SYSTEM11(システムイレブン)は、ナムコが開発したPlayStation互換のアーケードゲーム基板

SYETEM11 鉄拳2 Ver.C

概要 編集

PlayStationに採用されたのと同じ種類のCPUR3000A」、GPUメモリをベースに、それらの半導体の動作周波数を高速化させ、メモリ容量を増強。独自のサウンドCPUや各種コネクタや各種I/Oインターフェイスを追加している。基板は上下2枚組で、上のCPUボード(ソニー製)にCPUとGPU、下のシステムボード(ナムコ製)にサウンド関係と筐体へのI/O周りが搭載されている。また、システムボード上にフラッシュROMが搭載されており、オンボードでの書き換えが可能となっている(故に、従来のROM交換によるソフト入れ替えには対応していない)。

SYSTEM11の半導体の動作周波数を1.5倍に高速化したのを中心に、メモリーの容量をさらに増量しパワーアップさせた上位互換基板が「SYSTEM12」である。

初採用は1994年12月稼動開始の『鉄拳』(初代)である。

基本スペック 編集

  • メインCPU:R3000A(33.8688MHz), 30MIPS相当
  • 命令キャッシュ:4Kバイト
  • サウンドチップ:ナムコ・カスタムチップ(C76, C352)
  • BIOS:512Kバイト
  • メインメモリ:2Mバイト
  • VRAM: 2Mバイト(PlayStationは1Mバイト)
  • サウンド用メモリ:512Kバイト
  • GPU:36万ポリゴン/秒、または4,000スプライト/秒
  • 解像度:256×224 - 740×480ドット
  • カラー:1670万色
  • その他:モーションJPEGデコーダ内蔵

SYSTEM11誕生の経緯[1] 編集

1990年初頭のナムコは小型機のシェアで伸び悩んでいた。大型機と専用筐体は、高パフォーマンスなSYSTEM21SYSTEM22基板が得意とする当時業界としてはまだ珍しい部類だった3Dポリゴン描画を採用した体感ゲームや、SYSTEM IIなどを採用したスプライトとドット絵を活かして2Dながらも立体的に見せる擬似3Dの体感ゲームが一定の評価を得ていたため、それなりのシェアで支えられていたものの、小型機と汎用筐体向けの作品が芳しくなかった。ナムコはかつて1980年代に小型機の輝かしい全盛期を迎えていたため、特に歯がゆい思いをしていた。前述の通りSYSTEM21,22作品で3Dに強みを持っていたナムコは、小型機用にもローコストの3Dボードを開発することが、この状況を打破するための急務であった。

そんな折、1993年秋のある新聞にソニーの新チップの記事が載っているのをナムコ常務の中村繁一(当時[2])が見つける。これはと思った中村が、当時付き合いのあったソニーの久多良木健にコンタクトを取ると、「見て欲しいものがある」と言われ、PlayStation(当時はPSX)構想と開発中のデモンストレーション映像を見せられる。

家庭用でこれだけのスペックを見せつけられた中村は、これこそが念願のローコストの業務用3Dボードへ繋がるものであると確信し、ソニーに対して技術協力をする代わりにアーキテクチャーの業務用への転用を許諾して欲しいという約束を取り付ける。かくしてソニーとの共同開発でPlayStationをベースとした新型業務用ボードが誕生した。

SYSTEM11の名付け親は当時のナムコ研究部課長の小川徹である。単純にSYSTEM22の半分程度の性能なのでSYSTEM11とのことであった。

主なタイトル 編集

特記がないものは全て「開発・発売元:ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)」。

◎は、専用筐体と専用デバイスが必要になるタイトル。

脚注 編集

  1. ^ ソニー・マガジンズ HYPERプレイステーション 1995年4月号 P.27
  2. ^ 石村繁一。当時はナムコ創業者である中村雅哉の息女と結婚して中村姓を名乗っていた。

関連項目 編集

外部リンク 編集