猿山合戦(さるやまかっせん)とは大永3年(1523年8月下野国で行われた合戦。

猿山合戦
戦争戦国時代 (日本)
年月日大永3年(1523年8月
場所下野国宇都宮猿山
結果結城軍の勝利
 宇都宮忠綱宇都宮城から追放され、宇都宮家臣団が宇都宮興綱を新当主に擁立
交戦勢力
結城 宇都宮左三つ巴紋
指導者・指揮官
結城政朝 宇都宮忠綱左三つ巴紋
戦力
不明 中村玄角中村城主)
損害

経過編集

宇都宮氏結城氏宇都宮成綱が姉を結城政朝に嫁がせて同盟を結んでおり、15世紀初頭に勃発した永正の乱では両者共に足利高基古河公方擁立を目論み、竹林の戦いで共闘するなど良好な関係を維持してきた。しかし、成綱が没し、宇都宮忠綱が当主となると関係は大きく変わってしまった。両勢力の境界付近にある『中村十二郷』は永享12年(1440年)の結城合戦により宇都宮氏が所有し、その最前線の中村城には闘将と謳われる中村玄角を配置していた。この『中村十二郷』を巡って両者の対立は激化した。当時の宇都宮氏は成綱の活躍により、古河公方の威光も手中に収め、北関東で最も力のある勢力にまでなっていた。忠綱はさらなる躍進を狙い、強硬な家中支配の強化などを行ったが、それが家臣らの不満となり芳賀高経笠間氏などが忠綱と対立するようになる。結城政朝は、そうした当時の宇都宮氏の政情を利用し、芳賀高経らに加担し分裂を促すなどして弱体化を図った。

大永3年(1523年8月、結城政朝は宇都宮領に侵攻し、宇都宮忠綱は猿山で迎え撃った。境界付近にある『中村十二郷』の中村城中村玄角が守り切るも猿山の合戦では結城氏が勝利し、宇都宮一門の今泉盛高が討たれるなど宇都宮氏が大敗し結城氏は旧領の回復を果たした。

戦後編集

宇都宮忠綱は宇都宮城に撤退したが、芳賀高経ら反忠綱の家臣が成綱の末子でまだ幼い宇都宮興綱を擁して叛乱を起こし、忠綱の帰城を妨害した。忠綱は芳賀氏らと対立している重臣の壬生綱房を頼り鹿沼城へと逃れた。忠綱は綱房の保護下で再起を図るが、うまくいかないまま没してしまう。宇都宮家臣団は興綱を傀儡として利用し、その結果、芳賀氏や壬生氏の増長が著しくなり、近隣勢力に大きく後れを取ることになった。 一方結城氏は勢いのあった宇都宮氏を潰すことに成功し、また、数年後には、小山氏に一族を送り込むことに成功するなどその影響力は北関東随一となり、全盛期を迎えることとなった。

関連項目編集