猿渡常安

明治時代の医者

猿渡 常安 (さるわたり つねやす、1849年 - 1899年)は、明治時代医者渋沢栄一の主治医[1]。姓は菅沼。高島藩士・菅沼豊八の次男。

人物 編集

信濃国諏訪郡(現長野県諏訪市)に生まれる。宮内省侍医猿渡盛雅の養子となる。東京市神田錦町で医院を開業する[2]。栄一の妻、千代がコレラを患った際は診察にあたった [3]。墓所は谷中霊園

参考文献 編集

  • 『澁澤榮一翁』(1933年、刀江書院)

脚注 編集

  1. ^ 池田文書の研究”. 2022年1月26日閲覧。
  2. ^ 池田文書の研究”. 2022年1月26日閲覧。
  3. ^ 刀江書院 1933.

外部リンク 編集