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狩野 秀治(かのう ひではる 生年不詳 - 天正12年(1584年)?)は、安土桃山時代武将上杉氏の家臣。通称は新介。号は彦伯。

生涯編集

越中国神保氏の旧臣・狩野秀基の子という。はじめ出雲尼子勝久に仕えていたともいわれる。

天正初年頃から越後上杉氏に仕え、御館の乱上杉景勝方に与して頭角を現し、天正9年以降景勝の内政外交全般の取次ぎ役を担当するなど重用され、直江兼続と2人の執政体制に入る[1]天正10年(1582年)12月晦日、讃岐守の官位を与えられた。

しかし病気がちであり、天正12年以降史料に見えないことから、この頃に病死したと思われる。


脚注編集

  1. ^ 木村徳衛『直江兼続伝』(私家版、1944年)31-32頁