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玉田 永教(たまだ えいきょう、宝暦6年(1756年) - 天保7年9月16日1836年10月25日))は、江戸時代神道家。国に回って、神国を論じて、神代文字を研究した。弟子の小笠原通当ホツマツタヱの再発見者[1]

徳島藩士の子。本姓は横山、通称は主計。垂加神道吉田神道を学んだ後、京都で家塾・秀穂舎を開いた[2]

上記」の発見者幸松葉枝尺によると、文政期に「上記」の原文は玉田先生に依頼されたが、偽書と断じられた[1]

吉田松陰は、子供の頃に玉田先生の本を読んだ[3]

主な文業編集

  • 「神国令」神代の歴史と神儒仏の賛否両論
  • 「神道柱立」 天地開闢について
  • 「神道講義」日本書紀の説き方
  • 「竈神秘説」かまど神の得について

参考文献編集

  1. ^ a b 藤野七穂「偽史源流行(22)『上津文』の伝来過程再考」 歴史読本 46.10 2001年
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ 森田惣七「吉田松陰の人間観」ISBN 4835521749