恐竜物語(1993年) - 脚本
  • 時をかける少女(1997年) - 脚本
  • ハルキWebシネマ Vol.1 ネオホラーシリーズ(2005年) - 企画
  • ハルキWebシネマ Vol.2 ネオホラーシリーズ(2005年) - 企画
  • ハルキWebシネマ Vol.3 ネオホラーシリーズ(2005年) - 企画
  • 男たちの大和/YAMATO(2005年) - 音楽総合プロデューサー
  • ハルキWebシネマ Vol.4 怖い本シリーズ(2006年) - 企画
  • ハルキWebシネマ Vol.5 怖い本シリーズ(2006年) - 企画

出演番組 編集

著作 編集

  • 『わが心のヤマタイ国 古代船野性号の鎮魂歌』立風書房 1976 のち角川文庫
  • 『黄金の軍隊 ゴールデン・トライアングルのサムライたち』プレジデント社 1978
  • 『翔べ怪鳥モア 野性号Ⅱの冒険』角川文庫 1979
  • 句集『カエサルの地』牧羊社 河叢書 1981
  • 句集『信長の首』牧羊社 河叢書 1982
  • 句集『流され王』牧羊社 河叢書 1983
  • 『補陀落の径 角川春樹句集』深夜叢書社 河叢書 1984
  • 『角川春樹集・猿田彦』俳句の現在 三一書房 1985
  • 『試写室の椅子』角川書店 1985
  • 『「いのち」の思想』富士見書房 1986
  • 『一つ目小僧 句集』富士見書房 1987
  • 『花時雨 自選三四九句 句集』富士見書房 1988
  • 『夢殿 句集』富士見書房 1988
  • 『花咲爺 句集』富士見書房 1989
  • 『関東平野 句集』角川書店 1992
  • 『月の船 句集』角川書店 1992
  • 『檻 句集』朝日新聞社 1995 のちハルキ文庫
  • 『存在と時間 句集』河出書房新社 1997
  • 句集『いのちの緒』角川春樹事務所 2000
  • 句集『角川春樹獄中俳句 海鼠の日(なまこのひ)』文學の森 2004
  • 『Japan 句集』文學の森 2005
  • 『わが闘争 不良青年は世界を目指す』イースト・プレス 2005
  • 『朝日のあたる家』思潮社 2006
  • 『角川家の戦後』思潮社 2006(詩集)
  • 『魂の一行詩』文學の森 2006
  • 『飢餓海峡』思潮社 2007
  • 『叛逆の十七文字 魂の一行詩』思潮社 2007
  • 『晩夏のカクテル 魂の一行詩』日本一行詩協会 日本一行詩叢書 2007
  • 『荒地 魂の一行詩』日本一行詩協会 日本一行詩叢書 2008
  • 『男たちのブルース』思潮社 2008
  • 『漂泊の十七文字 魂の一行詩』思潮社 2008
  • 『白い戦場 震災句集』文學の森 2011
  • 『白鳥忌 一行詩集』文學の森 2011
  • 『夕鶴忌 一行詩集』文學の森 2013
  • 『わが闘争』角川春樹事務所 ハルキ文庫 2016
  • 『健次はまだか』港の人 2016
  • 『源義の日』ふらんす堂 2018
  • 『角川源義の百句』ふらんす堂 2019

共著・編 編集

  • 『俳句の時代 遠野・熊野・吉野聖地巡礼』中上健次共著 角川書店 1985 のち文庫
  • 『詩の真実 俳句実作作法』森澄雄共著 角川選書 1987
  • 『現代俳句歳時記 新年・春夏秋冬』編 ハルキ文庫 1997
  • 『活字の大きい用字必携』編 角川春樹事務所 1998
  • 『季寄せ』編 角川春樹事務所 2000
  • 『地果て海尽きるまで 角川春樹「魂の一行詩」自選一〇〇』金田石城書 角川春樹事務所 2007
  • 『生涯不良 師弟問答』石丸元章共著 マガジン・マガジン 2009
  • 『いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命』清水節共著 角川春樹事務所 2016

翻訳 編集

  • エリック・シーガル 『ラブ・ストーリィ板倉章名義で訳[44] 角川書店 1970 のち角川文庫
  • フィリス・アトウォーター『光の彼方へ』ソニー・マガジンズ 1995 のちハルキ文庫

脚注 編集

  1. ^ a b この国はどこへ コロナの時代に 映画監督・角川春樹さん 神と共存復活感じ 不寛容は人を排他的に”. 毎日新聞 (2020年10月6日). 2021年6月3日閲覧。
  2. ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』(毎日新聞出版)P.42
  3. ^ a b 伊藤彰彦『最後の角川春樹』(毎日新聞出版)P.43
  4. ^ 清水 節のメディア・シンクタンク【番外篇】”. 文化通信社. 2018年2月2日閲覧。
  5. ^ a b 「岡田茂をめぐる七人の証言 角川春樹『最後の頼みの綱という心強い存在』」『キネマ旬報2011年平成23年)7月上旬号 63-64、キネマ旬報社、2011年。 
  6. ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、109、142、249-250頁頁。ISBN 978-4-636-88519-4 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、182-183頁。ISBN 4-87932-016-1 “角川春樹氏、思い出語る「ひとつの時代終わった」…岡田茂氏死去(archive)”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年5月10日). https://archive.is/9Divz 2015年11月2日閲覧。 
  7. ^ 「イベントやに徹して難局に対処する岡田茂東映社長、81年の方針を語る」『映画時報』1981年1月号、映画時報社、19頁。 
  8. ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、140、144頁。 
  9. ^ a b 磯田勉「タイクーンの夢――角川映画80's」『映画秘宝EX 爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、p.15
  10. ^ a b モルモット吉田「角川春樹」『映画秘宝EX 爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、p.21
  11. ^ 大高宏雄『興行価値』鹿砦社、1996年、pp.24-25,64
  12. ^ 金田信一郎『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡』日経BP社、2006年、p.119
  13. ^ 「角川事務所芸能部門撤退」『週刊サンケイ』1986年12月4日号
  14. ^ 「原田姉妹、渡辺が独立」『週刊明星』1986年12月4日号
  15. ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、208頁。 
  16. ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、225-26頁。 
  17. ^ 『角川映画 1976‐1986(増補版)』(中川右介著、角川文庫、2016年)321~322ページ
  18. ^ 『角川映画 1976‐1986(増補版)』(中川右介著、角川文庫、2016年)322ページ
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  43. ^ コラム | Rooftop第六回ゲスト:角川春樹(前編)(2012年4月15日時点のアーカイブ
  44. ^ 角川春樹、清水節「いつかギラギラする日」角川春樹事務所 P18-19

関連文献 編集

外部リンク 編集

先代
角川源義
角川書店社長
(現・KADOKAWA KEY-PROCESS
第2代(1975年 - 1993年
次代
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