獨逸学協会学校(どいつがくきょうかいがっこう)は、獨逸学協会によって1883年に設置された私立の旧制学校である。中等教育課程の「普通科」と、一時期は高等教育課程である「専修科」を併設していた。

沿革編集

 
ドイツ学協会名誉会員名簿(50音順、1889年)。

設立者の獨逸学協会は、1881年「ドイツ文化の移植」を目的に設立された団体である。学校設立に際しては初代学長の西周加藤弘之ら、当時の啓蒙学者が関与、ドイツ啓蒙主義を基礎とした。設立メンバーには井上毅青木周蔵桂太郎らも名を連ねているが、学校運営を中心的に担っていたのは品川弥二郎であった。

1885年7月にはドイツの法律や政治を学ぶための専修科が普通科の上位の課程として設置され、司法省・文部省など政府から多額の財政支援を受け、当時のいわゆる「九大法律学校」の一つに数えられた。現在の法科大学院の先駆けとも言える専修科は、その後政府からの補助金が打ち切られたことから経営が行きづまり、1895年には教授陣や教育課程がそのまま帝国大学獨法科へ移管され、廃止された。

しかし、専修科廃止後も獨逸学協会学校自体は旧制中学校として存続した。

獨逸学協会学校普通科(のち獨逸学協会中学校に改称)は、旧制第一高等学校合格者数で首位となっていた時期があった。医学の分野に限って見ても日本はドイツを模範にしていた時代であり、特に一高三部(大学で医科修学志望)の入学試験ではドイツ語が課されていたため、獨逸学協会学校からの進学者が多かった。大正時代半ばまでは上位にいたことが記録から明らかになっているが、第一次世界大戦でドイツが敗れるとドイツ語を学ぶ生徒が激減し、一高合格者数の上位には見かけなくなった。

学校教育法施行に伴い、獨逸学協会中学校は1948年に新制中学校・高等学校へ改組され、現在は獨協中学校・高等学校となっている。なお、獨協学園では前期の「専修科」を戦後1964年に設立された獨協大学の源流と位置づけている。

関連項目編集

外部リンク編集