BMW・V12 LMRは、1999年ル・マン24時間レース参戦用にBMWウィリアムズが開発したプロトタイプレーシングカーで、BMW単独のマシンとしては初のル・マン総合優勝を飾ったマシンである。

BMW・V12 LMR
カテゴリー LMP
コンストラクター ドイツの旗 BMW
イギリスの旗 ウィリアムズF1
先代 BMW・V12 LM
後継 BMW・M Hybrid V8
主要諸元
シャシー カーボンファイバーモノコック
エンジン BMW S70/2 5,990cc V12 NA ミッドシップ, 縦置き
トランスミッション X-Trac 6速 シーケンシャル・マニュアル
燃料 ペトロブラス
タイヤ ミシュラン
主要成績
チーム ドイツの旗 BMWモータースポーツ
ドイツの旗 シュニッツァー・モータースポーツ
ドライバー フィンランドの旗 J.J.レート
ドイツの旗 ヨルグ・ミューラー
イギリスの旗 スティーブ・ソパー
ドイツの旗 ヨアヒム・ヴィンケルホック
イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ
フランスの旗 ヤニック・ダルマス
デンマークの旗 トム・クリステンセン
アメリカ合衆国の旗 ビル・オーバーレン
フランスの旗 ジャン・マルク・グーノン
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1999年のセブリング12時間レース
出走優勝ポールFラップ
18743
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概要 編集

前年のBMW・V12 LMが充分な成績を修めることができなかったBMW・ウィリアムズ陣営は、1999年に向けて徹底的にマシンを改良した。前年までGTとは名ばかりのGT1はLMGTPという名称で新たにプロトタイプに組み入れられ、プロトタイプはオープンボディのLMPとクローズドボディのLMGTPの2種類が存在することになった。燃料タンクが90リットルに、最低車重も900kgに統一された。それまでGT1に認められていたABSやトラクションコントロールは、LMGTPではLMPに合わせ禁止となり、逆にLMPは後端にディフューザーの装備が許された。ただエンジン出力に関しては、LMGTPの方がエアリストリクター径に関してLMPより若干優遇され50PSほど高く認められていた[1]

 
コックピット

この年はクローズドのLMGTPがメルセデストヨタ自動車アウディ、オープンのLMPがBMWの他、日産自動車、そしてアウディはオープン・クローズドの両面作戦に出た。V12 LMRは運転席部分だけに設けられる、シングルフープロールバーを採用した最初のスポーツプロトタイプカーであり、このアイデアは、後のアウディ・R8シリーズ4や、童夢・S101ダラーラSP1などにも影響を与えている。ただし、後にACOは助手席側にもロールバーを設けることを義務付けた。

戦績 編集

デビュー戦はアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)開幕戦のセブリング12時間。ポールtoウィンの完勝でデビュー戦を飾った。ル・マンの予備予選には3台を持ち込んだが、本番は2台体制。3位、6位で予選を通過した。

レース前はトヨタ・TS020が本命視され、予想通りポールポジションを獲得したが、レース本番では相次ぐトラブルで日本人組の1台のみになり、朝を迎えた時点ではV12 LMRの1-2体制が出来上がっていた。その後トラブルで1台を失うも、トヨタの猛追を振り切り、BMW単独としては初のル・マン制覇を達成した。ル・マン後はALMSに参戦し3勝を上げている。

2000年は、BMWとウィリアムズはF1にリソースを集中するため、ル・マン参加を回避した。但しALMSにはシリーズ参戦し2勝をあげている。この年のALMSは北米を飛び出し、シルバーストンニュルブルクリンクアデレードでも開催し、BMWの他、アウディ、GMも参戦する事実上の世界選手権と言えるシリーズであった(翌年から北米大陸のみの開催となる)。この年をもってBMWのスポーツカー活動は終了している。

脚注 編集

  1. ^ 「ルマン 偉大なる草レースの全記録」二玄社


外部リンク 編集