玄沙師備(げんしゃ しび)は、中国末から五代十国時代。号は宗一大師。俗姓は謝。福州閩県の出身。

玄沙師備
大和9年 - 開平2年11月27日
835年 - 908年12月23日
尊称 謝三郎、備頭陀、宗一大師
生地 福州閩県
宗派 禅宗
寺院 雪峰山玄沙院、安国院
芙蓉霊訓雪峰義存
弟子 羅漢桂琛国清師静
著作玄沙広録
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生涯編集

福州閩県の謝家に三男として生まれ、30歳まで漁師をしていたが(異説あり)、突然出家を思い立ち、芙蓉霊訓の所で出家したとされている。しかし、芙蓉霊訓の没年は851年であるため整合がつかず、真相は不明である。

その時に福建地方に戻っていた兄弟子に当たる雪峰義存と意気投合して、共に福州閩県の雪峰山に登って寺院を開創した。

雪峰義存門下においては堅固な求道者ぶりから「備頭陀」と称されるほどで、一番弟子として布教を行い、王審知の帰依を受け、師の雪峰義存と共に政庁で供養を受け、紫衣と宗一大師の号を賜った。

のちに独立して玄沙院で布教活動を続け、雪峰義存の禅風を発展させて「十方世界は一顆の明珠」という独自の思想を開発し、やがてそれは羅漢桂琛法眼文益と受け継がれ、五家七宗の一つである法眼宗へと発展していった。

略歴編集

思想編集

この世界は全て悟りその物であるという、「尽十方世界は一顆の明珠」という思想を成し遂げ、その豪快な禅風は、多くの弟子を教化した。また、謝家に三男として生まれたことから、しばし「謝三郎」と自称し、馬大師(馬祖道一)・王老師(南泉普願)と共に、僧侶としては数少ない俗姓呼称者でもある。

語録編集

弟子編集

羅漢桂琛国清師静

伝記編集

師:雪峰義存禅宗弟子:羅漢桂琛