駒野友一

日本のサッカー選手

駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 - )は、和歌山県海南市出身[4][5]の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー[6]ミッドフィールダー[7]。元日本代表広島県立吉田高等学校卒業[4]

駒野 友一
名前
愛称 コマちゃん[1]、コマ[2]
カタカナ コマノ ユウイチ
ラテン文字 KOMANO Yuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-07-25) 1981年7月25日(42歳)
出身地 和歌山県海南市
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2007 サンフレッチェ広島 191 (9)
2008-2015 ジュビロ磐田 257 (13)
2016 FC東京 1 (0)
2016 アビスパ福岡(loan) 12 (1)
2017-2018 アビスパ福岡 63 (2)
2019-2022 FC今治 92 (2)
通算 616 (27)
代表歴2
1999-2001  日本 U-20 10 (0)
2002  日本 U-23 4 (0)
2005-2014[3] 日本の旗 日本 78 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月29日現在。
2. 2013年8月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

プロ入り以前 編集

小学生の頃はFWだったが、中学2年生時に招集された関西選抜において「左足で蹴れるから」と抜擢された左サイドハーフ(SH)での活躍により[8]、同3年生時には複数の私立高校やクラブから勧誘された。

1996年秋に父が病死したこともあり[4]寮費減免があるサンフレッチェ広島ユースを選択[9][8]。同年冬に広島県・吉田中学校へ転校し、1997年、高校1年生時から広島ユースに加入[4][注 1]ウイングバック(WB)として活躍し、高校3年次には同級生の森崎和幸浩司兄弟とともに2種登録選手になった。

サンフレッチェ広島時代 編集

2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約を締結[10][注 2]。翌2001年、ヴァレリー・ニポムニシに見出され、右サイドバック(SB)として沢田謙太郎からレギュラーを奪った[9]。その後も安定したプレーを見せ、その年の2ndステージ3位になる原動力となった。これ以降も右アウトサイドのレギュラーとして活躍した。

2003年8月、J2第28節横浜FC戦で左膝前十字靭帯を断裂[9][11][12]。手術後の入院中に脚をギプスで固定したことで静脈血栓塞栓症を発症し生命の危機に陥った[12]。懸命なリハビリを続け、2004年4月のナビスコカップ横浜FM戦で復帰。駒野不在の間、広島の右サイドのレギュラーに定着した選手はいなかった。

2004年9月にはぶどう膜炎を発症し失明の危機まであったが[9]軽症で済んだ[12]。2005年にかけて復調し、佐藤寿人へのクロスによってチャンスを量産[12]、右SBながら9アシストを記録した[注 3]。利き足である右足から放つクロスを得意とし、特にFWの動きに合わせた軌道を研究して練習した、と自身で述べる鋭く曲がり落ちるアーリークロスは大きな武器となり、当時の専門誌において「クロスボール部門」Jリーガー第1位に選ばれている[13]

2007年、広島は守備の崩壊などによりシーズンを16位で終え、入れ替え戦の末J2への降格が決定。オフには広島からの慰留に加えてジュビロ磐田及びヴィッセル神戸からオファーを受けた[14][15]が、ジュビロ磐田への移籍を決断した[16][7]。佐藤寿人は入れ替え戦の敗北後サポーターに向けて残留宣言とも取れるメッセージを発し、ベガルタ仙台での降格経験からチーム戦力維持のためにチームメイトへの慰留を行ったが、日本代表の主力であった駒野だけは直ぐに呼びかけることができなかった[17]。結果として、駒野は当時レンタル移籍中であったウェズレイを除き唯一広島を退団した主力選手となった。

ジュビロ磐田時代 編集

2009年からは背番号を田中誠の退団により空いた広島在籍時と同じ「5」に、ポジションをMFからDF(SB)に変更。2年続けてJ1残留争いを経験し[18]、同年末には広島からの復帰要請に前向きな姿勢を見せるも[18] 広島の資金難によって復帰は立ち消えとなり[19] 磐田に残留。

2010年もSBとして活躍を続けたが、同年10月の韓国代表戦で右上腕骨骨折[20]磐田が12年ぶりの優勝を決めたナビスコカップ決勝戦を含めたシーズン終盤を欠場した。

2011年、右SBとしてJ1全試合にフル出場し、FW前田遼一との好連携でリーグ最多のアシストを記録[21][注 3]。2012年1月にはベルギー1部リーグシント=トロイデンVVへの移籍で基本合意に至るも[22]、磐田との契約期間を残しており[23] 違約金等の調達がまとまらずに頓挫[24][25]。磐田残留が決まった[26]

2012年もリーグ戦全試合に出場し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。

2013年は監督・森下仁志による新布陣採用に伴ってSBからWBにポジションを上げたが、これが奏功せずチームは低迷[27]。同年は主将を務め[28] 第23節新潟戦でJ1通算350試合出場を達成するも[29]、クラブ史上初、自身3度目のJ2降格を喫した[28]

2015年はシーズン後半にかけて宮崎智彦に左SBのレギュラーを奪われたが、第33節群馬戦では途中出場で直接FKによる決勝点を挙げ[30]、ベテランとしてチームを支え磐田のJ1昇格に貢献。しかし、磐田からは契約延長を打診されたが、若返りを理由に単年契約でのオファーだった事もあり、退団を決意した[31]

FC東京時代 編集

2016年よりFC東京へ移籍[32][6]。 2月9日に行われた2016年シーズン初戦となったAFCチャンピオンズリーグ2016 プレーオフ・チョンブリーFC戦でスタメンで出場。自身初のACLとなったvs全北現代モータースで肉離れを起こし、リーグ開幕戦は欠場となった[33]。オーバーエイジ枠でFC東京 U-23として、同年4月3日に行われたJ3リーグ第3節・ブラウブリッツ秋田戦で初めてJ3の試合に出場した。 2016年7月、怪我や若手の小川諒也の活躍もあり、リーグ戦は1試合のみの出場で止まり、同年7月3日にアビスパ福岡へ期限付き移籍[34]

アビスパ福岡時代 編集

11月22日に契約満了によりFC東京を退団する事が発表され[35]、2017年1月6日に期限移籍先であった福岡へ完全移籍する事が発表された[36]。10月22日に行われたジェフユナイテッド市原・千葉戦でJリーグ通算500試合を達成。

2018年11月25日、福岡との契約満了が発表された[37]

FC今治時代 編集

2019年1月4日、南アフリカW杯で日本代表監督だった岡田武史が代表を務め、広島在籍時代監督だった小野剛が監督を務める[38]FC今治へ入団すると発表された[39]。2019年シーズン、JFLベストイレブン受賞[40]

2022年10月11日、2022年をもって現役引退することを発表した[41]

現役引退後 編集

2023年4月から古巣 サンフレッチェ広島のスクールコーチに就任した[42]。同年10月24日にJリーグ功労選手賞を受賞した[43]

日本代表 編集

年代別代表時代から左右のSBとしてプレー。2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピックに選出されたが、ガーナ戦で左鎖骨を骨折[9][12]

A代表には、2005年の東アジア選手権で負傷の三浦淳宏に代わって初招集され[44]、8月3日の中国戦で国際Aマッチ初出場[45]。その後もDF加地亮のバックアッパーとして定着し[45][46]翌2006年開催のワールドカップメンバーに選出された。これは追加招集された茂庭照幸と共に「アテネ世代」からの数少ない選出であった。加地の負傷により[9][45]、本大会初戦のオーストラリア戦で先発出場。この試合では同点に追いつかれた直後、ペナルティエリア内でドリブルを仕掛けて相手DFに倒され、あわや追加点となるチャンスを作った[注 4]。しかし守備で振るわずに逆転負けを喫し[47][45]、加地が復調した第2戦以降は控えに回った[47]

2006年から2007年にかけてのイビチャ・オシム体制下では、スピード[注 5]を評価され、左SB及び左WBの一番手として重用されたが[46]、オシム後任の岡田武史監督の下ではDF内田篤人長友佑都ら若手選手の台頭により、控えに戻った[45]

2010年開催のFIFAワールドカップでは、大会直前に行われた強化試合コートジボワール戦におけるDF今野泰幸の負傷もあり[9][47]堅実なプレーでポジションを再奪取[49][50]。本大会のグループリーグ3試合決勝トーナメント1試合の計4試合で右SBとして先発出場した。好調を維持し[47]、スプリント数においては日本代表では駒野と本田圭佑だけが4試合全てで100超を数え[51][52][53][54]、また、カメルーン戦では時速25.77kmを記録[51]。攻守に献身的な働きで[11]日本の決勝T進出に貢献した。決勝T1回戦のパラグアイ戦では、相手陣内深いエリアまで上がり再三クロスを上げるなどチャンスを演出し、パラグアイに押し込まれた時間帯には体を張った守備でピンチの芽を摘むなど豊富な運動量でチームの完封に貢献した[55]。同試合は延長戦でも決着せずPK戦となり、駒野は3人目のキッカーを任されたが[56] シュートをバーに当て失敗[11][55]。パラグアイは全員PKを成功させたためベスト8進出を逃した。

2010年8月以降のアルベルト・ザッケローニ体制下でも内田・長友の控えが続いたが[57][45][58]、2011年10月11日のFIFAワールドカップ3次予選タジキスタン戦では国際Aマッチ初得点を含む1ゴール2アシストの活躍[59][60]。通算65試合目の出場での初得点は、GKを除き日本代表史上最も遅いものとなった[58][60]

2013年の東アジアカップでは、これまでの貢献度の高さを理由にチームキャプテンを任された[61][62]。第1戦中国戦では2失点に絡んだが、急造チームに一体感を作り、日本の同大会初優勝に貢献[63]

チームに献身する姿勢はザッケローニから「本当のプロフェッショナル」と賞賛されていたが[64]2014年のFIFAワールドカップに際しては、予備登録の30名に留まり、自身3度目となる本大会のメンバー入りを逃した[65]

エピソード 編集

  • 利き脚は右だが、利き腕は左利き[2]。サインは右手で書く、野球は左投げ左打ち、趣味のゴルフ[2][44]は左打ち。
  • 実弟の森川祐輝(旧姓・駒野)は、アマチュア選手として関西リーグ1部パナソニックエナジー洲本サッカー部(旧 三洋電機洲本サッカー部)に所属[66]
  • いじられキャラ。『やべっちFC』にてゲスト出演していた中山雅史に駒吉と呼ばれるなど、クラブや代表のチームメートからネタにされた逸話も多い。また、2014年からジュビロで同じチームとなった松井大輔は、入団会見で「チームの中で1年間駒野をずっといじっていこうかなと思っています。」と話している[67]
  • 2度のワールドカップでも着用した日本代表での背番号「3」に強いこだわりを持っている。2012年に本田圭佑から3番を譲るように頼まれたがこれを拒否したため[68]、本田は4番に定着。
  • 2014年から「ふるさとアスリート」としてよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属[69]

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 広島 23 J1 0 0 3 0 1 0 4 0
2001 5 24 1 3 0 2 0 29 1
2002 27 1 2 0 4 0 33 1
2003 J2 23 0 - 0 0 23 0
2004 J1 18 1 3 0 1 0 22 1
2005 34 2 4 0 1 0 39 2
2006 31 2 1 0 2 1 34 3
2007 34 2 3 0 5 1 42 3
2008 磐田 25 34 1 1 1 0 0 35 2
2009 5 34 1 1 0 1 0 36 1
2010 23 0 4 0 0 0 27 0
2011 34 2 3 0 0 0 37 2
2012 34 3 4 0 1 0 39 3
2013 34 2 4 1 2 0 40 3
2014 J2 35 3 - 2 0 37 3
2015 29 1 - 0 0 29 1
2016 FC東京 50 J1 1 0 - - 1 0
福岡 24 12 1 0 0 0 0 12 1
2017 3 J2 39 1 - 0 0 39 1
2018 24 1 - 1 0 25 1
2019 今治 JFL 29 1 - - 29 1
2020 J3 24 1 - - 24 1
2021 23 0 - 1 1 24 1
2022 17 0 - - - 17 0
通算 日本 J1 374 19 36 2 20 2 430 23
日本 J2 150 6 - 3 0 153 6
日本 J3 64 1 - 1 1 65 2
日本 JFL 29 1 - - 29 1
総通算 617 27 36 2 24 3 677 32
その他の公式戦
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 F東23 50 J3 4 0 4 0
通算 日本 J3 4 0 4 0
総通算 4 0 4 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2016 FC東京 50 2 0
通算 AFC 2 0
その他の国際公式戦
出場歴

タイトル 編集

個人タイトル 編集

代表・選抜歴 編集

出場大会 編集

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 78試合 1得点 (2005-2014)[3]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2005 5 0
2006 10 0
2007 12 0
2008 13 0
2009 9 0
2010 11 0
2011 7 1
2012 5 0
2013 6 0
2014 0 0
通算 78 1

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2011年10月11日   日本大阪市   タジキスタン ○8-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

関連情報 編集

出演 編集

CM
映画
PV
  • PUSHIM「誓い feat.MIHIRO -マイロ-」 (2010年)

展示 編集

表彰 編集

関連項目 編集

脚注 編集

注釈
  1. ^ 同級生は、森崎兄弟、久保田学
  2. ^ 同期入団は、森崎兄弟、八田康介松下裕樹山形恭平中山元気
  3. ^ a b 非公式記録。Jリーグはアシストを集計していない。
  4. ^ FIFAの審判委員会は後にPKに値するプレイだったと誤審を認めている[45]
  5. ^ 脚力・瞬発力だけでなく、的確な状況判断に至るまでの速さを含む[48]。オシムは常々「考えて走る」サッカーを説いていた。
出典
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  85. ^ 駒野が初CM「トイストーリー3」PR 日刊スポーツ (2010年8月2日)
  86. ^ キャスト 劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦! 黄金の果実争奪杯!

外部リンク 編集