高田昌明

日本のサッカー選手

高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は千葉県習志野市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック)、MF(守備的MF)。

高田 昌明
名前
カタカナ タカダ マサアキ
ラテン文字 TAKADA Masaaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-07-26) 1973年7月26日(50歳)
出身地 千葉県習志野市
身長 182cm
体重 77kg
選手情報
ポジション DFMF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

略歴 編集

市立船橋高校3年次の全国高校サッカー選手権でベスト4進出に貢献。抜群の身体能力を買われて飛び級でバルセロナ五輪予選日本代表に選出、1992年1月のアジア最終予選に出場した。高校在学中の五輪選抜は初の出来事で当時の話題をさらった。卒業後、横浜フリューゲルスに入団。Jリーグ草創期のフリューゲルスを支える。当時の監督、加茂周がめざすゾーンプレスをダブルボランチの相方山口素弘と体現。エドゥーモネール前園真聖らタレントと共に活躍した。1993年、第73回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝メンバー。

1994年にはアトランタ五輪代表候補に選出され、前回バルセロナ五輪予選経験者として当初は主将を務め守備の中心選手として期待されていたが、規定により前回予選出場者の参加を認められなくなった為、この年を最後に代表からは外れている。

後にヴィッセル神戸佐川急便東京フリエFC(後の佐川東京SC)横浜FCソニー仙台FCと渡り歩き2006年静岡FC東海社会人リーグ1部)の選手兼監督に就任した。その年(2006年)の天皇杯には静岡県代表として出場。J2の水戸ホーリーホック等を破り4回戦まで勝ち上がるも、浦和レッドダイヤモンズの厚い壁に阻まれ敗退となった。

以降、各方面の指導者として活躍、2013年は、自身がチーフコーチを務めるVivace FC (静岡県のジュニアサッカーチーム)を全国少年サッカー大会静岡県大会優勝、全国大会初出場へ導く。

2014年よりJ3のY.S.C.C.横浜コーチに就任。2018年末に契約満了で退任し[1]、翌2019年からはFC琉球のアカデミーダイレクターに就任した[2]

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 横浜F - J - 9 0
1993 33 2 4 0 5 1 42 3
1994 26 0 1 0 0 0 27 0
1995 17 1 - 0 0 17 1
1996 1 0 0 0 0 0 1 0
1997 神戸 8 0 0 1 0 0 0 1 0
1998 東京フリエ ? -
1999 横浜FC JFL 23 0 - 0 0 23 0
2000 22 1 - 2 0 24 1
2001 8 J2 20 0 1 0 0 0 21 0
2002 S仙台 JFL 16 1 - 1 0 17 1
2003 27 0 - 1 0 28 0
2004 21 4 - 3 0 24 4
2005 -
2006 静岡FC 東海1部 - 3 0
通算 日本 J1 77 3 15 0
日本 J2 20 0 1 0 0 0 21 0
日本 JFL -
日本 ? -
日本 東海1部 - 3 0
総通算

その他の公式戦

代表歴 編集

1992年 バルセロナ五輪予選日本代表

指導歴 編集

  • 2006年 静岡FC:選手兼監督
  • 2007年 NECトーキン:ヘッドコーチ
  • 2008年 -2009年 静岡FC:監督
  • 2009年 -2014年 Vivace FC:チーフコーチ
  • 2009年 -ハワイ808sc:テクニカルアドバイザー
  • 2013年 -遠藤塾:サポートコーチ
  • 2014年 - 2018年 YSCC横浜:コーチ[1]
  • 2019年 - FC琉球 アカデミーダイレクター

出典 編集

  1. ^ a b 高田昌明コーチ 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)横浜スポーツ&カルチャークラブ、2018年12月14日https://yscc1986.net/info/top-team/高田昌明コーチ-契約満了のお知らせ/2020年5月17日閲覧 
  2. ^ アカデミースタッフ退任、新加入のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2019年1月28日http://fcryukyu.com/news/15350/2020年5月17日閲覧 

外部リンク 編集