猪苗代盛胤
猪苗代 盛胤(いなわしろ もりたね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。蘆名氏の家臣。猪苗代氏13代当主。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 永禄8年(1565年) |
死没 | 寛永18年(1641年) |
墓所 | 福島県耶麻郡猪苗代町内野 |
主君 | 蘆名義広 |
氏族 | 猪苗代氏 |
父母 | 父:猪苗代盛国 |
兄弟 | 盛胤、宗国、盛明 |
子 | 盛親 |
生涯編集
永禄8年(1565年)、陸奥国猪苗代城主・猪苗代盛国の子として誕生。
蘆名氏に仕え、天正13年(1585年)、父・盛国から家督と猪苗代城を譲られたが、後に盛国が後妻との子・宗国を溺愛するあまり盛胤の廃嫡を画策、これにより居城を奪われた。天正17年(1589年)、摺上原の戦いで父は伊達政宗に与したが、盛胤は蘆名方にとどまり先鋒として父の手勢などの伊達軍と戦い、奮戦した。戦後は蘆名義広に従って常陸国へ落ち延びた。
後に義広の下を離れて故郷の猪苗代に戻り、寛永18年(1641年)に同地で死去。
福島県耶麻郡猪苗代町内野には盛胤の墓が残っており、また、同町五輪原の国立磐梯青少年交流の家敷地内に盛胤を偲んで造られた五輪塔がある。