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王 治馨(おう ちきょう)は、中華民国の政治家・官僚。清末民初の内務・警察官僚で、北京市長に相当する順天府尹も務めた。琴斎

王治馨
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プロフィール
出生: 1868年8月17日
同治7年6月29日)[1]
死去: 1914年民国3年)10月23日[2]
中華民国の旗 中華民国(北京政府)
出身地: 清の旗 山東省登州府莱陽県
職業: 政治家・官僚
各種表記
繁体字 王治馨
簡体字 王治馨
拼音 Wáng Zhìxīn
和名表記: おう ちきょう
発音転記: ワン ジーシン
ラテン字 Wang Chih-hsin
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事績編集

清末の副貢(郷試の補欠合格者)で、義和団の乱鎮圧に参加したことにより、知州に推挙された。まもなく天津に赴き、趙秉鈞の下で巡警制度の確立に参与し、後に奉天東三省で巡警総弁などを務めている。

中華民国成立後、京師内城巡警総庁庁丞や京師外城警察総監などを務める。1913年民国2年)7月、北京政府で署理内務次長に就任し、同年9月まで代理内務総長をつとめた。10月には、順天府尹も兼任している。順天府尹は翌1914年(民国3年)3月まで、内務次長は5月までつとめた。しかし6月27日、王治馨は宋教仁暗殺事件に関与したとして袁世凱の命令で逮捕され、10月23日に銃殺刑に処された。享年47(満46歳)。[3][4]

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  1. ^ 近年まで王治馨の生年は不詳とされてきた。しかし、2008年山東省莱陽市博物館により王の墓碑銘が発見され、それにより、王の生年月日が1868年8月17日(旧暦同治7年6月29日)であると判明している。「民国初年北京市市長王治馨墓志銘現身莱陽(図)」を参照。
  2. ^ 「民国初年北京市市長王治馨墓志銘現身莱陽(図)」による。徐主編(2007)、122頁は1915年としている。
  3. ^ 「民国初年北京市市長王治馨墓志銘現身莱陽(図)」。
  4. ^ 徐主編(2007)、121-122頁。

参考文献編集

  • 「民国初年北京市市長王治馨墓志銘現身莱陽(図)」2008.6.2.新華網(『煙台日報』が原典)
  • 徐友春主編 『民国人物大辞典 増訂版』 河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1
  • 劉寿林ほか編 『民国職官年表』 中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1
   中華民国(北京政府)北京政府
先代:
趙秉鈞
内務総長(代理)
1913年7月 - 9月
次代:
朱啓鈐
先代:
張広建
順天府尹
1913年10月 - 1914年3月
次代:
沈金鑑