アメリカ合衆国の軍服(アメリカがっしゅうこくのぐんぷく)は、アメリカ合衆国の軍人により着用される衣類であり、主に陸、海、空軍及び海兵隊の制服を指す。この項では建国から現在までのアメリカ合衆国における軍服の特徴と変遷について述べる。

統合参謀本部本部員の面々、2020年。左端から順にジョン・E・ハイテン空軍大将(統合参謀本部副議長)、マーク・A・ミリー陸軍大将(統合参謀本部議長)、ジェイムス・C・マコンビル陸軍大将(陸軍参謀総長)、デイビッド・H・バーガー海兵隊大将(海兵隊総司令官)、マイケル・M・ギルデイ海軍大将(海軍作戦部長)、チャールズ・Q・ブラウン・ジュニア空軍大将(空軍参謀総長)、ダニエル・R・ホカンソン陸軍大将(国防総省州兵総局長)、ジョン・W・レイモンド宇宙軍大将(宇宙軍作戦部長)
統合参謀本部本部員の面々、2001年。左端から順にリチャード・マイヤーズ空軍大将(統合参謀本部副議長)、ヒュー・シェルトン陸軍大将(統合参謀本部議長)、マイケル・E・ライアン空軍大将(空軍参謀総長)、エリック・シンセキ陸軍大将(陸軍参謀総長)、ジェームズ・L・ジョーンズ海兵隊大将(海兵隊総司令官)、ヴァーン・クラーク海軍大将(海軍作戦部長)。

概観 編集

18世紀後半にイギリスから独立したアメリカ合衆国の軍服は、旧宗主国のイギリスと独立以来民主主義の手本としていたフランスのデザインに影響が見られるが、早い時期から独自の進歩が見られた。アメリカにはヨーロッパ諸国のような王侯貴族が存在しないため士官の制服にも貴族的な装飾が必要とされず、全体に実用性が重視された。この事は20世紀の軍服に求められるコンセプトに通ずるものであった。また、19世紀初頭には世界に先駆けて既製服産業がアメリカで興り、1850年代にはミシンによる大量生産が行なわれた。このようにして、19世紀中にはアメリカが軍服に関して世界を主導する下地が出来上がっていたのである。そして、第一次世界大戦が国家の総力を挙げた近代戦となり、終戦によりヨーロッパの君主制が衰退したため、軍服に関してもアメリカの地位は確固たるものになった。

第二次世界大戦後はアメリカ合衆国が東西冷戦における西側陣営の盟主となり、東側陣営の盟主たるソ連軍とならんで、世界各国の軍服に最も大きな影響を与える存在となった。東側陣営が解体した1990年代以降は、この傾向がさらに強まって現在に至っている。

軍服以外の衣服やファッションに取り入れられた要素・与えた影響も大きなものがある。同様に日常の衣服に取り入れられたイギリス軍のトレンチコートなどと比べるとよりカジュアルな形で若年層に受け入れられている。

陸軍の軍服 編集

 
陸軍軍服の変遷

独立戦争 編集

独立戦争は正規軍のイギリス軍に対して農民ら民兵ゲリラが戦った戦争であるため、アメリカ側の軍服はまちまちである。ただジョージ・ワシントンの親衛隊はワシントン自身になぞらえてブルーの服を着ていた[1]

米英戦争 編集

セミノール戦争 編集

米墨戦争 編集

南北戦争 編集

南北戦争は本格的な作戦に基づく戦闘からゲリラ戦まで様々な様相を呈したので両陣営とも軍服は様々であり、規定に基づいた軍服もあれば、平服とほぼ変わらない軍服もあった[2]。特に南軍は制服支給が困難だったため軍服の不統一が目立ち、戦場に混乱をもたらすことが多かった[3]。工業地帯が多い北軍は比較的優れた装備が行き渡っていたものの、それでも軍服はおろか装備品も各部隊でまちまちだった[3]

ただ一般的なスタイルとして南軍はグレーのチュニックにブルーのズボン[4]、北軍はダークブルーの短い上衣とペールブルーのズボンだった[4]

米西戦争 編集

米比戦争 編集

第一次世界大戦 編集

アメリカの軍服は1898年以来、カーキ色(後にオリーブドラブ色)になっており、1917年に第一次世界大戦に参戦したアメリカはこの軍服で戦った。戦闘帽にはキャンペーンハット(モンタナ型)の他、イギリスと同じお皿型のブロディヘルメット(M1917ヘルメット)を使用した。またオーバーシーズキャップという略帽も使用した[5]

第二次世界大戦 編集

朝鮮戦争 編集

朝鮮戦争時の米軍は小さな変更点はあれど第二次世界大戦の軍装を引き続き使用した[6]。しかし冬の朝鮮半島の寒さは冬季ヨーロッパ戦線で体験した寒さよりはるかに深刻であり、アメリカにとって経験したことのない極寒の戦いとなった。ヨーロッパ戦線で使用した防寒着を基礎にシェルパーカー等の防寒着が生まれて活躍した[7]

また1951年8月にはM1951フィールドジャケットが採用された。ライナーは軽量パイル地で保温性が高かった。実際に着用が確認できるのは1953年からである[8]

ベトナム戦争 編集

ベトナム戦争では熱帯戦闘用ジャケットのジャングルファティーグが誕生して活躍した[9]。また1965年には米陸軍で初めての本格的な迷彩服となるリーフパターンの「ERDL英語版」が登場した(第二次世界大戦でもフロッグパターンのジャングルスーツがあったが使用は限定的だった)[10]。ERDL迷彩は1970年代には全軍に行き渡り、アメリカ軍といえばリーフパターンというイメージが定着するに至った[11]

湿地帯などで歩きにくいベトナムでの行軍とベトコンが仕掛けてくるトラップ防止のため、ソールにアルミニウム製プレートを入れ、踝にナイロンの補強をしたジャングルブーツも誕生している[12]

またゲリラ対策部隊として朝鮮戦争中に創設されたアメリカ陸軍特殊部隊は1961年にジョン・F・ケネディ大統領により「グリーン・ベレー」を制帽として支給された。グリーンベレーは秘密部隊だったが、ベトナム戦争でベールを脱いだ[13]

ベトナム戦争で使うものではないが、ソ連との戦争を見据えて防寒着の開発も進め、1965年にはM1965フィールドジャケットが採用されている[14]

グレナダ侵攻 編集

1980年からPASGTヘルメットが支給されるようになった。アラミド繊維を17層に重ねており、M1ヘルメットより20%から40%強度が上がった。第二次世界大戦時のドイツ軍のシュタールヘルム(フリッツヘルメット)と形状が似ていることから「フリッツ」の愛称がある。83年のグレナダ侵攻で第82空挺師団によって使用された[15]

また1981年には新しい迷彩パターンの「ウッドランド」が使用されたバトル・ドレス・ユニフォーム英語版が登場した。ブラック、ブラウン、濃いグリーン、カーキを組み合わせた色合いだった。大きめな襟と大きな4つのポケットが付いたシンプルなデザインだった[16]

パナマ侵攻 編集

湾岸戦争 編集

ソ連邦の崩壊により冷戦が終結した後、アメリカは「世界の警察官」としてその行動範囲を中東や湾岸地域にも拡大させていき、砂漠迷彩の開発が進んだ。湾岸戦争では当初1981年に採用された「チョコチップ」と呼ばれる初めての砂漠用迷彩服が使用されていた。ブラウン系のグランデーションと砂漠に転がる小石とその影をイメージして作られた迷彩柄の迷彩服だった。しかしこれはアメリカの砂漠を基準としていたため、細かい砂で構成される中東の砂漠では影の部分がかえって目立ってしまった。そのため湾岸戦争中にブラウン、カーキ、タンの3色の新しい迷彩柄が登場した。この迷彩柄はコーヒーの染みのようであるため「コーヒーステイン」と呼ばれている[14]。「コーヒーステイン」は92年ソマリア、01年アフガニスタン戦争、04年イラク戦争でも使用された[17]

アフガニスタン戦争・イラク戦争から現在 編集

アフガニスタン戦争・イラク戦争中にACU(Army Conmbat Uniform)が登場した。グリーンがかったグレーにカーキが混ざった迷彩で、市街地、温帯森林、砂漠などいずれでも一定の迷彩効果を発揮することをコンセプトとした汎用性迷彩パターン英語版(UCP)が使用されている[18]。2005年までに一部の部隊で支給が始まり、2008年までに全軍に支給された[19]。その後ACUの迷彩柄にはマルチカム作戦迷彩パターン英語版(OCP)が使用されるようになった。2015年からUCPのOCPへの差し替えが行われ、2019年にはUCPの運用は終わり、全部隊でOCPが支給された[20]

非戦闘用制服 編集

2019年に事務所勤務用の制服として第二次世界大戦と朝鮮戦争当時のピンク・アンド・グリーン(アーミー・グリーン)の軍服が復古した[21]

海軍の軍服 編集

空軍の軍服 編集

海兵隊の軍服 編集

宇宙軍 編集

アメリカ宇宙軍では独自の制服が完成するまでは空軍の制服を使用する。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 小貝哲夫『米陸軍軍装入門 (第二次大戦から現代まで)』イカロス出版〈ミリタリー選書5〉、2005年。ISBN 978-4871496933 
  • ウインドロー, リチャード『第2次大戦米軍軍装ガイド』並木書房〈ミリタリー・ユニフォーム3〉、1995年。ISBN 978-4890630615 
  • 穂積和夫斉藤忠直『世界の軍服』婦人画報社、1971年。 
  • マクナブ, クリス『世界の軍装図鑑 18世紀-2010年』創元社、2014年。ISBN 978-4422215280 
  • ライルズ, ケヴィン『ヴェトナム戦争米軍軍装ガイド』並木書房〈ミリタリー・ユニフォーム1〉、2003年。ISBN 978-4890631582 

関連項目 編集

外部リンク 編集

陸軍公式サイト 2014年制服改正