1989年日本グランプリ (4輪)

1989年日本グランプリ1989 Japanese Grand Prix)は、1989年F1世界選手権の第15戦として、1989年10月22日鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。

日本の旗 1989年日本グランプリ
レース詳細
日程 1989年シーズン第15戦
決勝開催日 10月22日
開催地 鈴鹿サーキット
日本 三重県 鈴鹿市
コース長 5.859km
レース距離 53周(310.527km)
決勝日天候 曇り(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1'38.041
ファステストラップ
ドライバー フランスの旗 アラン・プロスト
タイム 1'43.506(Lap 43)
決勝順位
優勝
2位
3位

概要 編集

マクラーレンのチームメイト同士のドライバーズチャンピオン争いは、アラン・プロストが81ポイント(有効得点では76ポイント)、アイルトン・セナが60ポイントというプロスト有利の状況で日本GPを迎えた。このレースでセナが優勝(9ポイント)を得られないと、最終戦を待たずプロストの3度目のチャンピオンが決定する。両ドライバーには2台ずつシャーシが用意され、ホンダV10エンジンは高出力型の「スペック4」と中低回転域トルク型の「スペック5」のいずれかを選択できる体制が用意された。

ミナルディピエルルイジ・マルティニが肋骨を傷めて欠場し、代役として全日本F3000に出場しているパオロ・バリッラがF1デビューした。

予選 編集

セナは1987年の日本GP予選でフェラーリゲルハルト・ベルガーが記録したレコードタイムを大きく更新し、2年連続して日本GPのポールポジションを獲得した。予選2位のプロストは1.730秒という大差をつけられた。

セカンドローにはフェラーリのベルガーとナイジェル・マンセルが並んだ。3位のベルガーはプロストと0.4秒差だったが、最終アタックで予選用タイヤが1周持たずタイムロスした。5・7位のウィリアムズ勢の間にはベネトンアレッサンドロ・ナニーニがつけた。予備予選から進出したローララルース)のフィリップ・アリオーが8位、オゼッラニコラ・ラリーニが10位に食い込む健闘を見せた。

日本勢はロータス中嶋悟がチームメイトのネルソン・ピケに次ぐ12位。昨年の予選のピケ5位、中島6位と同じく同チームで2人が並ぶ形となった。前年の日本GPでF1デビューしたザクスピード鈴木亜久里は予備予選落ちとなり、シーズン初の決勝出場は成らなかった。初の母国GPとなるヤマハエンジンは、鈴木の同僚ベルント・シュナイダーが開幕戦以来の決勝出場を果たした。

結果 編集

予備予選 編集

順位 No ドライバー コンストラクター タイム
1 17   ニコラ・ラリーニ オゼッラフォード 1'43.035
2 30   フィリップ・アリオー ローラランボルギーニ 1'43.089
3 34   ベルント・シュナイダー ザクスピードヤマハ 1'44.053
4 29   ミケーレ・アルボレート ローラランボルギーニ 1'44.075
DNPQ 18   ピエルカルロ・ギンザーニ オゼッラフォード 1'44.313
DNPQ 31   ロベルト・モレノ コローニフォード 1'44.498
DNPQ 36   ステファン・ヨハンソン オニクスフォード 1'44.582
DNPQ 35   鈴木亜久里 ザクスピードヤマハ 1'44.780
DNPQ 33   オスカー・ララウリ ユーロブルンジャッド 1'45.446
DNPQ 37   J.J.レート オニクスフォード 1'45.787
DNPQ 40   ガブリエル・タルキーニ AGSフォード 1'46.705
DNPQ 41   ヤニック・ダルマス AGSフォード 1'48.306
DNPQ 32   エンリコ・ベルタッジア コローニフォード No Time

予選本選 編集

順位 No ドライバー コンストラクター 1回目 2回目
1 1   アイルトン・セナ マクラーレンホンダ 1'39.493 1'38.041
2 2   アラン・プロスト マクラーレンホンダ 1'40.875 1'39.771
3 28   ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 1'41.253 1'40.187
4 27   ナイジェル・マンセル フェラーリ 1'40.608 1'40.406
5 6   リカルド・パトレーゼ ウィリアムズルノー 1'42.397 1'40.936
6 19   アレッサンドロ・ナニーニ ベネトンフォード 1'41.601 1'41.103
7 5   ティエリー・ブーツェン ウィリアムズルノー 1'42.943 1'41.324
8 30   フィリップ・アリオー ローラランボルギーニ 1'42.534 1'41.336
9 8   ステファノ・モデナ ブラバムジャッド 1'42.909 1'41.458
10 17   ニコラ・ラリーニ オゼッラフォード 1'42.483 1'41.519
11 11   ネルソン・ピケ ロータスジャッド 1'43.386 1'41.802
12 12   中嶋悟 ロータスジャッド 1'43.370 1'41.988
13 7   マーティン・ブランドル ブラバムジャッド 1'44.236 1:42.182
14 24   ルイス・ペレス=サラ ミナルディフォード 1'43.107 1'42.283
15 21   アレックス・カフィ ダラーラフォード 1'43.171 1'42.488
16 22   アンドレア・デ・チェザリス ダラーラフォード 1'43.904 1'42.581
17 16   イヴァン・カペリ マーチジャッド 1'43.851 1'42.672
18 4   ジャン・アレジ ティレルフォード 1'43.306 1'42.709
19 23   パオロ・バリッラ ミナルディフォード 1'46.096 1'42.780
20 15   マウリシオ・グージェルミン マーチジャッド 1'44.805 1'42.880
21 34   ベルント・シュナイダー ザクスピードヤマハ 1'44.323 1'42.892
22 20   エマニュエル・ピロ ベネトンフォード 1'43.217 1'43.063
23 26   オリビエ・グルイヤール リジェフォード 1'45.801 1'43.379
24 10   エディ・チーバー アロウズフォード 1'44.501 1'43.511
25 9   デレック・ワーウィック アロウズフォード 1'44.288 1'43.599
26 3   ジョナサン・パーマー ティレルフォード 1'43.955 1'43.757
DNQ 25   ルネ・アルヌー リジェフォード 1'44.221 1'44.030
DNQ 29   ミケーレ・アルボレート ローラランボルギーニ 1'44.063 1'44.101
DNQ 38   ピエール=アンリ・ラファネル リアルフォード 2'11.328 1'47.160
DNQ 39   ベルトラン・ガショー リアルフォード 1'50.883 1'47.295
  • 太字はベストタイム、DNQは予選不通過。
  • 結果はフォーミュラ1公式サイト[1]ESPN F1[2]を参照。

決勝 編集

展開 編集

プロスト先行 編集

スタートではプロストがアウト側の2番グリッドから絶妙なスタートを決め、トップで1コーナーに進入した。セナはベルガーにも並ばれかけたが、プロストに続く2位をキープした。ナニーニが4位にジャンプアップし、セミATの問題を抱えるマンセルは6位に後退した。1周目にはミナルディの2台とシュナイダーが早くも姿を消した。

プロストは快調に走行し、10周目にはセナに対して4秒のリードを築いた。以下、ベルガー、ナニーニ、マンセル、パトレーゼがそれぞれ5秒前後の間隔で続いた。中団ではステファノ・モデナブラバム)、ピケ、中嶋の9位争いに、後方からジャン・アレジティレル)、エマニュエル・ピロ(ベネトン)が絡んで激しいバトルとなった。20周前後に各チームのピットストップが行われた。

プロストとセナの差は、周回遅れの処理なども絡んで、30周目には2秒ほどになった。3位のベルガーは34周目にギアトラブルが発生し、スローダウンしてピットに戻った。43周目にはチームメイトのマンセルも白煙を吹きながらストップした。ナニーニが単独3番手を走行するが、優勝争いの2台からは1分近く離されている。ピケやアレジと9位争いをしていた中嶋はタイヤ交換時に順位を落とし11番手を走行していたが、エンジンのオーバーヒートにより41周目にリタイアした。また中嶋と順位を争っていたアレジも37周でリタイアした。

シケインでの接触 編集

 
セナとプロストの接触が起こったシケイン(2011年)。1989年当時とは位置や形状が変わっている。

残り10周を切る頃にはプロストの背後にセナが肉薄し、オーバーテイクのタイミングを窺う展開となった。決勝前、プロストはウィングを寝かせてストレートスピードを稼ぐセッティングに変更しており、セナがシケインで差を詰めると、プロストが最終コーナーからホームストレートにかけて引き離すというラップが続いた。

残り6周となった47周目、セナは130R立ち上がりで勝負を仕掛け、シケインへのアプローチでブレーキを遅らせプロストのインに飛び込んだ。プロストは一瞬虚を突かれたが、すかさずステアリングをイン側へ切り込んだ。セナはブレーキングでイン側の優位を確保していたが真横には並んでおらず、プロストにラインを被せられた。2台のマクラーレンは接触し、ホイールを絡ませたままコース上に停車した[3]。プロストは掌を上にかざすジェスチャーを見せ、対照的にセナは両手でヘルメットを抱えた。

プロストは直ちにマシンを降りてリタイアしたが、セナはコースマーシャルにコース復帰を補助するよう指示した。押し掛けによりエンジンが再始動し、セナはシケインの退避路を通過してトップのままコースに復帰した[3]。しかし、接触でフロントウィングが破損したため、1周後にピットインしてノーズコーンの交換作業を行った。リタイアしたプロストはマクラーレンのピットに戻らず、コントロールタワーに向かった。

一連のタイムロスにより、ベネトンのナニーニがトップに浮上したが、セナが猛追し、51周目のシケインでインを突いた。ナニーニはブレーキロックしながらも無理には抵抗せず、セナがトップを奪回し、53周目のチェッカーを先頭で受けた。

レース後 編集

セナがトップでチェッカーを受けたものの、プロストの抗議を受けてコントロールタワーでは審議が続けられ表彰式のスケジュールは遅れた。20分後に発表された公式結果では、セナは「シケイン不通過」のレギュレーション違反により失格と判定され、ナニーニの繰り上がり優勝が決定した。

マクラーレンはこの判定を不服として控訴し、FIA国際控訴審判所が10月末に裁定を下すまで、ナニーニの優勝とプロストの3度目のワールドチャンピオンは「暫定」扱いとなった。その後日本グランプリの次に行われたオーストラリアグランプリでセナがリタイアしたため、この審理の結果を問わずプロストのチャンピオンが確定。その後のFIAの審理の結果、「レース中のエンジン押し掛け」によりセナの失格が確定した。これについてモータースポーツジャーナリストの柴田久仁夫とルイス・バスコンセロスは、この時FIA会長で来日中だったジャン=マリー・バレストルが公然とスチュワード(審議委員)の裁定に介入しており、当時のスチュワードでバレストルに盾突ける人間はいなかったと指摘している[4]

ナニーニはF1参戦4年目にして初優勝を達成し、ベネトンチームとしても1986年メキシコGP以来の2勝目となった。2、3位はパトレーゼとブーツェンが獲得し、コンストラクターズランキングではウィリアムズがフェラーリを抜いて2位に浮上。ピケはエンジンから煙を吐きながら4位に入賞。以下、ブラバムマーティン・ブランドルアロウズデレック・ワーウィックまでがポイントを獲得した。出走26台中、完走したのは10台だった。

結果 編集

順位 No ドライバー コンストラクター 周回 タイム/リタイヤ グリッド ポイント
1 19   アレッサンドロ・ナニーニ ベネトンフォード 53 1:35'06.277 6 9
2 6   リカルド・パトレーゼ ウィリアムズルノー 53 +11.904 5 6
3 5   ティエリー・ブーツェン ウィリアムズルノー 53 +13.446 7 4
4 11   ネルソン・ピケ ロータスジャッド 53 +1'44.225 11 3
5 7   マーティン・ブランドル ブラバムジャッド 52 +1 Lap 13 2
6 9   デレック・ワーウィック アロウズフォード 52 +1 Lap 25 1
7 15   マウリシオ・グージェルミン マーチジャッド 52 +1 Lap 20  
8 10   エディ・チーバー アロウズフォード 52 +1 Lap 24  
9 21   アレックス・カフィ ダラーラフォード 52 +1 Lap 15  
10 22   アンドレア・デ・チェザリス ダラーラフォード 51 +2 Laps 16  
DSQ 1   アイルトン・セナ マクラーレンホンダ 53 失格 1  
Ret 2   アラン・プロスト マクラーレンホンダ 46 接触 2  
Ret 8   ステファノ・モデナ ブラバムジャッド 46 エンジン 9  
Ret 27   ナイジェル・マンセル フェラーリ 43 エンジン 4  
Ret 12   中嶋悟 ロータスジャッド 41 エンジン 12  
Ret 4   ジャン・アレジ ティレルフォード 37 ギヤボックス 18  
Ret 30   フィリップ・アリオー ローラランボルギーニ 36 エンジン 8  
Ret 28   ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 34 ギヤボックス 3  
Ret 20   エマニュエル・ピロ ベネトンフォード 33 接触 22  
Ret 26   オリビエ・グルイヤール リジェフォード 31 エンジン 23  
Ret 16   イヴァン・カペリ マーチジャッド 27 サスペンション 17  
Ret 17   ニコラ・ラリーニ オゼッラフォード 21 ブレーキ 10  
Ret 3   ジョナサン・パーマー ティレルフォード 20 燃料漏れ 26  
Ret 34   ベルント・シュナイダー ザクスピードヤマハ 1 ギヤボックス 21  
Ret 24   ルイス・ペレス=サラ ミナルディフォード 0 接触 14  
Ret 23   パオロ・バリッラ ミナルディフォード 0 クラッチ 19  
  • 太字は入賞者、DSQは失格。
  • 結果はフォーミュラ1公式サイト[1]ESPN F1[2]を参照。

データ 編集

大会 編集

  • 大会名 - 1989年 FIA F1世界選手権 フジテレビジョン 日本グランプリ (1989 FIA Formula One World Championship Fuji Television Japanese Grand Prix)
  • 開催日 - 1989年10月20日 - 10月22日
  • 開催地 - 鈴鹿サーキット
  • 主催 - 鈴鹿サーキットランド/鈴鹿モータースポーツクラブ
  • レース距離 - 310.527km(5.859km×53LAP)
  • 決勝日天候 - 曇り

記録 編集

  • ポールポジション - アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ) 1分38秒041
  • 優勝 - アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード) 1時間35分6秒277
    • アイルトン・セナが記録した 1時間35分3秒980 は失格により無効
  • ファステストラップ - アラン・プロスト(マクラーレン・ホンダ) 1分43秒506 (LAP43)
    • アイルトン・セナが記録した 1分43秒025 (LAP38) は失格により無効
  • ラップリーダー
    • アラン・プロスト(LAP1 - 20, 24 - 46)
    • アイルトン・セナ(LAP21 - 23, 47 - 48, 51 - 53)
    • アレッサンドロ・ナニーニ(LAP49 - 50)

脚注 編集

  1. ^ a b 1989 Japanese Grand Prix” (英語). Formula1.com. 2012年2月3日閲覧。
  2. ^ a b GP 1989 Results”. ESPN F1. 2012年2月2日閲覧。
  3. ^ a b Senna and Prost's Suzuka showdown | 1989 Japanese Grand Prix”. FORMULA 1 2015-05-13. 2024年4月24日閲覧。
  4. ^ AUTOSPORT No.1561、14-15頁。

参考文献 編集

  • 柴田久仁夫「F1ジャーナリスト座談会 ダークサイドの境界線 」『AUTOSPORT No.1561』2021年10月15日号、三栄書房、2021年、14-15頁。 

関連項目 編集

前戦
1989年スペイングランプリ
FIA F1世界選手権
1989年シーズン
次戦
1989年オーストラリアグランプリ
前回開催
1988年日本グランプリ
  日本グランプリ 次回開催
1990年日本グランプリ