高橋 辰夫(たかはし たつお、1928年11月23日 - 2001年10月11日)は、日本政治家

衆議院議員(5期)、北海道議会議員(4期)を務めた。参議院議員橋本聖子は義妹[1]

高橋 辰夫
たかはし たつお
生年月日 (1928-11-23) 1928年11月23日
出生地 日本の旗 北海道伊達町(現・伊達市
没年月日 (2001-10-11) 2001年10月11日(72歳没)
死没地 日本の旗 北海道札幌市
出身校 中央大学経済学部
所属政党 自由民主党石原G三塚派
親族 義妹・橋本聖子参議院議員

選挙区 旧北海道4区
当選回数 5回
在任期間 1979年10月7日 - 1990年1月24日
1993年7月18日 - 1996年9月27日

当選回数 4回
在任期間 1963年 - 1974年
1975年 - 1979年
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来歴・人物 編集

北海道伊達市生まれ。1953年中央大学経済学部卒業。篠田弘作の秘書を経て、1963年北海道議会議員に初当選。その後4期務めた。

1974年第10回参議院議員通常選挙北海道選挙区から保守無所属青嵐会新人として出馬したが、落選。1979年第35回衆議院議員総選挙自由民主党公認・自由革新同友会新人として旧北海道4区から立候補し、初当選(当選同期に佐藤信二保利耕輔畑英次郎麻生太郎小里貞利岸田文武白川勝彦丹羽雄哉亀井静香吹田愰宮下創平亀井善之船田元など)。以降、当選5回。中川一郎の死後は石原慎太郎平沼赳夫らと共に福田派に合流。厚生省北海道開発庁政務次官を務めた。

1990年第39回衆議院議員総選挙で落選したが、1993年第40回衆議院議員総選挙で返り咲き。1995年第17回参議院議員通常選挙では、義妹の橋本聖子自民党幹事長森喜朗の誘いで比例区から立候補し当選。1996年第41回衆議院議員総選挙では北海道9区から立候補したが、民主党鳩山由紀夫に惨敗し比例復活もならず落選し、引退した(岩倉博文地盤継承)。

2001年10月11日、急性心不全のため札幌市内の病院で死去[1]。72歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b 高橋辰夫氏死去/元衆院議員”. 四国新聞社. 2023年5月14日閲覧。
議会
先代
浜野剛
  衆議院法務委員長
1993年 - 1994年
次代
金子原二郎