酒泉市

中国甘粛省の地級市

酒泉市(しゅせん-し)は、中華人民共和国甘粛省に位置する地級市

中華人民共和国 甘粛省 酒泉市
莫高窟
莫高窟
莫高窟
甘粛省中の酒泉市の位置
甘粛省中の酒泉市の位置
甘粛省中の酒泉市の位置
簡体字 酒泉
繁体字 酒泉
拼音 Jiŭquán
カタカナ転写 ジュウチュェン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
甘粛
行政級別 地級市
面積
総面積 167,996 km²
人口
総人口(2004) 91 万人
経済
電話番号 0937
郵便番号 735000
ナンバープレート 甘F
行政区画代碼 620900
公式ウェブサイト http://www.jiuquan.gov.cn/

2002年6月18日に「酒泉地区」と県級の「酒泉市」を撤廃して地級市となり県級行政区画の粛州区を増設した。

地理 編集

 
霍去病の像

酒泉市は甘粛省西北部、河西回廊の西端、東経92度09分から100度20分、北緯37度58分から42度48分の範囲に位置する。東は張掖市、南は青海省、西は新疆ウイグル自治区、北は内モンゴル自治区エジン旗と隣接し、モンゴル国との国境を有する。東西680km、南北550km。

酒泉の地名の由来となった泉は、鐘楼からすぐ近くの公園の中にあった。河西回廊の伝説には必ずと言っていいほど、の英雄の霍去病が登場する。

霍去病が匈奴を打ち負かしたことを聞いた漢の武帝は、10樽の酒を彼に送った。しかし、20万人もの兵士全員にいきわたるはずはなく、霍去病はすべての兵が平等に皇帝からの酒をいただくために、酒を泉に注ぎ込んだ。すると泉の水が濃厚な酒の香を放ち、その美酒はいくら飲んでも尽きることなく沸き続けた。これにちなんで、「酒の泉」と呼ばれるようになったという。

霍去病の西域遠征の像が池のそばに作られている。

民族 編集

2000年の国勢調査時のデータ;総人口は980,492、人口密度5.45人/km²。

民族 人口 比率
漢族 952,672 97.16%
回族 7,248 0.74%
東郷族 5,623 0.57%
モンゴル族 4,958 0.51%
カザフ族 2,788 0.28%
ユグル族 2,435 0.25%
チベット族 2,307 0.24%
土族 791 0.08%
満州族 686 0.07%
土家族 230 0.02%
ウイグル族 190 0.02%
苗族 125 0.01%
その他 439 0.05%

行政区画 編集

1市轄区・2県級市・2・2自治県を管轄する。

行政区画 面積 人口
粛州区 3,386km2 34万人(2002年)
玉門市 13,307km2 19万人(2002年)
敦煌市 26,960km2 13万人(2002年)
金塔県 14,663km2 14万人(2004年)
瓜州県 23,150km2 9万人(2004年)
粛北モンゴル族自治県 55,000km2 1万人(2002年)
アクサイ・カザフ族自治県 31,374km2 1万人(2004年)
酒泉市の地図

年表 編集

この節の出典[1][2]

酒泉専区(1949年-1955年) 編集

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国甘粛省酒泉分区が成立。酒泉県金塔県鼎新県安西県敦煌県玉門県臨沢県高台県粛北設治局が発足。(8県1設治局)
  • 1949年12月 - 酒泉分区が酒泉専区に改称。(8県1設治局)
  • 1949年12月5日 (6県1旗1設治局)
  • 1950年5月25日 - 張掖専区高台県臨沢県を編入。(8県1旗1設治局)
  • 1950年7月20日 - 粛北設治局が自治区に移行し、粛北自治区となる。(8県1旗1自治区)
  • 1950年7月24日 - エジン旗が寧夏省に編入。(8県1自治区)
  • 1950年12月 - 高台県の一部が武威専区張掖県に編入。(8県1自治区)
  • 1953年10月26日 - 玉門県の一部が分立し、玉門鉱区が発足。(8県1自治区1鉱区)
  • 1953年12月22日 - 粛北自治区が粛北モンゴル族自治区に改称。(8県1自治区1鉱区)
  • 1954年3月20日 - 酒泉県・高台県の各一部が武威専区張掖県の一部と合併し、粛南ユグル族自治区が発足。(8県2自治区1鉱区)
  • 1954年6月19日 - 寧夏省エジン旗自治区を編入。(8県3自治区1鉱区)
  • 1954年6月26日 - 金塔県の一部が鼎新県に編入。(8県3自治区1鉱区)
  • 1954年7月15日 - 敦煌県の一部が分立し、アクサイ・カザフ族自治区が発足。(8県4自治区1鉱区)
  • 1954年9月24日 - 金塔県の一部が酒泉県に編入。(8県4自治区1鉱区)
  • 1955年2月22日 - 粛北モンゴル族自治区が県制施行し、粛北モンゴル族自治県となる。(8県1自治県3自治区1鉱区)
  • 1955年3月16日 - エジン旗自治区が旗制施行し、エジン自治旗となる。(8県1自治県1自治旗2自治区1鉱区)
  • 1955年5月19日 - 粛南ユグル族自治区が県制施行し、粛南ユグル族自治県となる。(8県2自治県1自治旗1自治区1鉱区)
  • 1955年7月25日 - アクサイ・カザフ族自治区が県制施行し、アクサイ・カザフ族自治県となる。(8県3自治県1自治旗1鉱区)
  • 1955年10月10日 - 酒泉専区が武威専区と合併し、張掖専区の発足により消滅。

玉門市 編集

  • 1958年2月12日 - 玉門市が地級市の玉門市に昇格。(1市)
  • 1958年9月5日 - 張掖専区玉門県が玉門市に編入。(1市)
  • 1958年10月25日 - 玉門市が張掖専区に編入。

酒泉市(第1次) 編集

  • 1958年11月21日 - 張掖専区酒泉県金塔県が合併し、酒泉市が発足。(1市)
  • 1961年12月15日 - 一部が分立し、酒泉専区金塔県となる。(1市)
  • 1964年6月5日 - 酒泉市が酒泉専区に編入。

酒泉地区(1961年-2002年) 編集

  • 1961年11月15日 - 張掖専区玉門市敦煌県安西県粛北モンゴル族自治県アクサイ・カザフ族自治県を編入。酒泉専区が成立。(1市2県2自治県)
  • 1961年12月15日 - 酒泉市の一部が分立し、金塔県が発足。(1市3県2自治県)
  • 1964年6月5日 - 酒泉市を編入。(1市4県2自治県)
    • 酒泉市が県制施行し、酒泉県となる。
  • 1965年7月19日 - 酒泉県の一部が張掖専区粛南ユグル族自治県の一部と合併し、嘉峪関市が発足。(2市4県2自治県)
  • 1965年7月28日 (1市4県2自治県)
    • 嘉峪関市が省直轄県級行政区となる。
    • 酒泉県の一部が嘉峪関市に編入。
  • 1969年7月5日 - 内モンゴル自治区バヤンノール盟エジン旗を編入。(1市4県2自治県1旗)
  • 1969年9月4日 - 酒泉専区が酒泉地区に改称。(1市4県2自治県1旗)
  • 1970年5月8日 - 嘉峪関市を編入。(2市4県2自治県1旗)
  • 1971年9月10日 - 嘉峪関市が地級市の嘉峪関市に昇格。(1市4県2自治県1旗)
  • 1971年10月23日 - 粛北モンゴル族自治県の一部が安西県に編入。(1市4県2自治県1旗)
  • 1971年11月11日 (1市4県2自治県1旗)
    • 酒泉県の一部が嘉峪関市に編入。
    • 張掖地区粛南ユグル族自治県の一部が酒泉県に編入。
  • 1972年12月8日 - 酒泉県の一部が張掖地区粛南ユグル族自治県に編入。(1市4県2自治県1旗)
  • 1973年7月28日 - 安西県の一部が粛北モンゴル族自治県に編入。(1市4県2自治県1旗)
  • 1979年5月30日 - エジン旗が内モンゴル自治区バヤンノール盟に編入。(1市4県2自治県)
  • 1985年5月14日 - 酒泉県が市制施行し、酒泉市となる。(2市3県2自治県)
  • 1986年5月24日 (2市3県2自治県)
    • 粛北モンゴル族自治県の一部がアクサイ・カザフ族自治県に編入。
    • アクサイ・カザフ族自治県の一部が粛北モンゴル族自治県・敦煌県に分割編入。
  • 1987年8月21日 - 敦煌県が市制施行し、敦煌市となる。(3市2県2自治県)
  • 2002年6月18日 - 酒泉地区が地級市の酒泉市に昇格。

酒泉市(第2次) 編集

  • 2002年6月18日 - 酒泉地区が地級市の酒泉市に昇格。(1区2市2県2自治県)
    • 酒泉市が区制施行し、粛州区となる。
  • 2006年2月8日 - 安西県が瓜州県に改称。(1区2市2県2自治県)

観光地 編集

交通 編集

空港

鉄道

道路

脚注 編集

外部リンク 編集