黄 喜(ファン・ヒ、こう き、至正23年(1363年)- 景泰3年(1452年))は、李氏朝鮮初期の政治家。本貫長水黄氏。諡号は益成。世宗時代の名宰相として知られる。

黄喜

経歴 編集

1363年に、高麗の判江陵大都護府使であった黄君瑞の息子として、開京の可助里に生まれる。

1389年に科挙に合格し、官吏として道を歩む。しかし、1392年に李成桂によって高麗王朝が滅ぼされ李氏朝鮮が開国されると、新王朝への出仕を拒否し、同志と共に杜門洞に蟄居したが、李成桂や杜門洞の同志の説得により、新王朝に出仕する。その後は直芸文春秋館司憲監察、刑曹礼曹兵曹等の職を歴任する。

しかし、1417年に第3代王の太宗が長男の譲寧大君から王世子の資格を剥奪し、三男の忠寧大君(世宗)を王世子にするとこれに異を唱え、太宗の怒りを買い配流となる。その後、1418年に即位した世宗により、再び官職に登用される。その後は、官職最高位の領議政を1431年から歴代最長となる18年間務め、世宗を補佐する。また、清廉潔白な清白吏としても知られる。1449年に職を辞し、その3年後に死去。享年92(数え年)。

黄喜を演じた人物 編集

参考文献 編集

  • 金素天「韓国史のなかの100人」明石書店 2002年