趙オウ

北宋の徽宗の第25皇子

趙 柍(ちょう おう、1115年 - 1127年4月5日)は、北宋徽宗の第25皇子(夭逝を除いて第20皇子)。

経歴 編集

婕妤劉氏の長男として生まれた。劉氏は仙女のように美人と謳われ、徽宗に特別に寵愛された。後に安妃となり、また明節皇后諡号を追贈された。趙柍が生まれたとき、道士の林霊素は趙柍を「玉霊真裔」と、皇帝の庶出幼子としては過分な称号で呼んだ。

政和5年(1115年)9月、恵国公の位を授けられた。宣和7年(1125年)3月、建安郡王の位を授けられた。徽宗の諸若子の中で、趙柍だけは王の位を授けられた。

13歳で靖康の変軍に拉致され、靖康2年2月15日(1127年4月5日)に死去した。

家族 編集

  • 婚約者:孔令則 - 金に連行され、完顔斜保(完顔宗翰の次男)の側室になり、1130年に趙梴(趙柍の異母兄)に再嫁した。

伝記資料 編集

  • 『靖康稗史箋證』
  • 『宋会要輯稿』
  • 『皇子楧加恩制』