2012年ロンドンオリンピックのスペイン選手団

2012年ロンドンオリンピックのスペイン選手団(2012ねんロンドンオリンピックのスペインせんしゅだん)は、2012年7月27日から8月12日にかけてイギリスの首都ロンドンで開催された2012年ロンドンオリンピックスペイン選手団、およびその競技結果。

オリンピックのスペイン選手団
スペインの国旗
IOCコード ESP
NOC スペインオリンピック委員会
公式サイト
2012年ロンドンオリンピック
人員: 選手 278名
旗手: パウ・ガソル(開会式)
サウル・クラビオット(閉会式)
メダル
国別順位: 17 位

4

10

5

19
夏季オリンピックスペイン選手団
18961900190419081912192019241928193219361948195219561960196419681972197619801984198819921996200020042008201220162020
冬季オリンピックスペイン選手団
192419281932193619481952195619601964196819721976198019841988199219941998200220062010201420182022

概要 編集

今大会は金メダル4個、銀メダル10個、銅メダル5個の合計19個のメダルを獲得した。

スペインオリンピック委員会英語版(COE)によってスペイン選手団が結成され、23競技に男子166人・女子112人の計278人が参加した。1988年ソウルオリンピック以降ではもっとも少ない選手数となった。総メダル数は前回の北京オリンピックより1個少なかった。テコンドーカヌーがそれぞれ競技別最多の3個を獲得し、セーリング競泳シンクロナイズドスイミングがそれぞれ2個を獲得した。3人の選手が複数個のメダルを獲得している。また、シンクロナイズドスイミングとテコンドーに出場したすべての選手が最低1個のメダルを獲得した。スペイン選手団は団体球技でも成功を収めており、女子ハンドボールは銀メダルを、男子水球は銅メダルを獲得したうえに、男子バスケットボールは北京オリンピックに続いて銀メダルを獲得した。テニスではメダルを獲得できなかった。1988年のソウルオリンピックでテニス競技が再導入されてから初めて、テニスではメダルを1個も獲得できなかった。また、自転車競技も6大会ぶりに1個もメダルを獲得できなかった。

今大会のメダル獲得者の中で、セーリングのマリーナ・アラバウとカヌーのサウル・クラビオットは北京オリンピックでもメダルを獲得している。トライアスロンハビエル・ゴメス、カヌー・スラロームのマイアレン・コラントレスリング・フリースタイルのマイデル・ウンダは、それぞれの種目でスペイン初のメダルを獲得した。ダビド・カルアテネオリンピックで2個、北京オリンピックで2個、今大会で1個のメダルを獲得しており、オリンピックで5個のメダルを獲得したスペイン初の選手となった[1]ミレイア・ベルモンテは2個のメダルを獲得したスペイン初の競泳選手となった。

2019年、2位だったロシア選手のドーピング発覚により、ルート・ベイティアは繰り上げとなり、女子走高跳銅メダルを獲得した[2]

メダル 編集

メダル 選手名 競技 種目 日付(現地)
1  金 マリーナ・アラバウ セーリング 女子RS-X級 8月7日
1  金 タマラ・エチェゴジェン
アンヘラ・プマリエガ
ソフィア・トロ
セーリング 女子エリオット6m級 8月11日
1  金 リディア・バレンティン ウエイトリフティング 女子75kg級 8月3日
1  金 ホエル・ゴンサレス テコンドー 男子58kg級 8月8日
2  銀 ミレイア・ベルモンテ 競泳 女子800m自由形 8月3日
2  銀 ミレイア・ベルモンテ 競泳 女子200mバタフライ 8月1日
2  銀 マルタ・バック
アンドレア・ブラス
アナ・コパド
アンナ・エスパル
ラウラ・エステル
マイカ・ガルシア・ゴドイ
ラウラ・ロペス
ロレナ・ミランダ
オナ・メセグエル
マティルデ・オルティス
イェニフェル・パレハ
ピラル・ペーニャ
ロセル・タラゴ
水球 女子 8月9日
2  銀 オナ・カルボネル
アンドレア・フエンテス
シンクロナイズドスイミング 女子デュエット 8月7日
2  銀 パウ・ガソル
ルディ・フェルナンデス
セルヒオ・ロドリゲス
フアン・カルロス・ナバーロ
ホセ・カルデロン
フェリペ・レジェス
ビクトル・クラベール
フェルナンド・サン・エメテリオ
セルヒオ・リュル
マルク・ガソル
セルジ・イバカ
ビクトル・サダ
バスケットボール 男子 8月12日
2  銀 ダビド・カル カヌー 男子スプリントC-1 1000m 8月8日
2  銀 サウル・クラビオット カヌー 男子スプリントK-1 200m 8月11日
2  銀 ニコラス・ガルシア テコンドー 男子80kg級 8月10日
2  銀 ブリヒッテ・ヤグエ テコンドー 女子49kg級 8月8日
2  銀 ハビエル・ゴメス トライアスロン 男子 8月7日
3  銅 クララ・バシアナ
アルバ・カベリョ
オナ・カルボネル
マルガリダ・クレスピ
アンドレア・フエンテス
タイス・エンリケス
パウラ・クラムブルグ
イレネ・モントルッチオ
ライア・ポンス
シンクロナイズドスイミング 女子チーム 8月10日
3  銅 マイデル・ウンダ レスリング 女子フリースタイル72kg級 8月9日
3  銅 アンドレア・バルノ
カルメン・マルティン
ネリー・アルベルト
ベアトリス・フェルナンデス
ベロニカ・クアドラド
マルタ・マングエ
マカレナ・アグイラール
シルビア・ナバーロ
イェシカ・アロンソ
エリサベト・ピネド
ボゴナ・フェルナンデス
バネサ・アモロス
パトリシア・エロルザ
ミハエラ・シオバヌ
ハンドボール 女子 8月11日
3  銅 マイアレン・コラント カヌー 女子スラロームK-1 8月2日
3  銅 ルート・ベイティア 陸上 女子走高跳 8月11日
競技別メダル数
競技 合計
セーリング 2 0 0 2
テコンドー 1 2 0 3
ウエイトリフティング 1 0 0 1
カヌー 0 2 1 3
競泳 0 2 0 2
シンクロナイズドスイミング 0 1 1 2
バスケットボール 0 1 0 1
トライアスロン 0 1 0 1
水球 0 1 0 1
ハンドボール 0 0 1 1
レスリング 0 0 1 1
陸上 0 0 1 1
合計 4 10 5 19

競技別出場選手数 編集

スペインオリンピック委員会英語版(COE)は、23競技に男子166人・女子112人の計278人を選出した。過去のスペイン選手団の中では6番目に大きいが、1988年ソウルオリンピック以降では最小となった。フェンシング近代五種競技ボートには選出された選手がおらず、レスリングも女子フリースタイルに1選手が選出されたのみである。最大規模となったのは陸上競技であり、46選手が選出された。

2008年北京オリンピックのメダリストとしては、セーリングのイケル・マルティネスシャビエル・フェルナンデス、カヌーのダビド・カルなどが今大会にも参加した。競歩のヘスス・アンヘル・ガルシア1992年バルセロナオリンピックから6大会連続で出場しており、水球のマヌエル・エスティアルテと並んで6大会に出場したスペイン2人目の選手となった。同じく競歩のマリア・バスコとホッケーのポル・アマトは5回目のオリンピックである。卓球の何志文(フアニート)は50歳、新体操のルルデス・モエダーノは17歳であり、それぞれ今大会のスペイン選手団の最年長/最年少選手となった。

カヌーで2度世界王者となったサウル・クラビオット、競泳のミレイア・ベルモンテ、テニスのアナベル・メディナ・ガリゲス、バスケットボールのビクトル・クラベールサージ・イバーカなどが注目選手として挙げられた。当初はテニスのラファエル・ナダルが開会式の旗手を務める予定だったが、負傷の影響で今大会の欠場を決定したため[3]、バスケットボールのパウ・ガソルが開会式で旗手を務めた[4]

競技 男子 女子 合計
アーチェリー 1 1 2
陸上競技 27 19 46
バドミントン 1 1 2
バスケットボール 12 0 12
ボクシング 2 0 2
カヌー 6 2 8
自転車競技 15 1 16
飛込 1 1 2
ホッケー 16 0 16
サッカー 18 0 18
体操 5 8 13
柔道 2 4 6
セーリング 7 7 14
射撃 6 2 8
競泳 3 11 14
シンクロナイズドスイミング 0 9 9
卓球 2 3 5
テコンドー 2 1 3
テニス 6 6 12
トライアスロン 3 3 6
バレーボール 2 2 4
水球 13 13 26
ウエイトリフティング 1 1 2
レスリング 0 1 1
合計 166 112 278

ユニフォーム 編集

 
ドナルド・マクドナルド(右)と若い女性

スペインは2008年から進行中の経済危機に苦しんでいた。スペイン選手団はロシアのスポーツウェア企業であるBoscoから提供されたユニフォームを開会式で着用することによって、スペインオリンピック委員会はユニフォームにかかる費用150万ユーロを削減した。Bosco社はロシア選手団とウクライナ選手団にもユニフォームを提供している。

しかし、スペインの選手たちはこのユニフォームが「派手でケバい」「形容する言葉がない」と批判した。ロシアのザ・モスクワ・タイムズは、このユニフォームカラーを「今までに見たことのないような、チェリーレッド、オレンジ、カナリアイエローの組み合わせ」だとした[5]。アメリカ合衆国のナショナル・パブリック・ラジオは、このユニフォームがドナルド・マクドナルドのためにデザインされたのだと揶揄した[6]

脚注 編集

出典 編集

外部リンク 編集