阿佐太子

6世紀末~7世紀前半頃, 百済の王族出身画家で、威徳王の息子。日本に来て聖徳太子の肖像画を描いたと伝えられる。

阿佐太子(あさたいし、アジャテジャ、6世紀末 - 7世紀前半頃)は、百済の王族出身の画家。推古天皇五年(597年)、威徳王の命で来日[1]推古天皇五年(597年)に朝貢した百済王の子といわれるが、百済の史料にはない[2]

生涯 編集

日本書紀』によれば、推古天皇5年(597年)4月に日本に渡って聖徳太子肖像画を描いたと伝えられる。奈良の法隆寺に伝来し、明治以降は御物となっている『聖徳太子二王子像』と呼ばれる絵は、日本で一番古い肖像画とされている。その形式は中央に太子が立ち、その左右に2人の王子(伝えられるところによれば、右側が山背大兄王、左側が殖栗王)を小さく配置した構成であり、この配置は、仏教の三尊仏形式の影響を受けたとも考えられる。しかし、『聖徳太子二王子像』を阿佐太子筆とするのは、鎌倉時代の法隆寺僧が、慶政上人の説とした記事によるもので信憑性に乏しい[2]。また、閻立本の作とされる初唐の『歴代帝王図巻』にみられる貴人像に似ていることから、閻立本の貴人像を模したものとする説もある[2]

脚注 編集

参考文献 編集

関連項目 編集