霧の乙女号(きりのおとめごう、: Maid of the Mist)は、ナイアガラの滝を遊覧する観光船である。

霧の乙女号

遊覧船はレインボーブリッジの近く、ナイアガラ川の流れが緩やかになる場所から出発し、アメリカ滝ブライダルベール滝の横を抜けて、カナダ滝の水煙が巻き上がる滝つぼまでを行き来する。船はカナダ側、アメリカ側のどちらからでも出ており、それぞれの出発地点と同じ場所に戻る。

アメリカ側から来た乗客には霧の乙女号の青いポンチョが、カナダ側から来た乗客には赤いポンチョが配られる。

歴史 編集

1846年に霧の乙女号はカナダ側とアメリカ側とを結ぶフェリー船として運航を開始した。しかし、1848年、下流にワールプール・ラピッド・ブリッジができたことにより乗客を失い、1854年に、観光客向けの遊覧船として再スタートを切る。

財政難と南北戦争のため、1860年に船はモントリオールの会社に売却され、公式には1893年までサービスが続けられることはなかった。1893年に新しい船が二隻が建造され、霧の乙女号蒸気船会社「Maid of the Mist Steamboat Company」の名のもと、新しいパートナーシップが結ばれた。この船は川の下流で運航していたが、1955年4月22日に事故が起きたことで、現在見られるタイプの船へと置き換えられた。

1960年7月9日、7歳の男の子だったロジャー・ウッドワードがカナダ滝から転落し、ライフジャケット以外を身に付けずに助かった最初の人となる。このときにこの子どもを救助したのが乙女号 IIで、船は1983年まで運航された。その後、アマゾン川で数年使われていた。

1894年から1991年までアメリカ側では、崖から船着場への行き来はインクラインが使われていたが、観光客が増え始めた1990年代にあたる1991年にエレベーター4台へと置き替わった。

期間 編集

運航期間は、4月中旬から例年10月24日まで。運航開始日は春先、エリー湖から流れてくる氷が流れきってから、が目安になるため、毎年異なる。

著名な乗客 編集

保有船 編集

 
1901年頃の霧の乙女号 I
 
1896–1906年頃の霧の乙女号 IIの立体視
 
1976年、接岸する霧の乙女号
 
霧の乙女号から臨むナイアガラの滝
 
霧の乙女号の観光客。瀑布の噴霧対策として、レインコートを着用している。

観光船の名前はローマ数字が霧の乙女号の名の後ろに付けられている。現在の保有数は4隻。

霧の乙女号 I

  • 年数: 1846~1854年
  • タイプ: 二段式蒸気船フェリー
  • 動力エンジン: 外輪一つ(側外車)

霧の乙女号 I

  • 年数: 1854~1860年
  • 全長: 72 ft
  • タイプ: 一段式蒸気船
  • 動力エンジン: ペダル式(外輪船)

霧の乙女号 I

  • 年数: 1885~1955年
  • タイプ: 蒸気船
  • 動力エンジン: N/A

霧の乙女号 II

  • 年数: 1892~1955年
  • タイプ:白いオークの蒸気船
  • 動力エンジン:蒸気エンジン二つ

霧の乙女号 I

  • 年数: 1955~1990年
  • タイプ: 蒸気船
  • 全長: 66ft
  • 動力エンジン: 200hp ディーゼルエンジン
  • 定員数: 101名

霧の乙女号 II

  • 年数: 1956~1983年
  • タイプ: 上記霧の乙女号 Iと同型
  • 動力エンジン: 200hp ディーゼルエンジン
  • 定員数: 101名

霧の乙女号 III

霧の乙女号 IV

  • 年数: 1976年~現在
  • 全長: 72ft
  • 重量: 74t
  • 動力エンジン: 250hp ディーゼルエンジン二つ
  • 定員数: 300名

霧の乙女号 V

  • 年数: 1983年~現在
  • 全長: 72ft
  • 重量: 74t
  • 動力エンジン: 250hp ディーゼルエンジン二つ
  • 定員数: 300名

霧の乙女号 VI

  • 年数: 1990年~現在
  • 全長: 80ft
  • 重量: 145t
  • 動力エンジン: 350hp ディーゼルエンジン二つ
  • 定員数: 600名

霧の乙女号 VII

  • 年数: 1997年~現在(VIと同型)
  • 全長: 80ft
  • 重量: 145t
  • 動力エンジン: 350hp ディーゼルエンジン二つ
  • 定員数: 600名

小さな乙女号

  • 小型船

映画 編集

霧の乙女号が撮影されている主な映画。

外部リンク 編集