里村 明衣子(さとむら めいこ、1979年11月17日 - )は、日本の女子プロレスラー、実業家。 センダイガールズプロレスリング株式会社代表取締役社長新潟県新潟市西区出身。「女子プロレス界の横綱」の愛称で知られている。

里村 明衣子
里村 明衣子の画像
プロフィール
リングネーム 里村 明衣子
本名 里村 明衣子
ニックネーム 女子プロレス界の横綱
LIVING LEGEND
ファイナル・ボス
身長 157cm
体重 68kg
誕生日 (1979-11-17) 1979年11月17日(44歳)
出身地 新潟県新潟市西区
所属 センダイガールズプロレスリング(代表取締役社長)
スポーツ歴 柔道
トレーナー 長与千種
デビュー 1995年4月15日
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所属 編集

経歴 編集

柔道出身で、中学時代には自ら柔道部を設立して中学3年の頃には県大会優勝等の成果を残すが、中学時代に姉に連れられ新日本プロレスを観戦し、初めてプロレスの存在を知る。当時は女子プロレスの存在を知らなかったので「私が世界で最初に女子プロレスを作ってやろう」と思っていたが、姉から女子プロレスがあることを聞いて知った。レンタルビデオで1993年4月2日の横浜アリーナ大会の試合を見たが、豊田真奈美井上京子の試合にまず驚かされ、「こんなに格好いい女性が世の中にいたんだ」という衝撃を受けた。そして最後の神取忍北斗晶の試合を見て、自分がやるのは女子プロレスしかないと思った。里村も、中学卒業を待たずに2学期頃に学業を放棄してプロレスの門を叩く。その後は録画した『ワールドプロレスリング』の中継でスクワットをやっている映像を何度も巻き戻しながら見てそれを真似する、ミスター高橋の著書『プロレスラーになる方法』を読むなど、独自のトレーニングや研究に明け暮れ、1994年GAEA JAPANの旗揚げを知り、「人数が少ないから、すぐトップになれる」の名言と共にオーディションを受け、参加者中、トップの成績で合格する。面接では長与千種から「身体は細いし、背も小さいし、しかもまだ中学生。落ちたらどうするの?」と心配されたが、里村は「私は何回でも受けにきます。中学を卒業するまでは、自宅で毎日練習します。」と答え、これが合格の決め手となった。GAEAへ入門した理由としては、厳しい年功序列がないことを後年挙げている[1]。尤も、全女のトップレスラーがGAEAのリングに上がるようになってからは年功序列が介入するようになった[2]

合格後、長与千種の付け人を7年間経験する[3]。厳しいトレーニングに明け暮れ、翌年の1995年4月15日後楽園ホールでの加藤園子戦にてデビュー。15歳の史上最年少レスラーとして、他のデビューした新人選手達と共に里村も新人らしからぬ試合内容に『脅威の新人』と呼ばれる。

デビュー後、里村は女子プロレス団体の共催企画である『ジュニア・オールスター戦』のメインイベントに出場すると言う大抜擢を受け、先輩レスラー達に臆する事なく向って行き、負けはしたが、里村もMVPを受賞するなど高い評価を得た。しかし当時、「もっと上にいく」と考えていたことから新人という枠の中で評価されたことを快く思わず、専門誌などに関連記事が大きく取り上げられてもうれしくなかったという[4]。その後、1998年4月、長与から後継者指名を受け、GAEAのエース候補として注目される。

その後、デビル雅美と激しい抗争を繰り広げ完璧な3カウントフォールを奪取。さらにダイナマイト・関西尾崎魔弓を連破。その後の旗揚げ6周年大会で北斗晶との激しいケンカマッチを制し、さらにアジャ・コングとのタイトルマッチに勝利し、生え抜き選手としては初のAAAWシングル選手権を獲得する。

その後も里村は順調な活躍を見せるものの、2005年に腰椎捻挫と椎間板ヘルニアを同時発症。選手生活初の8ヶ月間に渡り長期欠場というアクシデントに見舞われるが、怪我を克服しリングに復帰する。

2006年GAEA JAPANが解散となり、新崎人生が里村に声をかけ宮城県仙台市を拠点に『センダイガールズプロレスリング』を旗揚げ。里村も自らエースとして活動するのみに留まらず、コーチとして新人選手の育成等に手腕を振るっている。

2007年10月5日、日向あずみが繰り出した顔面へのランニングニーバットで右眼窩底骨折の重傷を負い長期欠場。手術を計3回行った。

欠場中は、リハビリと選手育成に専念した。これと並行して2008年2009年と、仙女選手と同世代の他団体若手選手にも目を向けるべく、「じゃじゃ馬トーナメント」を企画し成功を収めた。特に復帰後の2009年の開催に際しては、里村は4月19日を除いて自分の試合をあえて組まず、全てを若手選手に一任していた。

2008年10月26日、Zepp Sendai大会にてvsアジャ・コング戦で復帰を果たす。

2009年4月30日、加藤園子永島千佳世自主興行「Yes We Can 1dayトーナメント」で優勝しメキシコAAAテレビマッチ出場権を獲得したが、6月に椎間板ヘルニアを再発、手術のために再び長期欠場を余儀なくされた。

12月20日、vs日向戦で復帰。

2010年、仙女主催第2回戦場トーナメントで優勝し9月23日アイスリボン後楽園大会メイン、さくらえみとの初シングル戦に勝利。

2011年、ムック本『かっこいいカラダ』に11キロの減量で絞り上げた肉体やシックスパックを披露。

8月1日、社長の人生より団体ごと独立し社長に就任。

2012年3月20日スターダム後楽園大会にて一学年上の高橋奈苗が保持するワールド・オブ・スターダム王座に挑戦。いわゆる「女子プロレス頂上対決」と謳われた一戦だったが、試合は 里村が高橋のワンセコンドEXで敗れた[5]

2013年4月29日、スターダム両国国技館大会にて彩羽匠デビュー戦の相手として対戦(長与に憧れプロレス入りした彩羽の逆指名)。同年、女子プロレス大賞を受賞する。

2014年6月、小橋建太主催の『FortuneDream1』に抜擢される。その後、定期的に参戦している。

8月、北朝鮮平壌にて開催されたアントニオ猪木主催のプロレスフェスティバルに出場。

2015年7月、日本郵便より里村の切手が発売される。日本人では初のプロレスラー切手の発売となった。

5月、女子プロレスラーで初「NPCJ」のボディコンテストに出場。

11月、両国国技館で開催された天龍源一郎の引退興行に女子プロレスの試合が1試合組まれ、里村をはじめ仙女が選ばれる。

12月、仙台市の勝山館にて里村のデビュー20周年パーティーが開催され、仙台出身でお笑いコンビのサンドウィッチマンもお祝いに駆けつけ、東北放送の『サタデーウォッチン』で生中継された。

2016年12月、メルパルク仙台にてセンダイガールズプロレスリング10周年記念パーティーが開催。

アメリカの団体「CHIKARA」に参戦。6人タッグトーナメント「king of trios」にて初優勝。

2017年11月17日、自身の誕生日に初のエッセイ本『「かっこいい」の鍛え方。』を出版。

2018年3月30日、イギリスの団体「ファイトクラブ・プロ」に初参戦し、女子で初めて男子団体のベルトを奪取する。

8月、WWEの女子トーナメントメイ・ヤング・クラシックに参戦。全試合、高評価を得て最高執行役員のトリプルHから称賛される。だが、10月24日放送の準決勝でトニー・ストームに敗れた[6]

10月、ドイツの団体「WXW」に初参戦し、女子トーナメントで優勝する。

12月、2018年週刊プロレスグランプリにおいて、女子プロレスグランプリを獲得。

2019年1月、新日本プロレスの棚橋弘至と共に週刊プロレスの表紙を飾った。

3月21日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会において竹下幸之介&彰人&飯野雄貴組が保持するKO-D6人タッグ王座に挑戦し、勝利。(里村のパートナーはDASH・チサコ&橋本千紘)。 女性初のKO-D6人タッグ王者となる。

2019年5月よりWWE・NXTの臨時コーチを務めている。

8月28日、DDTプロレスリング新木場1stRING大会において、男色ディーノが保持するKO-D無差別級王座に挑戦し勝利。女性初のKO-D無差別級王者となる。

2021年1月、WWEとコーチ兼選手契約を結ぶ[7]。仙女の代表取締役のため所属ではなく、参戦契約。国内では通常通り仙女を中心に活動するが、どちらもスポット参戦となる。

6月10日、ケイ・リー・レイを下し、NXT UK女子王座を獲得する。

12月2日のロンドン大会でザイヤ・ブルックサイドを下し、4度目のNXT UK女子王座防衛に成功。試合後、里村は自らのTwitterで、「誰が私を倒せるんだ?」と自信たっぷりに投稿した[8]

2022年8月23日、NXT UKの発展的解消に伴ってNXTに参戦。Worlds Collideにてマンディ・ローズブレア・ダベンボートとの3way方式のNXT女子王座統一戦に挑むもブレアがローズに敗れ、王座を失った。

得意技 編集

師である長与から技のアドバイスを受け継ぎ、横綱ばりのプロレスが里村の持ち味でもある。デビュー以降は、赤を基本としたコスチュームでプレーしている。

フィニッシュ・ホールド 編集

デスバレーボム
相手をファイヤーマンズキャリーで肩に担いでそのまま横に落としていく技。里村のフェイバリット技として愛用し続け、腕をロックしながら落とす形のものなど様々なバリエーションがある。
スコーピオライジング
シャイニング式踵落とし。
片膝状態の相手に飛び乗り、そのまま踵落としを相手の後頭部又は首に打ち込む技。アジャコングとのAAAW戦を前に、里村が山篭りの修行の末に編み出された技。

打撃技 編集

エルボー
エルボースマッシュ
エルボー・スタンプ
バックエルボー
逆水平チョップ
張り手
サトムラ・スペシャル
側転式ニー・ドロップ
ロープ際で相手が四つん這い、又はうつ伏せ状態の相手に対して自ら、ロープから走り込んで側転し、その遠心力を利用して後頭部に右膝を叩きつける変形ニー・ドロップ。相手は後頭部は又は、顔面も強打する強烈な打撃技。
オーバーヘッドキック
相手に背中を向けるような体勢になった時に、後方に回転しながら相手の頭上から蹴りを叩き込む。相手の一瞬の隙を突いて出されるこの技は試合の流れを一転させるほどの威力を持つ。
ぐるぐるエルボー
コーナーにもたれている相手に向かって、両腕を大きく旋回させながら助走をつけ、ジャンピングエルボーを叩き込む技。

関節技・絞め技 編集

スリーパーホールド
里村の場合は、通常、胴締め式の2種類を使用する。
腕ひしぎ十字固め
雪崩十字
コーナーポストに後ろ向きに座った相手の腕を取り、共にリングに向かって落下しながら腕ひしぎ逆十字を極める技。落下の衝撃でよりきつく極まる。

タイトル歴 編集

GAEA JAPAN
スターダム
センダイガールズプロレスリング
DDTプロレスリング
プロレス大賞
  • 女子プロレス大賞(2013年)
WWE

入場テーマ曲 編集

  • ROCK YOUR LIFE AWAY

エピソード 編集

  • デビュー時、里村は赤色のリングコスチュームを与えられた。赤は長与千種のコスチュームの色であり、その時点で「長与の後継者」に期待されていたことが窺える(赤はその後のコスチュームや、センダイガールズのシンボルカラーにも継続して用いられている)。なお、デビュー戦の相手である加藤園子にはライオネス飛鳥の色である青が与えられている。
  • 新人時代、長与から「1ヶ月以内に10kg太らなければ罰金10万円だ」と増量を命じられ、それから1ヶ月間毎日長与は自宅に招いて「食べないと(食事の時間は)終わらないぞ」と米10杯を食べさせた。しかし増量に失敗し、10万円の罰金を支払う羽目になった。その10万円はGAEAが解散した時に会社の積立金として残っており、最後はちゃんと里村に返された[1]
  • 里村は業界の隆盛と衰退の両方を見てきたレスラーである。自身が入門した頃の女子プロレスではレスラーの羽振りが大変よいため「このような生活を続けて大丈夫だろうか?」と思ったこともある。また、別の団体のレスラーは、トップから下っ端までが試合後に飲みに行って、昼過ぎまで寝て、少しだけ練習して、また飲みに行って…というような生活を送っており、そういう業界の体質を変えたいと考えていた[1][2]
  • 和服を好み、プロレス雑誌にも和服を着ている写真が掲載されている。また、GAEA時代のコスチュームも和服をイメージしたものがある。2008年10月26日に復帰した際にも、伊達政宗をモチーフにしたコスチュームで入場している。
  • 『のほほんだけじゃダメかしら?』大槻ケンヂ著 集英社 にてインタビュー出演。
  • アメリカやイギリスの同業レスラーから絶大な信頼を寄せられている。里村に憧れて日本に来る選手も多い。
  • 宮城県では仙台市教育委員会による、小学校・中学校の特別授業[自分作り・夢教室]に数多く講演講師として出向いている。
  • 上記のメイ・ヤング・クラシックに出場できた経緯として、1997年3月にWCWマンデー・ナイトロへ出演した過去があることが挙がっている。

脚注 編集

  1. ^ a b c 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)107ページ
  2. ^ a b 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)109ページ
  3. ^ NXT・UK女子王座V7達成! 里村明衣子選手登場!! - YouTube
  4. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)108ページ
  5. ^ “奈苗が里村との"女子プロレス頂上対決"を制し、赤いベルトを防衛!BYがカワカツにタッグ王座防衛!世代闘争は3期生がまさかの下克上!”. バトル・ニュース. (2012年3月20日). https://battle-news.com/battle/2012/03/001077.php 
  6. ^ 里村明衣子、準々決勝敗退も試合後コールわき起こる”. 日刊スポーツ (2018年10月25日). 2020年11月8日閲覧。
  7. ^ “里村明衣子がWWEと日本人初のコーチ兼選手契約”. 日刊スポーツ. (2021年1月29日). https://www.nikkansports.com/battle/news/202101280000770.html 
  8. ^ 里村明衣子V4防衛成功「誰が私を倒せるんだ?」弟子が次週ダベンポート戦 日刊スポーツ 2021年12月3日12時32分 (2021年12月4日閲覧)

外部リンク 編集