王 僧朗(おう そうろう、生年不詳 - 466年)は、南朝宋の外戚。本貫は琅邪郡臨沂県。
臨海郡太守の王穆(王導の子の王劭の子)の子として生まれた。元嘉年間、侍中となり、宮中に宿直して文帝に近侍し、謹慎篤実につとめた。445年(元嘉22年)、湘州刺史となった。後に丹陽尹に転じた。462年(大明6年)、尚書右僕射となった。463年(大明7年)、太常となった。466年(泰始2年)1月、明帝の皇后の父として左光禄大夫・開府儀同三司とされた。固辞したが、さらに侍中・特進を加えられた。2月、死去した。開府の位を追贈された。諡は元公といった。