1972年アメリカグランプリ

1972年アメリカグランプリ (: 1972 United States Grand Prix) は、1972年のF1世界選手権第12戦(最終戦)として、1972年10月8日ワトキンズ・グレン・グランプリレースコースで開催された。

アメリカ合衆国 1972年アメリカグランプリ
レース詳細
1972年F1世界選手権全12戦の第12戦
ワトキンス・グレン (1971–1974)
日程 1972年10月8日
正式名称 XV United States Grand Prix
開催地 ワトキンズ・グレン・グランプリレースコース
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン英語版
コース 恒久的レース施設
コース長 5.435 km (3.377 mi)
レース距離 59周 320.67 km (199.24 mi)
決勝日天候 晴一時雨(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ティレル-フォード
タイム 1:40.481
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード
タイム 1:41.644 (33周目)
決勝順位
優勝 ティレル-フォード
2位 ティレル-フォード
3位 マクラーレン-フォード

レースは59周で行われ、ポールポジションからスタートしたティレルジャッキー・スチュワートが優勝した。チームメイトのフランソワ・セベールが2位、マクラーレンデニス・ハルムが3位となった。後にチャンピオンとなるジョディー・シェクターのデビュー戦である。

概要 編集

ワールドチャンピオンの座をエマーソン・フィッティパルディに明け渡したばかりのジャッキー・スチュワートは、レースウィークをポールポジション、優勝、ファステストラップ、全周回トップのグランドスラムで完勝し、北米のレースを席巻したため、王座奪還の意思を主張した。それはスチュワートの通算22勝目であり、チームメイトのフランソワ・セベールとともにティレルは1-2フィニッシュを達成した。セベールの5秒後にマクラーレンデニス・ハルムが3位でフィニッシュした。

エントリー 編集

当時としては驚異的な額であった275,000ドルの賞金は、この年最後となるレースで31台のエントリーを集めた。

ロータスデビッド・ウォーカー英語版レイネ・ウィセルエマーソン・フィッティパルディとともに走り、ティレルパトリック・デパイユに3台目を用意した[1]マクラーレンF2のスタードライバーであったジョディー・シェクター[2]のためにスペアカーを用意した。サーティースはスポット参戦する地元出身のサム・ポージーに1台を貸し出し、レギュラーの3人に加えてオーナーのジョン・サーティース自らも走行する。BRMは前戦カナダGP同様4台のエントリーであったが、ビル・ブラック英語版に代わってブライアン・レッドマンが参加する[1]

エントリーリスト 編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  エルフ・チーム・ティレル 1   ジャッキー・スチュワート ティレル 005 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2   フランソワ・セベール 006
3   パトリック・デパイユ 004
  STP・マーチ・レーシングチーム 4   ロニー・ピーターソン マーチ 721G フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
5   ニキ・ラウダ
  クラーク=モーダウント=ガスリー・レーシング 6   マイク・ボイトラー マーチ 721G フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 7   ジャッキー・イクス フェラーリ 312B2 フェラーリ 001/1 3.0L F12 F
8   クレイ・レガツォーニ
9   マリオ・アンドレッティ
  ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 10   エマーソン・フィッティパルディ ロータス 72D フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
11   デビッド・ウォーカー
12   レイネ・ウィセル
  マールボロ・BRM 14   ピーター・ゲシン BRM P160C BRM P142 3.0L V12 F
16   ハウデン・ガンレイ
15   ブライアン・レッドマン P180
17   ジャン=ピエール・ベルトワーズ
  エキップ・マトラ・スポール 18   クリス・エイモン マトラ MS120D マトラ MS72 3.0L V12 G
  ヤードレー・チーム・マクラーレン 19   デニス・ハルム マクラーレン M19C フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
20   ピーター・レブソン
21   ジョディー・シェクター M19A
  チーム・サーティース 22   ティム・シェンケン 1 サーティース TS14 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
24   ジョン・サーティース 1
  ティム・シェンケン
  ブルックボンド・オクソ・チーム・サーティース 23   マイク・ヘイルウッド TS9B
  チェラミカ・パニョッシン・チーム・サーティース 25   アンドレア・デ・アダミッチ
  チーム・ウィリアムズ・モチュール 26   アンリ・ペスカロロ マーチ 721 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
27   カルロス・パーチェ 711
  モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 28   グラハム・ヒル ブラバム BT37 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
29   カルロス・ロイテマン
30   ウィルソン・フィッティパルディ BT34
  マルティーニ・レーシングチーム 31   デレック・ベル テクノ PA123/3 テクノ シリーズP 3.0L F12 F
32   ナンニ・ギャリ 2 フォードコスワース DFV 3.0L V8
  ジーン・メイソン・レーシング 33   スキップ・バーバー マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
  チャンプカー・インク 34   サム・ポジー サーティース TS9B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ソース:[3]

追記
  • ^1 - サーティースはTS14をシェンケンに譲り撤退[4]
  • ^2 - ギャリはマシンが準備できず欠場[5]

予選 編集

雨と冷たい風に悩まされ、金曜日のタイムでグリッドが決定された。スチュワートが1分40秒481のタイムでポールポジションを獲得し、フロントローピーター・レブソンデニス・ハルムマクラーレン勢を従える[注 1]。スチュワートのチームメイトであるフランソワ・セベールカルロス・ロイテマンとともに2列目を分け合い、F1デビュー戦のジョディー・シェクターがドライブする3台目のマクラーレンは8番手で、クレイ・レガツォーニクリス・エイモンとともに3列目に並ぶ。新チャンピオンエマーソン・フィッティパルディマリオ・アンドレッティとともに4列目からスタートする[1]

グッドイヤータイヤ勢はファイアストンタイヤ勢に対し、予選で1周あたり1.5-2秒の差を付け、かなりのアドバンテージを得ているように見えた。ファイアストンはヨーロッパのレーシング部門を閉鎖しようとしており、ファイアストンタイヤを使用するチームは以前から生産されていた古いタイヤを使用していた。サーティースマイク・ヘイルウッドを支援するロブ・ウォーカー[6]、今年最も暑いレースのひとつであるオーストリアGP用に製造されたもので、気温40 °F (4 °C)のグレンでは使えないことに驚きはなかったと語っていた。しかし練習走行後に、供給先の各チームから供給を続けてほしいという要望を受けたため、翌年も参戦を継続するとの電報がアクロンのファイアストン本社から届いた[4][注 2]

ヘイルウッドはサーティース・TS14を試走させたが、あまりしっくり来なかったため従来のTS9Bに乗り換えた。この間、ティム・シェンケンは本来使用するTS9Bをサム・ポージーに引き渡されたため、ピットウォールに座って見守っていた[7]。オーナーのジョン・サーティースは自身のTS14をシェンケンに譲り、決勝出走を断念した[4]。シェンケンは雨の中TS14で予選を走り、予選通過基準の110%を超過したものの決勝出走が許可された。ロニー・ピーターソンはセッション終了が近づいた頃、スリックタイアで試走した際に大クラッシュを喫してマシンは大破したが、ピーターソンのメカニックはすぐに修理に着手した[7]

予選結果 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 1   ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 1:40.481 - 1
2 20   ピーター・レブソン マクラーレン-フォード 1:40.527 +0.046 2
3 19   デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:41.084 +0.603 3
4 2   フランソワ・セベール ティレル-フォード 1:41.445 +0.964 4
5 29   カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 1:41.692 +1.211 5
6 8   クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:41.951 +1.470 6
7 18   クリス・エイモン マトラ 1:41.979 +1.498 7
8 21   ジョディー・シェクター マクラーレン-フォード 1:42.058 +1.577 8
9 10   エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 1:42.400 +1.919 9
10 9   マリオ・アンドレッティ フェラーリ 1:42.482 +2.001 10
11 3   パトリック・デパイユ ティレル-フォード 1:42.521 +2.040 11
12 7   ジャッキー・イクス フェラーリ 1:42.597 +2.116 12
13 30   ウィルソン・フィッティパルディ ブラバム-フォード 1:42.766 +2.285 13
14 23   マイク・ヘイルウッド サーティース-フォード 1:43.204 +2.723 14
15 27   カルロス・パーチェ マーチ-フォード 1:43.319 +2.838 15
16 12   レイネ・ウィセル ロータス-フォード 1:43.543 +3.062 16
17 16   ハウデン・ガンレイ BRM 1:44.075 +3.594 17
18 17   ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 1:44.240 +3.759 18
19 25   アンドレア・デ・アダミッチ サーティース-フォード 1:44.279 +3.798 19
20 33   スキップ・バーバー マーチ-フォード 1:44.280 +3.799 20
21 6   マイク・ボイトラー マーチ-フォード 1:44.369 +3.888 21
22 26   アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 1:44.433 +3.952 22
23 34   サム・ポジー サーティース-フォード 1:44.525 +4.044 23
24 15   ブライアン・レッドマン BRM 1:44.925 +4.444 24
25 24   ジョン・サーティース サーティース-フォード 1:45.232 +4.751 DNS 1
26 5   ニキ・ラウダ マーチ-フォード 1:45.290 +4.809 25
27 4   ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 1:46.142 +5.661 26
28 28   グラハム・ヒル ブラバム-フォード 1:46.313 +5.832 27
29 14   ピーター・ゲシン BRM 1:46.599 +6.118 28
30 31   デレック・ベル テクノ 1:47.023 +6.542 29
31 11   デビッド・ウォーカー ロータス-フォード 1:50.600 +10.119 30
32 24   ティム・シェンケン サーティース-フォード 1:57.674 +17.193 31
ソース:[8][9]

追記
  • ^1 - サーティースはマシンをシェンケンに譲り撤退[4]

決勝 編集

晴天に恵まれた日曜日のスタートとなったが、各車がグリッドに並ぶ頃には雨が降ってきた。クリス・エイモンはウォームアップセッションでエンジントラブルに見舞われた。エンジンを交換する時間はなく、スペアカーに乗り換えて最後尾グリッドからスタートする[7]

ジャッキー・スチュワートは好スタートを切り、すぐに後続を引き離し始めた。10番手グリッドからフェラーリマリオ・アンドレッティが1コーナーのインサイドを駆け上がり、カルロス・ロイテマンブラバムピーター・レブソンマクラーレンとタイヤをぶつけ合う。アンドレッティは観客の歓喜の中、チームメイトのジャッキー・イクスクレイ・レガツォーニの後方7位で続いた。ロイテマンはノーズを破損して8位に続き、レプソンはフロントウイングを交換するため1周でピットインした。

スチュワートは1周目でハルムに3秒、2周目で5秒の差を付けた。1周目を終えて3位に浮上したエマーソン・フィッティパルディは、すぐにマシンの調子がおかしいことを悟った。5周目に右リアタイヤがパンクし、2度のタイヤ交換を行っても同じ問題が発生したため、チームはサスペンションのズレに問題があると判断し、E.フィッティパルディはリタイアした[7]。20周目にはスチュワートのリードは20秒となり、この日の焦点は2位争いになることが明らかになった。

E.フィッティパルディが脱落し、ロイテマンが新しいノーズコーンに交換するためピットインを余儀なくされたため、2台目のティレルを走らせるフランソワ・セベールが3位に入り、ハルムに迫ってきた。ジョディー・シェクターはイクスに対し楽々と先行していたが、すぐにロニー・ピーターソンに捕まってしまった。ピーターソンは雨の中行われた前日の予選でマーチを激しくクラッシュさせてしまい、メカニックは当初、修理不可能だと言っていた。26番手からスタートしたピーターソンは、首位を独走するスチュワートを除けば、コース上で最も印象的なドライバーとなった。

レースは約半分を迎え、セベールがハルムをパスして2位、ピーターソンがイクスをパスして5位となった。40周目、突然の雨で1コーナーが濡れてしまった。4番手を快走していたシェクターは、90度の下り坂の右コーナーで滑りやすい路面に巻き込まれてスピンし、バンクに乗り上げてしまう。その間にイクスはピーターソンを抜き返して4位に浮上した。アンドレッティはタイヤの性能に悩んでいたが、ウエット路面でタイヤの状態が良くなり、ペースを上げていった。

最終ラップ、スチュワートがセベールに40秒差をつけてゴールしたところで、イクスのフェラーリが煙を上げ始めた。ピーターソンは彼の横に並び、マシンの後ろで必死に合図を送った。ピーターソンの駆け引きが功を奏し、イクスに0.5秒以上の差を付けて4位を獲得した。

レブソンはアンドレッティとマイク・ヘイルウッドを続けてパスして入賞圏内の6位に浮上していたが、残り5周でイグニッションワイヤーが切れ、彼の輝かしいドライブは幕を閉じた。ヘイルウッドは残り3周でマイク・ボイトラーのスピンに巻き込まれ、これにニキ・ラウダも巻き込まれた。ヘイルウッドはリアサスペンションのリンクを破損してピットに向かったため[7]、アンドレッティが6位に入賞した。

1-2フィニッシュを決めたスチュワートとセベール、そして7位のパトリック・デパイユのティレル勢が揃ってピットインし、チームオーナーのケン・ティレルには当時の最高額となる97,500ドル当時の為替レートで約3000万円)の賞金が授与された。そしてスチュワートとティレルはドライバーズ及びコンストラクターズの2位を確保した[4]

スチュワートは北米ラウンドで連勝し[10]、自身4度目のグランドスラム[注 3]を達成したが[11]、既にE.フィッティパルディのチャンピオン決定後であり後の祭りであった。チームメイトのセベールもベルギーGPと本レースの2位が最高位と精彩を欠いたが、それでもE.フィッティパルディのチームメイトに抜擢されたものの無得点に終わったデビッド・ウォーカー英語版より良く、ウォーカーはわずか1年でF1から去っていった[12]。マクラーレンは最終戦で3位に後退したものの、1勝したハルムとレブソン及びブライアン・レッドマンによりのべ24台の出走で16回の入賞、11回の表彰台と安定感を見せた[13]。一方、12気筒勢は振るわず[4]、フェラーリは連戦連勝の世界メーカー選手権とは違い、速さはあるものの安定感に欠けた[14]。この年からマールボロのスポンサーを受けたBRMだったが、後方寄りに重量物を集めた新車P180の開発に躓き、コンベンショナルなP160を主力とせざるを得ず[15]、チームは下降線をたどっていく[4]。そして、この年のル・マン24時間レースを制したマトラは世界メーカー選手権に専念するためF1から撤退した[4][注 4]

レース結果 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 1   ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 59 1:41:45.354 1 9
2 2   フランソワ・セベール ティレル-フォード 59 +32.268 4 6
3 19   デニス・ハルム マクラーレン-フォード 59 +37.528 3 4
4 4   ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 59 +1:22.516 26 3
5 7   ジャッキー・イクス フェラーリ 59 +1:23.119 12 2
6 9   マリオ・アンドレッティ フェラーリ 58 +1 Lap 10 1
7 3   パトリック・デパイユ ティレル-フォード 58 +1 Lap 11
8 8   クレイ・レガツォーニ フェラーリ 58 +1 Lap 6
9 21   ジョディー・シェクター マクラーレン-フォード 58 +1 Lap 8
10 12   レイネ・ウィセル ロータス-フォード 57 +2 Laps 16
11 28   グラハム・ヒル ブラバム-フォード 57 +2 Laps 27
12 34   サム・ポジー サーティース-フォード 57 +2 Laps 23
13 6   マイク・ボイトラー マーチ-フォード 57 +2 Laps 21
14 26   アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 57 +2 Laps 22
15 18   クリス・エイモン マトラ 57 +2 Laps 7
16 33   スキップ・バーバー マーチ-フォード 57 +2 Laps 20
17 23   マイク・ヘイルウッド サーティース-フォード 56 接触 14
18 20   ピーター・レブソン マクラーレン-フォード 54 電気系統 2
NC 5   ニキ・ラウダ マーチ-フォード 49 規定周回数不足 25
Ret 27   カルロス・パーチェ マーチ-フォード 48 燃料システム 15
Ret 14   ピーター・ゲシン BRM 47 エンジン 28
Ret 16   ハウデン・ガンレイ BRM 44 エンジン 17
Ret 11   デビッド・ウォーカー ロータス-フォード 44 エンジン 30
Ret 30   ウィルソン・フィッティパルディ ブラバム-フォード 43 エンジン 13
Ret 17   ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 40 イグニッション 18
Ret 15   ブライアン・レッドマン BRM 34 エンジン 24
Ret 29   カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 31 エンジン 5
Ret 25   アンドレア・デ・アダミッチ サーティース-フォード 25 接触 19
Ret 24   ティム・シェンケン サーティース-フォード 22 サスペンション 31
Ret 10   エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 17 サスペンション 9
Ret 31   デレック・ベル テクノ 8 エンジン 29
DNS 24   ジョン・サーティース サーティース-フォード マシンをシェンケンに譲る
ソース:[16]
優勝者ジャッキー・スチュワートの平均速度[5]
189.079 km/h (117.488 mph)
ファステストラップ[17]
ラップリーダー[18]
太字は最多ラップリーダー
達成された主な記録[4]

レース後 編集

本レースから2週間後の10月22日に非選手権レースのワールド・チャンピオンシップ・ヴィクトリーレースブランズ・ハッチで開催され、BRM・P180を駆るジャン=ピエール・ベルトワーズが優勝した[4]

ランキング 編集

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
  2. ^ しかし、この年5勝を挙げたロータスや1勝したフェラーリは翌年グッドイヤーに切り替えた。
  3. ^ 1つのレースでポールポジション、ファステストラップ、優勝、全周回ラップリーダーを達成すること。詳細は当該項目を参照。
  4. ^ その後、1975年シャドウ1976年リジェのエンジンサプライヤーとしてF1に復帰した。

出典 編集

  1. ^ a b c United States GP, 1972”. grandprix.com. 2020年6月8日閲覧。
  2. ^ (林信次 1993, p. 48)
  3. ^ USA 1972 - Race entrants”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j Canada 1972”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  5. ^ a b USA 1972 - Result”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  6. ^ Rob Walker”. grandprix.com. 2020年6月8日閲覧。
  7. ^ a b c d e 1972 United States Grand Prix race report”. Motor Sport Magazine. 2020年6月8日閲覧。
  8. ^ USA 1972 - Qualifications”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  9. ^ USA 1972 - Starting grid”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  10. ^ (林信次 1993, p. 36-37)
  11. ^ a b F1 Grand Chelem/Grand Slams Records (2017年イギリスGP終了時点)”. Sportskeeda. 2020年6月8日閲覧。
  12. ^ (林信次 1993, p. 37-38)
  13. ^ (林信次 1993, p. 38,40)
  14. ^ (林信次 1993, p. 38)
  15. ^ (林信次 1993, p. 42)
  16. ^ 1972 United States Grand Prix”. formula1.com. 2014年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  17. ^ USA 1972 - Best laps”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  18. ^ USA 1972 - Laps led”. STATS F1. 2020年6月8日閲覧。
  19. ^ 戦績:P.ドゥパイエ”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  20. ^ 戦績:D.ウォーカー”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  21. ^ 戦績:R.ウィセル”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  22. ^ 戦績:S.バーバー”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  23. ^ 戦績:S.ポージー”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  24. ^ 戦績:J.サーティース”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  25. ^ 戦績:マトラ”. F1 DataWeb. 2020年6月8日閲覧。
  26. ^ a b United States 1972 - Championship”. STATS F1. 2019年3月21日閲覧。

参照文献 編集

  • Wikipedia英語版 - en:1972 United States Grand Prix(2019年5月24日 9:43:01(UTC))
  • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8 
  • Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
  • Rob Walker (February, 1973). "14th U.S. Grand Prix: Stewart Again". Road & Track, 94-98.

外部リンク 編集

前戦
1972年カナダグランプリ
FIA F1世界選手権
1972年シーズン
前回開催
1971年アメリカグランプリ
  アメリカグランプリ 次回開催
1973年アメリカグランプリ