玄哲海(ヒョン・チョルヘ、현철해、1934年8月 - )は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人。人民武力部第一副部長兼後方総局長朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央軍事委員会委員を歴任した。軍事称号(階級)は朝鮮人民軍元帥

玄哲海
各種表記
ハングル 현철해
漢字 玄哲海
発音 ヒョン・チョルヘ
英語表記: Hyon Chol-hae
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経歴編集

1993年12月8日、朝鮮労働党第6期党中央委員会第21回総会において党中央委員に選出される[1]。1995年9月、朝鮮人民軍後方総局長への就任が判明[2]。同年10月8日、人民軍最高司令官命令により大将に昇格した[3]

2008年には、金正日総書記に最も多く随行(32回)。金正日の次男である金正哲との結びつきが強いと言われ、2008年8月以降金総書記の重病説が流れる中、仮に3代にわたる世襲が行われる場合、正哲の後援者となるとされていた。また金正恩の軍事教育を担当していたとされる[4]

朝鮮人民軍総政治局副局長、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会総務局長を経て、金正恩体制が発足した2012年4月に人民武力部第一副部長(組織担当)兼後方総局長に就任した。同年4月7日、党中央軍事委員会および国防委員会の共同決定により次帥に昇格[5][6]。同年4月13日、第4回党代表者会において党中央委員会政治局員および党中央軍事委員会委員に選出された[7]

2013年5月に、人民武力部第一副部長の役職から解任されていたことが判明した。解任の理由は高齢による健康問題と推測された。後任は全昌復(チョン・チャンボク)である[4]

2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に再選されなかった。

2016年4月14日、党中央委員会・中央軍事委員会、及び国防委員会の決定により、李乙雪死去後に空席となっていた人民軍元帥に昇格した[8][9]

2016年5月に開催された朝鮮労働党第7次大会で党中央委員会政治局、同党中央軍事委員会の名簿に掲載されず、政治局員と中央軍事委員会委員からの退任が確認された[10]

脚注編集

  1. ^ 中川雅彦「目標未達成で終了した第3次7カ年計画 - 1993年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報』1993年版、41-42ページ
  2. ^ 参考資料 1995年 朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報』1995年版、96ページ
  3. ^ 中川雅彦「軍の世代交代進展 - 1995年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報』1995年版、77ページ
  4. ^ a b 北朝鮮 人民武力部第1副部長も交代=全昌復氏 聨合ニュース 2013年5月17日
  5. ^ 朝鲜向崔龙海和玄哲海授予人民军次帅军衔」『中国新聞網』2012年04月11日 (中国語)
  6. ^ <北朝鮮>大抜擢された崔龍海とは何者か?」『アジアプレス』2012年4月12日
  7. ^ 朝鮮労働党第4回代表者会議が行われる」『ネナラ』2012年4月12日
  8. ^ “北朝鮮の李明秀総参謀長、大将から次帥に昇進”. 中央日報日本語版. (2016年4月16日). http://japanese.joins.com/article/581/214581.html 2016年4月16日閲覧。 
  9. ^ “北朝鮮、軍長老格に元帥称号授与 金正恩氏側近の総参謀長には軍次帥”. 産経新聞. 共同通信. (2016年4月15日). http://www.sankei.com/world/news/160415/wor1604150035-n1.html 2016年4月16日閲覧。 
  10. ^ 朝鮮勞動黨19人政治局委員名單出爐”. 大公網 (2016年5月10日). 2016年6月1日閲覧。
   朝鮮民主主義人民共和国
先代:

全昌復
朝鮮人民軍後方総局総局長
1986年 - 不明
2012年 - 2013年
次代:

全昌復
先代:
人民武力部第1副部長
2012年 - 2013年
次代:
全昌復