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概要編集

 
訓練のため王城寺原に飛来した陸上自衛隊のAH-1S
 
74式戦車の訓練
 
プレハブ小屋を使用したCQB訓練(2004年2月9日)

東北地方では唯一、対戦車ヘリコプター迫撃砲榴弾砲戦車の訓練が可能な大規模演習場であり、陸上自衛隊だけでなく在日米軍の訓練にも使われている。近年では市街戦を想定した訓練場として190m×150mの区画に「ホテル」「銀行」「総合ビル」「スーパーマーケット」を模したプレハブ小屋、マンホールを有する下水道が整備されている[1]

なお榴弾砲は山に向かって砲撃されるが演習場の周囲に高い山がないため、騒音は大崎市古川仙台市泉区でも聞こえる。このため騒音が届く地域にも訓練の日程などが通知されている[2]

演習場の管理は最寄りの大和駐屯地が担当している。

第二次世界大戦末期には、本土決戦に備えて特別攻撃隊専用の秘匿飛行場が設置された[3][4]

歴史編集

  • 1881年明治14年)に大原砲兵射撃場として開設。当時の面積は約495,850平方メートルであった。
  • 徐々に拡張され、1888年頃には約2倍の面積となり、大原練兵場と仮称されるようになった。1890年頃には大原演習場と呼ばれるようになる。
  • 日清戦争後の1897年(明治30年)から日露戦争後の1908年(明治41年)にかけて3回の大幅な土地の買収、収容が行われ演習場の拡張が行われた。この頃の拡張で、王城寺原を含む土地が演習場に組み込まれ、1912年(明治45年)には王城寺原演習場と改称され現在までこの名称が使用され続けている。
  • 1925年大正14年)10月、皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)が東北陸軍大演習を統覧。現在も色麻町の愛宕山に「摂政宮殿下御統覧記念碑」が残されている。
  • 1929年昭和4年)、仙台鉄道が演習場内を縦断して開通。
  • 1947年(昭和22年)にGHQに接収されたが、戦後占領期が終わると共に1958年(昭和33年)に返還された。
  • 1984年(昭和59年)、初めての日米合同演習が行われ、その後もたびたび合同演習が実施されている。
  • 1996年平成8年)、沖縄県の負担軽減のため、在日米軍沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練を王城寺原演習場を含む5箇所で分散・実施することが日米合同委員会において合意された。翌1997年(平成9年)より毎年、在日米軍の実弾射撃訓練が王城寺原演習場でも行われている。
  • 2011年(平成23年)、3月11日の東北地方太平洋沖地震の際には、災害派遣の基地としても機能した。

演習場の状態編集

総面積
46,488,691平方メートル
内訳
色麻町
19,028,662平方メートル
大和町
15,759,504平方メートル
大衡村
11,700,525平方メートル

脚注編集

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出典編集

  1. ^ 野口卓也「武装工作員を鎮圧せよ! 東北方面隊市街地訓練」『』2007年8月号
  2. ^ 王城寺原演習場における訓練予定について - 仙台市泉区
  3. ^ 大日本帝国陸軍「飛行場配當図」では「秘匿飛行場(と号専用)」と記載されている。「と号」とは特別攻撃隊の意。
  4. ^ 滑走路として整備された約1300mの直線道は市街地から王城寺原演習場の入り口へ続く道として利用されている。

参考文献編集

  • 仙台防衛施設局史等編纂委員会「仙台防衛施設局史」1991年3月
  • 「色麻町史」第二節 王城寺演習場の変遷
  • 飯澤耕作 「王城寺原演習場の変遷」東北経済倶楽部

関連項目編集

リンク編集