越本 隆志(こしもと たかし、1971年1月5日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBC世界フェザー級王者。

越本 隆志
基本情報
本名 越本 隆志
通称 玄海のリュウ
階級 フェザー級
身長 177cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1971-01-05) 1971年1月5日(53歳)
出身地 福岡県福岡市
スタイル コンバーテッドサウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 43
勝ち 39
KO勝ち 17
敗け 2
引き分け 2
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福岡県福岡市出身。九州産業大学付属九州高等学校卒業。

現役引退後は、師でもある実父・英武が創設したFukuokaジム(旧・福間スポーツジム)の会長職を引き継いでいる。

日本人男子最年長となる35歳での世界王座初奪取を成し遂げた。

愛称は玄海のリュウ

経歴 編集

生後間もなく両親が離婚し、元プロボクサーである父親・英武の男手一つで育てられる。中学時代は野球部に所属していたが、3年時に英武がFukuokaジムの前身である「福間スポーツジム」を開設。これを機に、父との二人三脚でプロボクサーを目指し始める。高校時代はアマで12戦を行ない、6勝6敗。

1992年11月3日、プロデビュー(初回KO勝ち)。

1994年2月13日、全日本新人王決定戦にフェザー級西軍代表として出場。東軍代表の木内信弥を6回判定に降し、新人王獲得。

1996年11月4日、日本王座初挑戦。玉置厚司と空位の日本フェザー級王座を争い、8回TKO勝ち。無敗の日本王者となった。その後、6度の防衛に成功し、1999年12月13日、世界挑戦決定を機に王座返上。

2000年1月30日、26戦目で無敗のまま世界初挑戦。福岡国際センターにおいてWBA世界フェザー級王者フレディ・ノーウッド米国)に挑むが、9回TKO負けで世界王座獲得ならず、プロ初黒星を喫した。

2001年9月30日、東洋太平洋王座挑戦。ドニー・スラチン(インドネシア)と空位のOPBF東洋太平洋フェザー級王座を争い、12回判定勝ち。王座奪取に成功する。その後、7度の防衛に成功し、2005年11月、世界再挑戦決定を機に王座返上。

2006年1月29日、6年ぶりの世界再挑戦。九電記念体育館において、WBC世界フェザー級王者池仁珍韓国)に挑む。フルラウンドの激闘の末、2-1の判定勝ち。42戦目にして悲願の世界王者となった。日本人最年長となる35歳での世界王座奪取(当時。これまでは輪島功一の32歳9か月が最年長だった。女子も含めた記録は2011年に藤岡奈穂子、返り咲きを含めた記録としては2016年に長谷川穂積にそれぞれ更新されている。なお、日本人男子の最年長世界王座初奪取記録としては2021年4月現在も保持)、フェザー級では柴田国明以来34年ぶりの日本人世界王者誕生、さらには九州のジムから初、そして西部日本協会加盟ジムから平仲明信以来2人目の世界王者誕生という記録尽くめの王座奪取となった。

2006年7月30日、初防衛戦。マリンメッセ福岡でWBCユース王者ルディ・ロペスメキシコ)と対戦したが、7回TKO負け。半年で世界王座を手放し、この試合を最後に引退。通算戦績は43戦39勝(17KO)2敗2分。

引退後、父親からFukuokaジム会長の座を譲り受けている(父親はプロモーターならびに名誉会長として引き続きジムの運営に携わっている)。

2011年4月10日投開票の統一地方選挙福岡県議会議員選挙に政権与党の民主党公認で立候補した。選挙区は地元の福津市選挙区であり、野党に転落した自民現職の阿部弘樹に挑む、民・自両党の一騎討ちとなった。しかし、民主・越本は約3千票差で敗退した[1]

獲得タイトル 編集

  • 西日本フェザー級新人王
  • 全日本フェザー級新人王
  • 第46代日本フェザー級王座
  • 第36代OPBF東洋太平洋フェザー級王座
  • WBC世界フェザー級王座

出典 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

前王者
池仁珍
WBC世界フェザー級王者

2006年1月29日 - 2006年7月30日

次王者
ルディ・ロペス