1986年の全日本F2選手権
前年: 1985 翌年: 1987

1986の全日本F2選手権は、1986年(昭和61年)3月8日 - 9日鈴鹿サーキットで開幕し、同年10月31日 - 11月2日に鈴鹿サーキットで閉幕した全8戦によるシリーズである。

スケジュール及び勝者 編集

開催日 開催場所 イベント名 優勝者
第1戦 3月8日 - 9日 鈴鹿サーキット 全日本BIG2&4レース 松本恵二
第2戦 4月19日 - 20日 富士スピードウェイ CARA International Cup 日本インターナショナルフォーミュラ選手権レース大会 ジェフ・リース
第3戦 5月10日 - 11日 西日本サーキット 全日本F2オールスターレース 松本恵二
第4戦 5月24日 - 25日 鈴鹿サーキット John Player Special トロフィーレース 中嶋悟
第5戦 7月5日 - 6日 鈴鹿サーキット 鈴鹿ゴールデントロフィー自動車レース 星野一義
第6戦 8月9日 - 10日 富士スピードウェイ RRC富士F2チャンピオンズレース マイク・サックウェル
第7戦 9月27日 - 28日 鈴鹿サーキット 鈴鹿グレート20 2&4レース 星野一義
第8戦 10月31日 - 11月2日 鈴鹿サーキット JAF鈴鹿グランプリ自動車レース 星野一義

シリーズポイントランキング 編集

ポイントシステム
順位 1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
ポイント 20 15 12 10 8 6 4 3 2 1
ランキング ドライバー SUZ FSW NIS SUZ SUZ FSW SUZ SUZ ポイント
1   中嶋悟 2 2 4 1 2 3 2 4 92 (112)
2   星野一義 Ret 3 Ret 2 1 Ret 1 1 87
3   ジェフ・リース Ret 1 3 3 4 4 10 2 79 (80)
4   松本恵二 1 5 1 5 5 5 Ret Ret 72
5   マイク・サックウェル 4 8 6 7 3 1 3 5 68 (75)
6   エイエ・エリジュ 5 10 2 9 8 10 4 7 42 (44)
7   イヴァン・カペリ 6 2 3 33
8   和田孝夫 3 4 9 6 12 9 11 11 32
9   長谷見昌弘 7 7 5 11 7 7 7 9 28 (30)
10   高橋国光 6 Ret 8 8 9 11 5 Ret 22
11   舘善泰 Ret 9 Ret 4 Ret 6 8 21
12   高橋健二 Ret 6 7 10 10 8 Ret 10 16
13   関谷正徳 6 6
14   鈴木亜久里 6 6
15   清水正智 8 12 13 DNS 8 13 6
16   松田秀士 9 11 12 11 Ret 9 12 4
-   中本憲吾 Ret Ret 0
-   萩原光 Ret 0
-   森本晃生 Ret 0
結果
金色 優勝
銀色 2位
銅色 3位
ポイント圏内完走
青灰色 ポイント圏外完走
周回数不足 (NC)
リタイヤ (Ret)
予選不通過 (DNQ)
予備予選不通過 (DNPQ)
失格 (DSQ)
スタートせず (DNS)
エントリーせず (WD)
レースキャンセル (C)
空欄 欠場
出場停止処分 (EX)

※ベスト6戦による有効ポイント制

トピックス 編集

  • JTは1986年から、キャビンのプロモーション活動を松本恵二をイメージキャラクターとして行うことになり、CABIN RACINGとして全日本F2、GCシリーズに松本と共に参戦を開始した。キャビンのプロモーション活動はTVCF等を含む大規模なもので、松本は時の人となり同年のベストドレッサー賞を受賞した。
  • 前年からジェフ・リース、松本恵二を開発ドライバーとして実戦開発が行われていた5バルブエンジン、ヤマハ・OX66の市販が開始され、ホンダに対して競争力の落ちていたBMWエンジンユーザーがBMWに変えてOX66エンジンを使用した。OX66は開幕から3連勝を記録するが、ホンダはエンジンを電子制御化[1]してこれに対抗し5連勝を記録。ホンダユーザーの中嶋悟が全日本F2を3連覇、星野一義が鈴鹿F2のタイトルを獲得した。
  • 中嶋悟はこの年よりイギリスロンドン郊外に生活拠点を移し、欧州での経験値を高めるためとスーパーライセンスの獲得を確実なものとするために国際F3000選手権への本格参戦を開始しランキング10位を記録した。全日本F2にはその都度来日して参戦する体制となっていた[2]
  • 元F1ドライバーのマイク・サックウェルノバ・エンジニアリングから全日本F2に参戦した。ノバは前年型のマーチ・85Jの空力を修正したものを主力マシンとして使用した。空力修正は主にマシン後部に重点が置かれ、リヤカウルの側面を絞ってディフューザー上面の空気の流れを改善。またリヤサスペンションのロワアームに、ウイング状のカバーを装備しダウンフォースを獲得している[3]。サックウェルはこの改良型85Jに乗って第6戦・富士で優勝した。
  • レイトンハウスは4月の萩原光の事故死の後活動を中断していたが、第5戦・鈴鹿からイヴァン・カペリをドライバーとして活動を再開した。

脚注 編集

  1. ^ 『HIGH ANGLE 10 マーチ86J/ホンダ』、「Racing On」No.010、武集書房、1987年。
  2. ^ 誰の為でもなく 吉井妙子 GPX 1991日本GP直前情報号 9頁 山海堂 1991年10月23日発行
  3. ^ オートスポーツ」 No.444、p.26、三栄書房、1986年。

参考資料 編集