玉垣部屋(たまがきべや)は、大日本相撲協会(現・日本相撲協会)等に所属していた相撲部屋

明治時代編集

江戸時代から雷部屋伊勢ノ海部屋と並んで隆盛しており、明治期には8代目(前歴未詳・原庭玉垣)の門下で横綱梅ヶ谷、大関大鳴門、関脇鞆ノ平等が育ち、玉垣も筆脇から筆頭(現在の相撲協会理事長)を務めるなど全盛期であった。1881年の死去後は十両長山が継承するも早逝し、その後幕内緋縅が継承するも現役死亡、幕下の浦ノ海が継承するも徐々に衰退し、1905年死去により閉鎖。尾車部屋(大戸平)に弟子は移籍した。その後玉垣の名跡は玉垣部屋所属だった平ノ石が継承し部屋再興の意思があったが1925年に44歳で死去し、系統は絶えた。

玉垣一門編集

幕末から明治10年代までの玉垣部屋からは梅ヶ谷はじめ多くの力士が誕生した。梅ヶ谷は弟子育成でも能力を発揮し、明治20年代から玉垣部屋が急速に衰退する一方で雷部屋、友綱部屋が隆盛し雷一門、友綱一門を形成していった。

大正中期頃までの玉垣部屋とその系統の部屋。

  • 玉垣部屋(前歴未詳・原庭玉垣。横綱梅ヶ谷、大関剣山、大関大鳴門、関脇鞆ノ平など)
  • 梅ヶ谷部屋→雷部屋(初代梅ヶ谷→2代梅ヶ谷。1882年頃より現役で弟子の育成を始める)
  • 武蔵川部屋(大関剣山。響矢など)
  • 八角部屋(大関大鳴門。大纒、小松山、司天竜、関脇大鳴門などを育てる)
    • 中立部屋(司天竜。鶴渡などを育てる)
  • 出来山部屋(大纏)
  • 花籠部屋(大灘。一力など)
  • 春日野部屋(千羽ヶ嶽→木村宗四郎。現在の春日野部屋の源流に)
  • 友綱部屋(前頭筆頭海山→矢筈山。太刀山、八幡山、國見山、海山などを育てる)
    • 二所ノ関部屋(関脇海山。二所ノ関一門の源流に。)
    • 大嶽部屋(毛谷村)
    • 東関部屋(太刀山。1919年廃業で高砂部屋へ)
    • 熊ヶ谷部屋(敷島)
    • 二子山部屋(土州山)
    • 谷川部屋(黒瀬川)
  • 尾車部屋(勝山→大関大戸平→一時閉鎖後、関脇大戸平。横綱大砲、大関荒岩などを育てる。1905年の玉垣部屋消滅で弟子を引き取る)
    • 待乳山部屋(大砲。のちの光風。1918年の親方死去で閉鎖後出羽海部屋へ)
    • 花籠部屋(荒岩。十両の荒山など。1920年親方死去で閉鎖。その後尾車部屋の三杦磯が再興)
    • 藤島部屋(藤見嶽)
    • 峰崎部屋(行司・木村銀治郎。1916年の親方死去後、後継者争いのため新設。1922年親方死去で大戸平の尾車部屋と三杦磯系の伊勢ノ海部屋に分かれる)
  • 高島部屋(谷ノ音。1921年死去で閉鎖)
  • 片男波部屋(中ノ関→高緑)
  • 桐山部屋(谷ノ川→高武蔵。1926年閉鎖)

昭和の玉垣部屋編集

江戸時代には雷部屋伊勢ノ海部屋と並んで隆盛していた玉垣部屋も、明治になって閉鎖され、後継者が出ないままであった。1941年1月場所から、14代玉垣を襲名していた元巴潟誠一が、玉垣部屋を再興した。その後、1943年1月場所から名跡を安治川に変更したため、名称は安治川部屋になった。その後、巴潟は現役時代に所属していた高島部屋を安治川部屋と合併する形で1951年に継承し、その後友綱部屋に改称したので、現在の友綱部屋の源流のひとつにあたるということができる。

この部屋から関取は出ず、高島との合併後も旧玉垣・安治川組からは十両昇進者は出なかった。